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影の軍  作者: 風城国子智
8/10

 意外に、活気のある街だ。

 これが、トゥエが魔皇帝の都リーマンに足を踏み入れたときの正直な感想だった。

 北側に開いた湾を利用した港から伸びる大通りは、攻め込まれた時の防御の為に所々鍵型に曲げてはあるが、それでも、通りは人馬の往来が激しい。街の大きさこそアデールの比ではないが、大通りから見える小路の両側に立っている家の多さからすると、かなりの人口を擁していることは嫌でも分かる。

 だが。この町には、アデールにもウプシーラにもなかった緊張感が、確かに、ある。

 その理由は、トゥエには既に分かっていた。この街の入口で、ある『誓約書』を認めさせられたからだ。誓約の内容は、『この街に入るにあたり、徘徊する魔物に襲われても文句は言わない』こと。

 やはり、魔皇帝の都だ。その誓約を示された時、トゥエは心底そう思った。

 今、ぐるりと見渡したところでは、魔物の気配などこれっぽっちも無い。リーニエにある普通の街と同じに見える。だが、この街の何処かには、残虐な魔物が潜んでいるという。自分の膝元で、そんなものを放っておくとは、やはり、残酷な人だ。背中の震えを感じ、トゥエはふっとため息をついた。

 仕方なくリーニエを去ってから、どれくらい経ったのだろうか?

 風は確かに冷たいが、日の光は既に、微かな暖かさを運んで来ていた。

 この街にきた理由は単純で、敵対する者が支配する街を見たいと思っただけ。だが、街の意外な普通さに、トゥエは内心感心して、いた。

 と、その時。

「うわっ! 魔物だ!」

「逃げろっ!」

 鋭い悲鳴に、思わず振り向く。

 トゥエの左にある小路から、人がわっとあふれ出していた。

 嗅いだことのある、吐き気のするほどの生臭さが、トゥエの全身を総毛立てる。

 どう、するか。それを考える前に、トゥエは人波に逆らい、小路へと飛び込んだ。

 小路の先、粗末な家々に囲まれた小さな広場に、魔物は居た。小山のような体をフルフルと動かしながら、広場の屋台に乗っている食い物をむしゃむしゃと食べている。

「止めなさい! 帰りなさい!」

 その魔物の前で、一人の少女が腕を振り回しながら叫んでいる。魔物の大きさからみると、少女は不釣り合いなほど小さく見えた。

 少女の止めるのには全く構わず(当たり前だ)、魔物はその視界に入る食い物を次々と平らげていく。

「だから、止めなさいって!」

 言うことを聞かない魔物に業を煮やしたのか、少女は不意に、腰の短刀を抜くと魔物にその切っ先を向けた。

 鋭い光が、その切っ先から迸る。

 自分の魔法と同じ種類のものだ。そう、トゥエが判断する前に、光は魔物の腹へとまっすぐに食い込んだ。しかし、その魔法の光は、太った魔物には何の効果も及ぼさなかったようだ。魔物はけろりとした表情で屋台そのものまで食い尽くすと、今度は少女の方へその大きな手を伸ばした。

「ちょ、ちょっと!」

 素早く逃げる少女。だが、間に合わない。あっという間に、少女の身体は魔物の手に絡め取られて、しまった。

 このままでは、少女の命はない。

 だが、その時には既に、トゥエは短槍を構えてチャンスを窺っていた。

 少女を飲み込もうと、魔物が大きく口を開ける。その瞬間、トゥエは魔力を込めた短槍をその口めがけて投げ込んだ。

 幸い、少女には当たらず、短槍は魔物の口腔内へと飲み込まれる。次の瞬間、のたうつ魔物から少女を助ける為にトゥエは魔物に向かって飛び出した。

 倒れる少女を担ぎ、大急ぎで魔物から離れる。だが、小柄なトゥエには、小柄な少女でも重すぎた。しかもまだ、背中の傷が治っていない。

 痺れるような痛みを背中に感じ、思わず石畳にへたり込む。

 それでも。少女を魔物から遠ざける方が先だ。トゥエは歯を食いしばり、少女を肩に担いだまま立ち上がった。

 と、その時。

「いたっ!」

「こっちだ!」

 同じ色のチュニックに身を包んだ男が三人、トゥエの横をすり抜ける。

 振り返ると、丁度、三人のうちの一人が懐から紙のようなものを出したところだった。

 あれは、魔力を持つ者が作ることのできる『札』だ。そう、トゥエが思う前に、飛び上がった男が魔物の額にその札を置く。次の瞬間、先ほどまで小路を占領していた魔物はきれいさっぱりかき消えた。

