帰省
「黒薙様、嬉しそうだね」
そういう黒希も笑みを隠さない。
朝日を浴びる街は活気に満ちていた。
流石に帝のいる街は違う。
先程、洛陽に辿り着いた。
俺の名を知る者がいるだろうから、やはり旅の武芸者と名乗って門をくぐった。
気付かれた気配は、今のところない。
「姉さんに会えるからね。黒破と黒慰にも」
埃よけの布についた、頭に被る布を深くして顔を隠す。
ここまで来て、姉さんたちとの再会を邪魔されたくなかった。
「しかし、よかったですね。馬超殿が釈放されて」
黒永が微笑んで街並みを眺める。
懐かしんでいるのだろう。
「後で聞いた話だけど、関羽が曹操を狙う暗殺者を退治したそうだ。その功績で、馬超が解放されたらしいよ」
馬超と檻で話した晩、何か不穏な空気を感じたと思ったら、そういうことだったのだ。
暗殺者を退治したその翌朝に、馬超と関羽と一度話し、曹操とも別れの挨拶をした。
俺たちは洛陽へ立った。
馬超は一族に話をしに行くという。
詳しいことは聞かなかったけど、曹操を敵とすることはないだろう。
関羽たちは荊州へ見聞の旅を続ける。
関羽としか話さなかったけど、少ししか見なかった張飛も趙雲も一緒だ。
馬超とは道を同じくして、洛陽手前で別れた。
一刻も早く、一族と話したいのだろう。
今一度、馬超とはまた話をしたかったけど。
「恩賞くらい、貰っておけばよかったのに」
「一宿一飯の恩を返すって言ったでしょ。それに、俺は富を求めちゃいないよ」
曹操を守った恩賞に、かなりの金を用意されたけど辞した。
金が欲しくて曹操を助けたのではない。
恩を返したかっただけなのだ。
曹操は肩をすくめて礼を言っていた。
それからすぐに別れた。
「黒薙様。見えましたよ」
黒永の語尾が弾む。
街中にある、質素な館だった。
館というより、家という方がずっと近い。
今家にいる三人と黒永と黒希、俺を合わせても六人、しかも、いくつかしかない部屋を同じくして寝なければならないくらいの広さだ。
それでも、自分には十分だった。
家の扉を開ける。
扉を叩く習慣は、この国にはない。
おとないを入れるのが普通なのだ。
「ただいま」
言うと、すぐに廊下を走る音が聴こえてきた。
華奢な体の少女が現れた。
「黒薙様っ。おかえりなさい」
にこりと笑って言った。
金髪で溌剌とした少女、黒破だ。
「ただいま、黒破。久し振りだね」
「黒破、騒がしいですよ」
そう言う黒永は、やはり笑っていた。
「相変わらず元気だねぇ」
「黒永も黒希もおかえりっ」
「ただいま戻りました。白薙様と黒慰はどうしましたか?」
「二人ともいるよ。みんな帰るのを待ってたし」
「まったく、はしゃぎ過ぎだよ。黒破」
懐かしい声が聞こえた。
いつの間にか廊下の奥から濃い紫の長髪の少女が歩いてきていた。
それに笑みを浮かべる。
「ただいま、黒慰」
「お、おかえりなさい。黒薙様」
ちょっとおどおどしているのは、たぶん嬉しいけど素直になれないからだろう。
黒慰は、普段つんけんしているけど、ホントは優しくて甘えたがりの娘だと思ってる。
「元気そうですね、黒慰」
「黒永も黒希もおかえり。思ったより早く帰ってきたな」
「ただいま。そうかな? ボクとしては長かった気がするけど」
「姉さんは?」
「雛斗!」
待ち望んでいた声を聞いて、胸が高まる。
廊下を走る、でも黒破のものより小さな音でこちらに向かってくる。
俺と同じ長い黒髪、俺と同じ白い小袖に黒い上着、灰色の袴。
後ろ姿では俺と間違えることもある。
その人が俺に飛び付いてきた。
胸に柔らかい感触を受け止めながら、後ろにちょっと下がって勢いを止める。
「また一段と格好よくなったな。雛斗」
俺の好きな微笑みを浮かべて頬を撫でてくる。
「元気そうでよかったよ。姉さん」
俺の大切な人が、目の前にいる。
抱き留める腕を強くする。
姓を白、名を薙、白薙という俺の姉だ。
「君が旅に出てから、帰って来るのをずっと待ち望んでいたぞ」
「姉さんに会えて、俺も嬉しいよ。黒破も黒慰も、元気でよかったよ」
