三人の黒
「こんなものか」
一仕事終えて軽く息をつく。
目の前には薪の山が綺麗に整われていた。
借りた斧で適当な大きさに切り分けたのだ。
「おや、もう終わったんですか」
「女将さん。こんなものでいかがでしょう?」
後ろの家から出てきた若い女将に訊いた。
朝日が屋根に射して眩しい。
「充分過ぎますよ、黒薙さん。これでしばらくは薪割りをしないで済みます」
「普段の鍛練に比べれば、このくらいどうということは」
「頼もしいわぁ。これで三日分ね」
賃金の入った袋を受け取る。
それなりに入っているようだが。
「女将、妙に多いような」
「私の思っていた以上に働いてくれましたから。上乗せしましたよ」
慌てて斧を薪割りの台に置いて、頭を下げる。
「か、かたじけない」
「いいんですよ、黒薙さん。それにお仲間のお二人もよく働いてくれましたから」
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裏から店に戻る。
女将の経営している飯店だ。
村に着いた俺たちは泊まり込みで働かせてもらえるここを探し当て、三日ほど働いた。
三日働いてそれで終わりだけど、昼御飯を食べさせてもらえた。
お金はとっておきたいから、厄介になろうと思ったのだ。
「黒薙様、こちらです」
入ってすぐ側から声をかけられる。
そちらを見ると二人の少女が丸卓に座って昼飯を囲んでいた。
躊躇することなくそちらに向かう。
「待たせた」
「いえ、お疲れ様です」
一人は薄い水色の短い髪、対称的に濃い赤色の瞳の目は少し鋭い。
上を髪色に合わせた水色を基調とした和服に、動きやすい黒色の短いパンツを履いている。
そして武器として腰に刀を差している。
彼女は黒永。
俺の旅に同行している。
「お疲れ様っ。黒薙様」
もう一人は長い茶髪を結わいて両肩に流し、丸い幼い目に薄い金色の瞳。
こちらも上は髪色に合わせた茶色かかった黒を基調とした和装に、動きやすそうな細い黒のもんぺ。
やはり腰に刀を差している。
彼女は黒希。
同じく旅に同行している。
「先に食べていればよかったのに」
一つ空いていた席に座る。
さらさらした長い黒髪を首筋辺りで髪飾りでとめて背中まで流している。
無を感じさせる、しかし幼さを残す大きな目には漆黒の瞳。
黒いゆったりとした和服を小袖の上に着て、灰色の袴を履いている。
左利きなのか、右腰に黒い鞘の刀を帯に差している。
俺の名は黒薙。
黒永と黒希と共に各地を旅している。
「黒薙様を差し置いて先に食事を頂くなんて、ボクたちは黒薙様と一緒に楽しく食べたいんだから。そんなこと言語道断っ」
黒永と黒希がようやくレンゲに手をつける。
「ゴメンね。頂きます」
「「頂きます」」
この店はそれなりに高級な飯店だ。
賃金の良さもそれに反映している。
やはり食事も美味しかった。
「黒薙様。これからどうされますか?」
黒永が口の中のものを飲み込み、口元を手拭いで拭いてから訊く。
育ちは良い方だが、根が真面目だからだろう。
「河北はこれで全部巡ったよ。黒薙様、あーん」
黒希もそういう行儀は良くしている──ただ、あーんはやめて。
「さて、どうしたものかな。人は見てきたけど、どれも大した器量はない。俺が仕えるには値しないかな」
お茶で飲み下して、黒希の箸を手で退けて考える。
最初に上党から北平へ、鄴、そしてここ平原にかけてぐるりと冀州旅してきた。
見るべき人や街は巡ってきた。
袁紹や公孫瓚を見てきたけど──袁紹は名門を鼻に掛け過ぎ、公孫瓚は悪い訳じゃないけど何か物足りない──どれも英雄には事足りない。
袁紹か公孫瓚を選ぶなら俺は公孫瓚かな。
ま、仕える気はあんまりないけど。
「見識だけが深まってもねぇ。役には立つけど」
口を尖らせた黒希は、俺に突き出していた焼売の行き先を自身の口に納めた。
「しかしまだ機は見えないとはいえ、急がなければ乗り遅れるのでは?」
黒永は俺の前に広げた、全土を記した大雑把な地図を眺める。
商業用の地図だから細かい地形は描かれていない。
商通や人のよく通る街道のみだ。
それでも旅するだけの俺たちには充分だ。
戦ならこんな地図を使うのは論外だけど。
「乗り遅れれば、黒薙様が戦功を立てる機会が──」
「別に俺は戦功なんて求めてないよ。裕福な暮らしもね」
「欲がないねぇ」
黒永の言葉を遮った俺に、箸をくわえながら黒希が言った。
「名将は戦功に拘(こだわ)らず、ただ良き勝利を求める。将の目立った戦功は、国にとっての大利とは限らず」
「戦功目立たぬ将こそ、損害少なくして当然の勝利を得(え)、最小限の損害こそ国にとっての大利なり──黒薙様の考えは素敵だけど」
続けようとした言葉を黒希が言うけど、どうも納得いかないようだ。
「黒薙様の申されることは最もかと存じます。しかし、目立った戦功こそが名将の表れ。大勢にはそうとしか見られないのも確かです」
黒永が口元をまた白い布巾で拭く。
黒永の言う通り、民衆や兵は目立った勝利をした者に惹かれるものだ。
「それは致し方ないこと。そういう国の大利をわかってる将を見るのは民や兵ではなく、上に立つ君主だよ」
「それをわかってる人が見当たらないんじゃないの?」
「そうなんだよね~」
背もたれに体を預け、ため息をついて焼売を口に放り込む。
言っておいてなんだけど黒希の言った通り──英雄ではないにしろ、そのくらいの見解を持った人に仕えたいんだけど──見当たらないもんだね。
「ま、いつか出会えるさ。食べ終わったことだし、そろそろ出るよ」
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「黒薙様、あれを」
黒永に言われる前に、俺は指差す方を横目に見ていた。
黒希も興味本意に顔を向ける。
村を出ようと大通りを歩いていたところ、人だかりがあった。
人が多いのは昼過ぎだからか。
それらの目は皆、道脇に立てられた看板に注がれている。
それとなく、貼られている紙を見る。
『冀州一の武勇を勝ち取れ。袁紹主催、優勝者には賞金と豪華景品授与。参加希望者は鄴の役所まで』
そんなことが書いてあった。
黒希が何か期待してこちらを振り返るが、俺はすぐに看板から目をそらした。
「袁紹主催じゃあね。そうでなくても、どう考えても武勇に秀でた者を登用するための口実にしか過ぎないと思う」
「確かに。しかし、賞金は気になりますね」
黒永の言葉には、なにも言わなかった。
あの名門の袁紹のことだから、多少賞金については優遇するだろう。
路銀はいくらあっても困らない。
「だけど袁紹の配下なんて、やだからね」
「──そうだね。考えが浅かったよ」
黒希がちょっと肩を落とし、黒永も肩をすくめた。
「──ま、眺めるくらいだったらいいかもね」
呟きながら黒希の頭をぽんぽん、と叩いた。