瞳にあるもの
「まさか、ここで会うことになるとはね」
肩の髑髏を象った鎧を侍女に外してもらいながら呟いた。
「あの男をご存知だったのですか? 華琳様」
春蘭が驚く。
夕方には賊を討伐して宮城に戻れた。
討伐して調べたところ、賊はまだ集まって間もないらしく、他の賊との繋がりもなかった。
他の賊の位置や存在を手繰り寄せるのにちょうどよいか、と出陣したのだが、そう上手くはいかない。
「ええ。顔を見たのは二回目かしらね。洛陽に参内した時よ」
「洛陽の者ですか。しかし、なぜ陳留に?」
執務室には私と春蘭、身の回りを整える侍女だけだ。
そのうち、桂花と秋蘭が私のいない間の政務と軍事について持ち込んでくるだろう。
その前に食事をしたい。
黒薙一行は、今は宮城の来客用の部屋に通してある。
「聞いていたでしょ。黒薙たちは今は武芸者。陳留に流れてくるのも、おかしいことではないでしょう?」
普段の服装に変えて、仕事をする卓の椅子に座る。
侍女は私と春蘭に頭を下げて部屋を出た。
「それはそうですが。洛陽に住んでいたというのに、なぜ武芸者に?」
「黒薙は元役人よ。あまり高くない位だったようだけど」
「だったらなおさら」
「黒薙は実直な男。仕事振りもしっかりしていたようね。もっとも、世渡りが下手なようだけど」
「というと?」
「簡単な話よ。賂(まいない)を好まないのか、職を奪われたのよ」
賄賂を好まなかったからなのか、元から金に困っていたからなのか。
ともかく、洛陽のもっと高位の役人の恨みを買って減俸されたのだ。
その後のことはあまり聞かなかった。
家には他の者が住んでいるらしいし。
「そのようなまともな輩が、いまだ洛陽にはいたのですか」
そう春蘭が言うのも無理はない。
今の洛陽にまともな役人などいないだろう。
金の亡者しかいない。
「そういうことよ。とにかく、食事の用意をしなさい。来客もいるのだから、豪華になさい」
「黒薙も呼ぶのですか?」
「当然よ。一時でも黒薙と話をしてみたいわ。平然と職を捨てた者が何を考えるのか、聞いてみたいと思わない?」
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「では、今の朝廷を整えられる者はいるのかしら?」
「さあ。私には考え及びませんが」
中性的な声が返事をする。
黒薙は相手が太守である私と正面で話しているというのに、臆した様子は毛ほども見受けられない。
食事は私と春蘭と荀彧──桂花、そして黒薙一行とが向かい合って、大きな丸い卓に座っていた。
「考えてはいるのでしょう。話してみなさい」
「浪人の身です」
武芸者らしくない、綺麗な食事の仕方をしている。
その配下も同じくだ。
「気にはしないわ。洛陽の高官から訊くより、余程ましだわ」
春蘭はともかく、桂花は黒薙を時々睨んでいる。
私と喋っている黒薙を、単に嫉妬しているのだろう。
猫の耳のような服を着ているのもあって、まるで猫が睨んでいるようだ。
しかし、黒薙は気にも留めていないようだ。
「然(しか)らば……恐らく、新たに覇者となろうと考えている者でしょう」
「内側から変えられはしない、と言うのね?」
「無理でしょう。洛陽に腐敗を嘆く者は、そうは居りますまい。既に高位の者が追い出すなり、獄に落とすなりしているでしょうし」
「そうね。今のところ、その覇者になり得る者は誰がいるのかしら?」
一瞬、正面に座る黒薙の目から光が見えた気がした。
胸が詰まったような戸惑いを感じた。
黒薙は目を閉じた。
「さて、可能性がある者はいくらでもいましょう。その中で、と申し上げるなら。まずは名門の袁紹殿と袁術殿。これは外すことはできますまい」
「名門の名声が呼ぶ人は多いのだから、まあ、仕方ないわね」
「あとは飛び抜けた勢力はおりません。しかし、力がある、ということを考えると。孫策殿でしょうか」
「江東の小覇王と呼ばれる者ね」