「まったく。黒薙様と白薙様は変わらないですね」
黒慰がため息をつくのに、二人して苦笑いする。
姉さんが目配せしてきたから下ろした。
「私は雛斗が大好きだからな。今すぐにでも愛し合いたいが」
「ね、姉さん。そんなことみんなに言わなくても」
想像してしまって体が熱くなってくる。
姉さんがにやりと悪戯っぽく笑みを浮かべて、こちらを振り返る。
この表情も、俺は好きだ。
「みんな分かっていることだ。隠すこともあるまい」
「少しは恥ずかしがってよ……」
「乳繰り合うのは勝手ですが、そろそろ上がったらどうですか」
「黒永、冷たいよ」
ツンデレだなぁ、そこが可愛いんだけど。
黒永の言う通りに、姉さんに腕を抱かれながら奥に上がる。
「洛陽で何か変わったことはあった?」
「特になにもないぞ。霊帝と十常寺が好き勝手やっているだけさ」
姉さんの言い様に俺も鼻で笑う。
とはいえ、多少憂える気持ちがないわけではない。
霊帝が十常寺に権力も政治も全て任せている。
帝はそれでいいかもしれないけど、任せる相手はちゃんと選ぶべきだ。
十常寺は賄賂で官位を売るし、気に入らないもの、つまりは賄賂を好まない者は獄に落としたり、謀殺したりしている。
それで俺も職を剥奪されたものだ。
「そちらはどうだったのだ?」
「面白い人たちと会えたよ」
「話はお昼御飯飯の時にしようよ」
「そうですね。食べながらゆっくり話されればよいではないですか」
黒破と黒永に頷く。
みんな、異論はないようだ。
「久し振りに黒永の手料理が食べられるねっ」
「黒永がいない間はどうしてたの?」
黒破と黒希は、ほぼ同時期に俺たちに加わった。
こちらにいた時も、よく二人でいることが多かった。
二人を離して旅をしたのは、黒永や黒慰とももっと仲良くして欲しかったからだ。
もっとも、旅の中の黒永と黒希の様子
を見ての通り、杞憂に終わったけど。
姉さんが何も言わないところを見るに、黒破と黒慰も上手くやったのだろう。
「白薙様に作ってもらったよ。恐れ多いことだけどな」
「黒慰も練習すればよいのに」
「無理だよ。ボクに家事は向いてないよ」
黒慰と黒永も同年代で仲が良かった。
黒慰は一人でいたがり、少し人付き合いを好まないところがあったから、黒永とは多少性格が反対なところがある。
当初は心配したけど、話すうちにこうして打ち解けあっている。
最初、黒慰は俺にしか顔を向けず、黒永もそれに干渉してこなかった。
姉さんとも仲良くやっていたみたいでホッとした。
実は黒慰をそばで見ていなかったことが、一番心配ではあったのだ。
「黒永には敵わないさ。黒永はいいお嫁さんになるな」
「そ、そんな、黒薙様のお嫁さんなんて……」
姉さんの言葉に黒永が俯く。
耳が赤く、恥ずかしがってるのだということがよくわかった。
というか、黒永、今凄い爆弾発言したね。
ま、まあ、聞かなかったことにするけど。
黒永は台所に、残りの全員は居間に入った。
狭いけど、気にしない。
寄り添えばいいことだ。
俺の隣に誰が座るか一悶着あったけど、俺が旅に連れて行かなかった黒慰と黒破に決めて収まった。
姉さんは俺の腕にくっついて離さない。
「姉さん、ご飯食べる時に邪魔になるんだけど」
「ご飯を食べる時じゃなければよいのだな?」
目敏(めざと)い。
でも間違ってないから何も言わなかった。
「ふむ。雛斗から了承は得たし、雛斗に密着する権利は黒慰と黒破に譲るとしよう」
「えっ! いいの、白薙様っ?」
「邪魔になるって言ったよね?」
姉さんが俺から離れたのにすかさず目を輝かせた黒破にぴしゃりと言う。
ちょっと姉さんの体温が離れて寂しいけど。
「ええっ。せっかく黒薙様とくっつける機会なのにぃ」
「今度にしてよ」
「今度、ね?」
目敏い。
「はあ。相変わらずだね、姉さんも黒破も」
「ところで、黒薙様の言っていた面白い人たちって?」
黒慰が今までの言い合いをまったく見ていない風に訊いてきた。
ちょっとじと目で言っている辺り、拗ねてるんだと思うけど。