どうやら、あの札は『魔物を消すことができる』特別な札のようだ。トゥエがそう考えるより早く。

「ちょっと、下ろして!」

 いきなり耳元で、女の声が響く。

 そう言えば、まだ少女を担いだままだった。

トゥエは静かにしゃがみ込むと、掴んでいた少女の腰をそっと放した。

 その、次の瞬間。

「……あっ!」

 急に、視界が薄れる。

 大慌てで背中の傷に手をやるまでもなく、ぬるっとした血が背中を流れ落ちているのがはっきりと感じられた。しかも、多分、放っておいて良い量ではない。

 傷が開いた。早く、手当てしないと……。

 しかし、トゥエの思考はそこでぷちんと切れて、しまった。


 目を開けると、灰色の天井が見えた。

「……目覚めた? おバカさん」

 聞いたことのある声に、けだるく首を動かす。

 街の小路で魔物に襲われかけていた少女が、トゥエの顔をまじまじと見つけて、いた。

「おい、命の恩人に向かってその言葉はないだろう」

 少し遠くから、男の声も聞こえてくる。

 辺りを見回すまでもなく、トゥエは、自分が清潔なベッドの上に寝かされていることにすぐに気が付いた。今いる部屋の方も、狭いがこざっぱりしている。短槍が、トゥエ自身のものの他に二、三本立てかけてあるところからすると、多分声の男は(少女も、ということもあり得るが)武人なのだろう。

「第一、あの子普段は大人しいのよ。おなかがすいたら手が付けられなくなるだけで」

 男の声に、少女の反論する声が被さる。

「……食べられそうになったヤツが言う台詞か、それ?」

 だが、男の言葉の方が優位に立っていることは、トゥエでも分かった。

「第一、魔物が出たっていうのに『札』を忘れていくヤツがいるか?」

「うるさいわねっ!」

 とうとう少女は怒り出す。

 少女はトゥエをフンと一瞥すると、肩を尖らせて部屋を去った。

 代わりに現れたのは、大柄で色白な男性。少し見ただけで、少女と兄弟だと分かった。……あの時に魔物に『札』を貼り付けた男だ、ということも。

「ごめんな」

 男は少女の代わりに、トゥエの傍らにあった椅子に腰掛けて頭を下げた。

「悪いヤツじゃないんだけどな。……ちょっと生意気なだけで」

「悪かったわね、生意気で」

 不意に再び、少女の声が部屋に響く。

 少女は持って来た水差しを部屋のテーブルに音を立てて置くと、男の方をきっと睨んだ。

「俺の名はノイマン。あいつはリベット」

 そんな少女を無視して、男が自己紹介をする。

「あ、トゥエと言います」

 それにつられて、トゥエも自分の名を名乗った。

「妹を助けてくれてありがとう」

「あ、いえ……」

「全く、バカよね」

 トゥエとノイマンの会話を再び遮ったのは、またまた少女。

「自分も怪我してるのに。お人好し」

 少女リベットの侮蔑に近い言葉に、少し凹む。

 自分でも、あの時リベットを助けようとしたことは無謀だったと思っているのだ。

「そう言えば」

 再び、ノイマンが口を開く。その口から出てきた言葉は、驚くべきものだった。

「『御館様』が、事件にえらく興味持ってさ。夜になったら連れて来いってさ、リベット」

「えー! 私がー!」

 ノイマンの言葉に、リベットの言葉がワントーン上がる。

「何で?」

「昼間の事件の顛末も訊きたいそうだ」

「えー! やだぁー!」

 だが。渋るリベットの大声も、今のトゥエには遠く聞こえた。

「え……」

 『御館様』とは誰だ? ……まさか!

