裁決
特に鞘と刀には支障はなかった。
柄、鍔、鞘、刀身まで全てが漆黒。
ところどころに金の装飾が映えるけど、それでも漆黒が主とするのを阻害しない。
鞘の金色の金具が補強となり、それだけでも武器になり得る。
刀は鍔が金色、打刀(うちがたな)のそれはどこか飾りの刀のように美しい。
それでも、この刀には随分世話になっている。
たぶん、死ぬまで世話になり続けるだろう。
「黒薙殿、先程は助かった」
夏候淵が幕を開けて入ってきた。
刀を鞘に納めて席を立つ。
黒永と黒希も立ち上がる。
「いえ。私がいなくとも、夏候惇殿と夏候淵殿がいれば、あの場は収められたでしょう」
夏候淵が手で抑えるのに頭を下げてから座る。
布と柱で建てられた簡易な幕舎だ。
この幕舎は曹操の率いる軍の陣屋の中にあり、曹操のいる幕舎から少し離れたところに建てられていた。
既に外は陽が沈んで暗く、そこかしこに篝火が燃やされている。
「一宿一飯の恩もありますし。それに、曹操様は国や民にとってはなくてはならないお方。それを守るのは当然のこと。ですので、お気になさらず」
「本当なら黒薙殿より先に、私たちが前に出なければならなかった。本当に感謝している」
「恩を返したかったのです。ところで、馬超殿の件ですが」
あの後、馬超は捕らえられてここから離れた幕舎に、檻に放り込まれた。
明日には処断が下されるだろう。
「うむ。その件については、今、曹操様が馬超の友人と言う者と話し合っている。黒薙殿に礼を言いたいと、曹操様が言われた。私はそのために来た」
「しかし、話し合いの席に私が入ってしまうのは。それに直々に言われるのは恐れ多い」
「それもそうかもしれぬが、曹操様がそう言われるのだ。同行者のお二方には、ここでお待ちいただくことになってしまうが」
夏候淵が俺と卓につく黒永と黒希をちらりと見る。
「お気になさらず。私一人が参りましょう」
「なら、ついてきて欲しい」
俺が立ち上がるのに夏候淵が頷く。
二人が警戒心を持っていて、そこから俺の配下だと読むのは造作もない。
配下なら、主一人で別所に向かうのを気にするはずだ。
夏候淵はそれを気にかけているのだろう。
黒永と黒希に振り返り、目配せすると二人は目で返事した。
夏候淵が先立って幕舎を出るのを、刀を腰に差してから追った。
打刀は刃を上に向けて腰に差す。
短刀に近い、脇差しもそうだ。
比較的大きい太刀と呼ばれるものは、刃を下に向ける。
外はやはり暗く、遠くなると兵の姿も見えにくい。
曹操の兵は青色を基調とした鎧を装備しているから、なおさらだ。
「華琳様。連れて参りました」
「入りなさい」
「失礼致します」
すぐに曹操の返事がきて、夏候淵と共に少し大きめの幕舎に入った。
見覚えのある後ろ姿があった。
艶やかな黒髪の女性だ。
「もしや、関羽殿では?」
名前を呼ばれて振り返る。
やはり、関羽だった。
「黒薙殿? なぜ、ここに?」
俺の姿を見て、関羽が目を見開く。
「少し所用を片付けて、帰りの中途に寄った次第に」
「知り合いかしら?」
「旅の者同士、面識があります。張飛殿を見たので、もしや、とは思いましたが」
奥に卓につく曹操に頭を下げてから言う。
「張飛と会ったのか。翠──馬超だが、彼女と一緒にいたのは聞いている」
「その時、馬超と対峙したのは黒薙よ」
「なんと!」
一度は曹操に向いた顔がまたこちらに向く。
「曹操様をいきなり襲った馬超殿を、私が抑えただけだ。その時、張飛殿が馬超殿を止めた。張飛殿は?」
「今は趙雲と宿に待ってもらっている」
「話を戻すわ」
しばらく関羽との会話が切れるのを待って、曹操が言う。
いつの間にか、夏候淵が夏候惇と同じく曹操の左右についている。
「まずは、黒薙。私の危機を救ってくれたこと。それに感謝するわ」
「勿体なきお言葉。曹操様には恩がありました故。なくとも、曹操様をお守りすることは当然のことです」
「けれど、いつから私が曹操であると?」
そういえば、馬超と対峙する時に咄嗟に名前を言って、それから名前を普通に言っている。
曹操と信じて疑っていなかったからか、気づかなかった。
