懐かしき友と新しき友
「黒永、黒希。お前たちで荊州の情報収集をしてくれ。使えそうな情報なら、なんでも拾ってくれ」
ぼうっと何もない空(くう)を眺めていたら、姉さんが二人に指示していた。
いつもは俺がやることだけど、物思いに沈んでいて気が回らなかった。
司馬徽の屋敷を出て翌日のことだ。
屋敷から襄陽の街まで、それほど離れていない。
まだ昼過ぎだ。
「黒破は荷物を運ぶ馬の世話を頼む。黒慰は予備の飼葉を買ってきてくれ」
四人がそれぞれ行ってしまうと、部屋には俺と姉さんだけが残った。
街に入ってからは、すぐ宿舎に入った。
襄陽は劉表の治める比較的豊かな街だ。
宿舎はすぐに見つかった。
「君らしいな、本当に」
備え付けの椅子に座る俺と同じように、姉さんが椅子に座る。
「戦う時は直感で動くのに、こういう時は考えに考え抜く熟考型だ」
「……悪い?」
「いや」
少し間を置いた返事に姉さんは微笑した。
「考え過ぎは良くないが、考えない方が余程悪いからな。旅の間にゆっくり考えるといい」
「俺は姉さんを担いで勢力を興すのがいいと思うんだけどね」
「私に君主なんて合わないさ。采配の仕方も君の方が優れている。惹き付けるものも、雛斗の方が強い」
姉さんほど、俺を惹き付ける人はいないと思う。
だけど、他の人もそうかと言えば、そうとも言えないのかもしれない。
それは頭ではわかっているけど、どうしようもなく姉さんに惹き付けられる。
さっきの采配も悪くないと思う。
「散歩にでも出たらどうだ? 部屋に籠るより、気が晴れるだろう」
姉さんに言おうとしたことを先に言われた。
「私は雛斗の考えることは、すぐにわかるぞ。君は優しい、いい男だからな」
「はあ。姉さんには敵わないね。ホントなら姉さんと一緒に回りたかったけど」
「全財産がここにあるからな。誰かが見ていない訳にはいくまい。ただ、帰ってきたら覚悟しておけ」
「みんな同じ部屋で寝るんだから、やめてよ。家を構えたらね」
苦笑いして『黒影』を確認して腰に差してから部屋を出た。
襄陽は荊州の中心とも言うべき街だ。
劉表の治政も悪くないから、活気はある。
洛陽には劣るけど。
腰に差した刀に腕を乗せて街を散策していると、見覚えのある後ろ姿を見つけた。
酒の入った徳利を片手に、薙刀を肩に担いだ少女だ。
「もしや、張遼殿では?」
近付いて声をかけてみると、やっぱり振り返った。
「おっ、黒薙? 久し振りやな」
一瞬驚いたけど、すぐに屈託なく笑った。
紫の後ろ髪をまとめ上げ、胸にさらしを巻いて袴を履いた活発そうな少女だ。
特徴的なしゃべり方をするこの少女は張遼、字を文遠という。
「いつ以来や?」
「さて、いつ会ったか。お変わりはないようで」
張遼とは同業者、つまりは旅の武芸者として会った。
洛陽を出て間もないくらいか。
「黒薙も相変わらずかわええなぁ」
「可愛いは止めてもらえないか。私は男なのだし」
「ええやん。男にするには勿体無い可愛さなんやし。女の子だったらウチ、襲ってるわぁ」
「なにか悲しいな」
俺には百合の気はない。
苦笑いで流した。
「黒永と黒希はどないしたん? 黒薙は河北を旅してたんやろ?」
「ええ。少々厄介事があって、今は南を旅している。黒永たちは今は情報収集に当たってる」
「そうなんや。ウチは今、金欠でなぁ。稼ぎの仕事の話に行くんやけど」
「酒を飲みながらか?」
苦笑いのまま、徳利を指差す。
「ああ、ええんよ。そんなちゃんとした仕事やないし」
「──なにか不穏なものを感じるが、まあ、気にしないでおこう」
言い方からして、あまり感心できる仕事ではないらしい。
「悪いなぁ。ウチ、がら悪いからそういう輩にしか雇われんよ」
「私は張遼殿を悪いと思ったことは、一度もないぞ」
「えへへ。おおきに。黒薙はええ奴やな。どっかの太守やったら、ウチ仕えても良かったかな」
「悪かったな、同業で。これから仕事なら、引き留めるのも悪い。失礼する」
「まあ、また会うやろ。またな~」
手をひらひらさせて張遼が歩き去る。
張遼に自分は上に立つべきか、訊いてみたい気持ちになった。
だけど、昨夜、姉さんに自分で決めると言ったばかりだ。
なんだかんだで、決められない悩み事は相談したい。
「さて。また一人で散歩かな」
一人ごちて、また歩き出す。
俺はひとり言が多いと思う。
道行く民たちの表情は明るい。
荊州で、あまり戦乱に関わることがないからだろう。
上に立つのなら、この表情を守らなきゃならない。
荷が重い。
まだ、兵を任された方が幾分ましな気がする。
もっとも、どちらにしろ人の命を任されるのだから重いのは変わらないのだけど。
「こんなんじゃ、気が晴れるはずはないか」
また一人呟いて、苦笑いする。
気分転換に散歩に出たというのに、悩み事をしてしまっては晴れる訳がない。
外に出してくれた姉さんに申し訳が立たない。
「どこに住むかな」
そうは言っても、他に考えることと言ったらこれくらいしかない。
上か、安寧かどちらか選ばないで決めることでもないと思うけど。
それでも、他に考えることはない。
荊州なら、今のところ戦と関わることなく、平穏に暮らせるかな。
後は、武芸を研鑽してきて暮らし慣れた幽州か。
だけど幽州はそのうち冀州の袁紹とぶつかって戦になりそうだから、あまり候補にならないか。
涼州もいい。
砂漠だって聞くけど、馬と暮らすのは悪くない。
顔見知りの馬超もいるかもだし。
「益州も揚州とかも回ってないな」
益州は山ばかりだから、あんまり気が進まない。
益州牧の劉焉も、何を考えてるかわからない。
揚州の方はどうかな。
小覇王孫策のいる、水運の盛んな土地だ。
孫策も気になる。
「次に行くのは、揚州かな」
そう一人ごちて、気付けば城門まで歩いていた。
考え込むと何も見ないのは、悪い癖だな。
姉さんにも言われてるし。
そろそろ戻ろうかな、姉さんも宿に待ってるし。
「あ、あの。黒薙さん」
踵を返すと、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
弱々しい、少女のものだ。
振り返ると、昨日初めて会った少女がいた。