 トゥエの推論は、次の男の言葉によって正しいと証明された。

「外じゃ『魔皇帝』なんて言われてるけど、故郷を無くした俺達を拾ってくれた優しいお方だぜ」

 ノイマンは心底魔皇帝を尊敬しているらしい。その声には力と信頼感が確かに、あった。

「おまえ、故郷も職もないんだろ? うまくいけば雇って貰えるぜ」

 その言葉に、トゥエの心は正直揺れた。



 その夜。

 トゥエはリベットと共に、街の東にある魔皇帝の城の裏門に立っていた。

「大人しくしててよ。私の信頼にも関わるんだから」

 ただ会わせるだけなのに、リベットの声は心底心配している。

 その声を聞きながら、トゥエの心は重い思考を巡らせて、いた。

 ……自分は何故、魔皇帝に会うことを承諾したのだろうか? 相手は『敵』、しかも強大な敵である。それは、重々承知している。

 会ってどうするのか? 迷いがまだ、トゥエの心には有った。

 敵わないと分かっていて戦うのか。それともリュエルを裏切って、素知らぬ顔で魔皇帝の元で働くのか。後者は選択外だから、やはり、前者しかない。

 でも。それでも。……二択以外の道が、有るのでは? リベットの後から細い通路を歩きながら、トゥエはずっと考え続けて、いた。

 と。

「……着いたわよ」

 リベットの声に、はっとして顔を上げる。

 『皇帝』を名乗る人物の部屋にしてはやけに簡素な空間が、トゥエの前に広がっていた。

 家具は、簡素なソファと、がっしりとした机のみ。アデールの王宮にある、自分の部屋より質素ではないか。もっと華美な生活を想像していたトゥエは口をあんぐりと開けたまま、辺りをもう一度見回した。

 と。

「……来たか」

 不意に、大きな気配が、トゥエの背後に現れる。

 魔皇帝だ。そう、感じる前に、トゥエは腰の短刀を抜いてその影に襲いかかって、いた。

「何を!」

 だが、トゥエの身体は、トゥエの背後にいたリベットによって仰向けに倒される。

 次にトゥエが感じたのは、首筋に突き刺さる冷たい感覚、だった。

 目の前に、リベットがいる。トゥエの身体に馬乗りになったリベットが、自分の短剣をトゥエの首筋に向けているのだ。

「止めなさい、リベット」

 魔皇帝の声が、辺りを震わせる。

 兜に面頬まで付けているので、少し籠もり気味の声だったが、それでも『威圧感』だけは十分に、あった。

「でも……」

 リベットは憎々しげにトゥエをじっと見つめてから、渋々短剣を鞘に収め、トゥエの身体から降りた。

 そっと、首筋に触れてみる。ぬるっとした血の感覚が、トゥエの背筋を凍らせた。

 対して魔皇帝は、あくまで平静であるようにトゥエの目に映る。

 やはり、この人には敵わないのか。悔しさが喉に詰まり、トゥエは仰向けに倒れたまま思わず呻いた。

 と、その時。

 不意に、魔皇帝が被っていた兜を脱ぐ。

 取り外した面頬の下から現れた顔に、トゥエははっと息をのんだ。

 魔皇帝の顔は、トゥエに瓜二つ。『水鏡の術』を行う際、嫌というほど水面に映った自分の顔を見ているトゥエには、それがすぐに分かった。起き上がりながらよくよく観察してみると、鎧から覗く肌の血色の悪さも、トゥエと一緒だ。

 トゥエと同じ顔、同じ肌の色の男が、トゥエの目の前に、居た。髪の色が薄いのと、目頭辺りにある癇性らしい皺を除けば、トゥエそのものだと言って良い。

「な、何で? 何で?」

 二人の相似にリベットも気がついたらしい。驚きの声が部屋中に響いた。

「一体、どういうこと?」

「似ているのは当たり前だろう。……親子だからな」

 そのリベットの戸惑いを、魔皇帝の声が掻き消す。

「だが、似ているのは姿形だけではない」

 そして魔皇帝は、起き上がりかけたトゥエを見下ろして厳かに言った。

「その身に持つ『力』も、同じだ。……いや、私より強い『力』を持っている」

 どういうことだ? 魔皇帝の言葉に、トゥエの当惑はますます深まった。

 ただでさえ、自分がこの残虐な男の息子だと知らされて頭の中が真っ白になっている。

「おそらく、『力ある石』を鎮めることができるほどの『力』をな」

 魔皇帝の言葉に、再び、トゥエの頭が真っ白になる。

 自分が、『力ある石』を鎮めることが、できる? リュエルの持つ『石』にさえ敵わなかった自分に?