「お会いした最初から、曹操様だろうと思い込んで疑いませんでした。それだけにございます」
「……まあ、いいわ、恩賞を後で授けましょう。今は馬超の処断について、関羽と話し合わなければならないの」
小さく笑みを浮かべたのがわかったけど、すぐにさっきの厳しい表情に戻った。
恩賞なんて別にいらないんだけど。
「馬超が意味なく、曹操様を襲ったとは思えません。何かの間違いでは?」
関羽が取り成すけど、それを防いだ俺がいる。
間違いと言うには、見苦し過ぎた。
「間違いとは申せませんが。馬超殿との対峙で、私は彼女が嘘を言っているようには思えなかったのですが」
「なんのことかしら?」
「父──馬騰の仇、と」
曹操の目が細められ、こちらを射抜いてきた。
金縛りにでもあったかのように、体が固まった。
指一本動かせない。
それを跳ね返すように、腹に力を込めてじっと曹操の目を見つめた。
やがて、曹操が満足気に目を閉じた。
数秒しかそうしていないはずなのに、俺には長く感じられた。
「そうだとしても。馬超は私を殺そうとしたわ。彼女の処断は免れぬことよ」
曹操は太守だ。
身分は高い。
その命を狙ったのだから、罪は重いものになる。
「それに、私が馬騰殿を殺したという確証はあるのかしら?」
「──ありませぬな」
ちょっと考えて言った。
「黒薙殿」
「関羽殿。私は所詮、馬超殿と対峙した。そこで父の敵と聞いた。それだけなのだ。真意まではわからない」
しかし、馬超の槍から漂う氣に乱れはなかった。
嘘をついているようではない。
「わかったなら、もうよいわ。後は好きにしなさい」
「はい。関羽殿、また後ほど。では、失礼します」
頭を下げてから、幕舎を出た。
外に出ると緊張していたのだと、よくわかる。
火照った肌に夜風が心地よい。
曹操と話せたらいい、と思っていたけど気が変わった。
曹操は今は関羽に関心があるようだし。
歩き始めた。
好きにしろと言われのだ。
だから、好きにやる。
目的の幕舎が見えた。
入口に二人、衛兵が立っていた。
「黒薙殿」
どうしようか考えていたところ、後ろから声をかけられた。
「夏候淵殿ではございませんか。どうされましたか?」
「いや、曹操様から馬超の様子を見に行くよう承ったのだ。その理由がよくわかった」
「困っていたところです。助かります」
「礼なら、曹操様に言うのだな」
「まこと、人の心をよくお読みになります」
俺が馬超に会おうとするだろう、と読んだのか。
内心、舌を巻くけど、今はそれがありがたい。
二言、三言衛兵と話した夏候淵について幕舎に入る。
木でできた頑丈そうな檻に馬超はいた。
「健勝そうだな、馬超」
「ふん」
夏候淵を確認した馬超は鼻を鳴らして横を向いた。
「黒薙殿。私の仕事は終わった。後は好きにするといい」
「用を終えましたら、元の幕舎に戻ります。それで、よろしいでしょうか?」
「うむ。では、私はこれで失礼する。衛兵には言い置いておいた、心配するな」
「ありがとうございます」
幕舎から夏候淵が出るのを見送ってから、馬超に振り返った。
「お前、曹操の部下なのか?」
馬超が身を乗り出す。
檻に入っているというのに、まるで狼のように今にも食いついてきそうだ。
「まさか。ただの旅の武芸者と言ったでしょう」
座れればよかったけど、なにもないから、仕方なくしゃがんで馬超と目線を合わせた。
替えのない服を、極力汚したくない。
「曹操の部下と、 親しげに話してたくせに」
「何故、私と親しげにするか、私にもわからぬ。まあ、私のことはいい。明日には陳留を立つつもりだしな。私が知りたいのは、曹操様が本当に貴女のお父上を死に追いやったのか、だ」
曹操の目を見るに、どうもなにかを伝えたがっていたような気がした。
それが気になって調べようと思ったのだ。
「嘘な訳」
「別に貴女の言葉を疑う訳ではない。貴女の槍は、嘘をついてはいなかった」
馬超がちょっと口をつぐんだ。
「武芸というものは、その人の心をよく表す。性格、真偽、体調、様々なものを、な。馬超殿の槍からは、揺るぎは見られなかった」
「……父上と、同じことを」
思い出すように間を置いてから、馬超が言う。