「一度、お目にかかりたいものです。そして、曹操殿」
黒薙の目が開かれた。
こちらを見透すような強い瞳をしている。
それに一瞬でも見惚れた自分に、舌打ちしたい気分にさせられた。
それほどあの漆黒の瞳はこちらを引き込む、魅力的な何かがある。
「この陳留の民の表情を見れば、治政が良いものだというのは、これまで諸国を旅した私にはわかるつもりです。この国は民がなくしては成らない。それをわかっている曹操殿は、覇者たるものをお持ちだと思います」
むず痒い気分になる。
目の前に本人がいるというのに、そのようにべた褒めされるのだ。
そういえば、自分が曹操だということを黒薙には伝えていないのか。
それを思うと妙に恥しい気分に変わった。
黒薙は劉焉や劉表など、名は知られている勢力について述べていくが、半分も耳に入ってこない。
いつの間にか皆、箸を置いているのに気付いた。
「もういいわ。黒薙、一泊する部屋を部下に案内させましょう。長旅だったでしょう、ゆっくり休むといいわ」
口を止めた黒薙は微笑んだ。
武芸者とはかけ離れた、優しい笑みだった。
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黒薙たちが頭を下げてから食事の部屋を出たのを見送り、私と春蘭と桂花が残った。
「どう思う?」
開口一番、そう訊いた。
「立ち合ってみないとわかりませんが、こちらを威圧する鋭い覇気があったように思います」
まず、春蘭が言った。
「それは、武人としての意見かしら?」
「御意」
我が配下で一番の猛者である春蘭がそう言うのだ。
相当な武勇を持っているのだろう。
「桂花は?」
「……勢力を客観的に見る目、見識を持っているのは確かです。諸国を旅しているだけあります」
少し悔しそうに言う。
まだ嫉妬しているのだろう。
加えて桂花も認める能力もある。
勢力を量るに当たって客観的な見解を持つことは重要だ。
自身の勢力を過大に評価し、他勢力を過小評価するのでは話にならない。
「まあ、どこにも属していないのだから客観的なのも仕方ないのかもしれないけれど」
「知識もあります。ただの旅人とは思えないほど礼儀をわきまえ、朝廷内の事情にも詳しいです」
「黒薙は元は役人だったようだぞ?」
春蘭が口を挟む。
「華琳様から伺っているわ。けれど、それ以外にも勢力の人材にも詳しいところを見ると、相当見聞は広そうよ」
黒薙は情勢を語るにあたって土地柄や兵力など以外に、人を語っていた。
袁紹なら田豊や審配などの能吏、顔良や文醜などの猛将まで様々な人を見てきたようだ。
その知識も場合によっては力になる。
人を量ることができるのも能力だ。
「失礼します」
と、見計らったように落ち着いた声が扉を開いた。
「あら、秋蘭。ちゃんと案内してくれたかしら」
「はっ」
この大人っぽい女性は夏候淵、真名を秋蘭と言った。
春蘭や秋蘭は私と同族の関係にある。
身を立てた当初から付き従ってくれている、私の自慢の将だ。
彼女が黒薙たちを宿泊する部屋に案内した。
「貴女から見て、黒薙をどう思うかしら?」
秋蘭は見た目通り、冷静に物事を見ることができる。
あまり私情を挟むこともない。
「人前に感情を出さないので、詳しくはわかりません」
「そうね。信じる者だけの時にしか、本当の顔は見せないのでしょうね」
話している間、黒薙は最後に食事を終えた時にしか笑みを見せなかった。
配下の者も警戒する表情を変えず、気を周囲に張り巡らすだけだった。
「ただ、何か惹き付けるものを持っています。別れ際に礼を言われたのですが、その時見た目、瞳を思わず見つめてしまいました」
やはり、気になる。
初めて顔を見た時から、気になっていた。
女のような端整な顔立ち、それにも惹かれたが、何よりその黒い瞳。
穢れが見えない、美しい瞳だ。
聞き終えてから、私は黒い瞳を思い浮かべながら片付けを任せて部屋を出た。