「嘘、だ」

 思わずそう、呟く。

 だが、魔皇帝の言葉が真実しか言っていないことは、直感で分かった。

「疑うのか? ……確かに、証拠はないがな」

 そう言いながら、魔皇帝は懐からお守りのようなものを取り出す。

 魔皇帝に見せられたそれは、血のように赤い『石』だった。

「しかしながら、暴走気味だった私の『石』の力が弱くなったのも確かなのだよ」

 不意に、思い出す。リーニエの砦で魔皇帝と対峙した時も、魔皇帝の胸にはこの『石』が光っていた。そして、……自分はそれに触れた。

 そして、もう一つ。……自分が側に居た時には、リュエルの石は魔物を消さなかった。

 自分が持っていた『力』に、言葉を失う。

 呆然と、トゥエは魔皇帝を見つめた。

「……ところで」

 そんなトゥエの気持ちを知ってか知らずか、不意に魔皇帝が話題を変える。

「リーニエの王が新しくなったのは知っておるか?」

「え。……いいえ」

 魔皇帝の問いに、首を横に振る。

 リーニエの王が死病にかかっていることは、知っていた。だが、王が亡くなったことは知らなかった。兄である二王子が『消えて』しまっているのだから、現在のリーニエの王はリュエル、ということになる。

 だから。

「では、そのリーニエの新王が、敵対する豪族達を粛正していることも知らないだろうな」

 次の魔皇帝の言葉に、リュエルの頭は三度真っ白になった。

 あの、温厚なリュエルが、何故……。

「おそらく、『石』の所為だろう」

 しかし魔皇帝の言葉が、疑問の答えとなった。

〈そう、か……〉

 やはり、あの時に奪っておけば良かった。後悔だけが、心に渦巻く。いや、キュミュラントに『石』を取りに行った時から予兆はあったのだ。その時に止めていれば。心底そう思う。『石』にさえ頼らなければ、リュエルはこんなことをしなくて済んだはずだ。

 だが、しかし。はたと、思い出す。……もし『石』がなければ、魔皇帝の侵略からリュエルを守ることはできなかった。それも、事実だ。

 リュエルの為に、リュエルから『石』を奪わなければならない。しかし、『石』がなければ、目の前にいるこの残虐な男から身を守る術がない。

「……そうだな」

 トゥエの思考に気付いたのか、魔皇帝はトゥエを見つめふっと笑った。

「リーニエの王が持つ『石』を私の所まで持って来ることができるのであれば、私もこの『石』をそなたに渡そう」

「えっ……!」

 思わぬ提案に、息を呑む。

 魔皇帝の真意を確かめるように、トゥエは魔皇帝をじっと見つめた。

「勘違いするな。それが、『あの人』との約束だからだ」

 そんなトゥエを見つめ返し、魔皇帝が軽く手を振る。

「もしそなたが本当に『鎮めの力』を持つ物なら、『石』をここに持って来るくらいできるだろう」

 『担い手』あるいは『鎮めの力を持つ者』に必ず『石』を渡すこと。それが、この『石』を譲り受けた時の約束。魔皇帝は静かにそう、トゥエに告げた。

 魔皇帝の言葉に、嘘は全く感じられない。混乱する意識の中で、トゥエはそれだけははっきりと、感じた。

 それに。リュエルに、これ以上残虐なことをさせるわけにはいかない。

 だから。

「本当、ですね。その約束」

 一言一言噛みしめるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 この後魔皇帝がどう答えようと、トゥエの答えは決まっていた。

「ちょっと、御館様を疑うの?」

「ああ。約束は違えぬ」

 リベットの言葉を間に挟みながらも、魔皇帝は静かに頷いた。

「……分かりました」

 だからトゥエも、静かに頷く。

 顔を上げると、魔皇帝の瞳に微かな優しさが、見えた。

 ……不安と、そして微かな『済まなさ』も。

「リベット」

 トゥエが頷いた途端、魔皇帝はリベットに向かってそう、命令する。

「この者に付いて行け」

「えー!」

 突然そう言われたリベットは、大声を上げてから再びトゥエをじっと睨んだ。

 だが。

「いいわ」

 すぐにリベットは、にっと笑ってからこくんと頷いた。

「御館様の命を狙うような奴だもの、しっかり監視しなきゃ」

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