もう、興奮した様子は見られない。
「私が曹操の部下かもしれぬ、と疑うようだから話す。私は元役人だ。まあ、上手くいかなくて辞職したが」
「それで旅をしてるのか」
「そうだな。今は洛陽に戻るところだ。家はまだ、洛陽にあるのでな。その中途に、陳留に寄ったのだ」
「……わかった。信じる」
しばらく、俺の目をじっと見つめていた馬超が頷く。
それに頬が緩んだ。
途端に、馬超の頬が赤くなったけど、なんでだろう。
「ありがとう。話を戻すが、馬騰殿を殺したのが曹操様だと、どうして知った?」
「う、噂だよ。人伝(ひとづて)にそう回ってきた」
「目の前に見た訳ではないのか?」
「父上が何進の宴会の誘いに応じて、洛陽に向かった。あたしは涼州に残ったんだ。その宴会には、曹操も同席したんだけど、その時に謀殺したって」
信憑性に欠ける。
もし、本当にそうだとしても、曹操に利益があったのか。
その前に、曹操がなんの非もない馬騰を殺すとは思えない。
何進の宴会なら俺にも多少、身に覚えがある。
前は何進の賊曹掾だった。
当たり前だけど、俺自身が招かれることはなかったけど。
「宴会の席か──わかった。もういい」
ちょっと考えて、立ち上がった。
「もう行くのか?」
「曹操様から恩賞を貰えるそうだ。まあ、貰うつもりはないが」
「旅の途中なんだろ。貰っとけばいいと思うけどな」
「私に捕らえられたというのに、おかしなことを言う」
苦笑いしてから、幕舎の入口に向かう。
「なあ。あたしが死んだら、父上の敵はもう討たなくていいって一族に伝えてくれないか? 涼州の馬岱って奴に言えばいいから」
出る前に、背中にそう言われた。
背中を向けたまま、頭だけ振り返る。
「案外、死ななくて済むかもしれぬぞ」
「まさか。あたしはすぐに処断されるよ」
「まあ、馬超殿が死んだらな。しかし、自分のみで仇討ちを終えようとするか。見上げた心構えだな」
「それとお前の名前、教えてくれよ。死ぬ前にさ」
「よいでしょう。姓を黒、名を薙。黒薙という」
「黒薙、か。お前と会えてよかったよ」
「私も、馬超殿と会えてよかった。まあ、関羽殿に期待しなさいな」
眉をひそめた馬超に笑みを投げてから、幕を抜けた。
「話は終わったか」
「夏候淵殿。曹操様の元に戻っていなかったのですか?」
幕舎を出ると、夏候淵が待っていた。
「黒薙殿が気になってな」
「私など、気にされるほどの輩ではありませぬ。まあ、さておき──夏候淵殿にお訊きしたいことがあります」
「うむ。なんでも訊くがよい」
最初からそのつもりだったのか。
こちらに送った、曹操の底が知れなかった。
「ありがとうございます。以前、何進様の宴会に、曹操様と馬騰殿が招かれたのはご存知でしょうか?」
「うむ。姉者、夏候惇と私は曹操様の供をした」
「その時、何かあったのではないですか? 例えば、曹操様と馬騰殿が宴会の席で何かを競い合ったとか」
夏候淵が目を見開く。
当たったか。
「まったく、その通りだ。何進様が曹操様に、武芸の腕を見たいと言われてな。その時、馬騰殿が相手に指名されたのだ」
「曹操様のことです。お断りしたのではないですか?」
「ああ。馬騰殿はその時、かなり酔っていた。立ち上がったらふらつくほどにな。全て、曹操様から聞いた話だが」
大体、解けた。
やはり、曹操は懐が深い。
「なるほど。よくわかりました。私などにお話しいただき、ありがとうございます」
「なんだ。謎解きはしてもらえないのか」
夏候淵が笑みを浮かべる。
それに笑みを返した。
「したところで、意味はありませぬ。それに、私が何かわかった訳がないでしょう」
「わかった、と申したではないか」
「そうでしたね。私が話すより、適任がおりましょう。馬超殿からは、お別れの言葉をいただいてきましたので、次に会う時は檻の外になりましょうし」
「まるで、これからどうなるか、わかったような口振りだ」
「ですから、わかりました、と申しました。では、失礼致します」
一礼して、頷くのを確認してから背を向けた。
次に会うのは、どこになるか。
背を向けた時から、そのことを考えていた。