「ん? うん。同じく旅をしていた三人がいてね。その人たちが気になって仕方ないんだよね」
「女、ですか?」
「なんで?」
関羽も張飛も趙雲、馬超も女だけど。
「黒慰はね、他に可愛い女の子が黒薙様にくっつかないか心配してるんだよ」
「なっ!? 何を言ってる、バカっ!」
にやにやしながら言う黒希に、黒慰が真っ赤になって怒鳴る。
図星なのかな。
こういうところも可愛いんだけどね。
「女の子だけど、武芸に秀でてる人たちで気になっただけだよ」
「ほう。その娘たちは、名はなんというのだ?」
武芸に関しては並ぶ者はいないと思う姉さんが興味を惹かれたようだ。
「関羽、張飛、趙雲。関羽は偃月刀、張飛は矛、趙雲は槍を使ってたよ」
「みんな、長物を使うのか」
「この三人で旅をしてたよ。あとは馬超かな」
「涼州の馬一族?」
「そうだよ、黒慰。馬上の槍はお目にかかれなかったけど、地上でもかなりの武を持ってるね」
涼州は騎馬に秀でている。
涼州と北平が騎馬民族があり、放牧しながら暮らしたりしている。
「黒薙様と白薙様は幽州で馬を習ったんだよね?」
「その通りだ、黒希。他の者に比べて、多少馬には一日の長があると思っている」
「最初は裸馬に乗ったりしてたからね。騎馬に関しては、それなりに自信があるよ」
裸馬は鞍も轡もない、何も付けていない馬だ。
手綱もないのだから、掴まるところが限られて乗り続けるのが難しいのだ。
「曹操にもお会いになりましたね、黒薙様」
黒永が台所から居間に入ってくる。
両手に大きな鍋が抱えられている。
居間の中央には穴が空けてあり、そこに火がくべられるようにしてある。
そこに鍋を置けばいい。
黒破がお椀と箸を持ってきて、手を合わせてから食事に入った。
食事中に曹操たちと会って、事件が起きたことを話した。
四人もそうだけど、姉さんも楽しそうに聞いてくれていた。
あっという間に食事を終えた。
「さて、陽が沈むまで少々時間があるが。床に行こうか、雛斗」
「姉さん、ちょっとは気にしようよ。せめて陽があるうちはやめてよ」
床って言わないでよ、床って。
恥ずかしいから。
「むう。お姉さんは早く雛斗といちゃいちゃしたい」
「我慢してよ。黒慰、金庫の残高はどうなってるの?」
姉さんは後回しにして、俺がいない間の家の状況を確認する。
姉さんは口を尖らせている。
可愛いけど。
「黒薙様が出た時から変わらないです。極力減らさないようにしたけど、三人が暮らすに限界なだけあって増えもしませんでした」
頭に入っているようで、即答した。
以前は黒永が管理していたけど、旅に出たからその間は黒慰に任せてたのだ。
「ということは、引っ越すにはまだ資金不足か」
実は洛陽から離れたところに引っ越そうと考えていた。
懐かしい場所ではあるけど、汚職にまみれたこの地から離れたいという想いの方が強い。
俺を覚えている者もいるだろうし、いざこざが起こりにくい他の土地に移りたい。
「どうしたものかな」
「あんまり思い悩む必要はないと思うけどなぁ。だって持ってく物なんて、そんなにないでしょ?」
黒希が周囲を見渡して言う。
居間には物はない。
食器は黒永と黒破が台所で、今洗っている。
「贅沢はできなかったからな。仕方があるまい」
姉さんが肩をすくめる。
贅沢できなかったのは、俺の給料が低かったのと辞職したからだ。
「ゴメンね」
「謝られてもな。私は雛斗が間違ったことをしたとは、これっぽちも思っていないぞ」
「ありがと、姉さん。……ま、今すぐって訳じゃないし。追々、みんなで話そうか」
今のところ俺を知る役人に見つかっている気配はない。
見つかったら今までのように追放するか、獄に落とすか。
俺を心良く思わない者しか、役人にはいなかっただろうから。
そう思い、ため息をついた。
姉さんがじっとこちらを見ていたのに気づいていたけど、無視して目を閉じて黒永と黒破が洗い物をする音と、黒希と黒慰がなにか話す声に耳を傾けた。
みんな懐かしい音だから。




