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影の軍  作者: 風城国子智
3/10

 頭の上で、不気味な足音が木魂する。

 背中の震えを意識しながらも、トゥエはただ静かに、冷たい土の床に座っていた。

 すぐ近くには、老若男女が二家族分、互いに身を寄せ合ってひっそりと震えている。しかし、この空間自体は、誰もいないかのように静まりかえって、いた。

 ここは、リーニエ王国の北、『緩衝地帯』にある村の地下室。

 魔皇帝軍が国境近くで侵略の準備を整えている。この報が入ったのが昨日の朝のこと。軍の規模からすると、おそらく、新都ラフカに向かってまっすぐ突き進んでくるだろう。……途中の村々を、文字通り喰らい尽くしながら。

 すぐに、国境沿いの村々に報せが走る。トゥエは一番遠くまで行く任務を引き受け、魔皇帝軍の侵攻ぎりぎりでこの村に急を告げたのだった。

 村人達を地下室に避難させるのがやっとだったが、これで村人達は大丈夫だろう。念の為、現在、魔物に気づかれないように魔法結界を張っている。


「上は、大丈夫なの?」

 不意に、小さい影がトゥエの膝に乗る。子供だ。まだ幼い。

「猫のウヌーアが、いる筈なの」

「大丈夫だよ」

 だが。

 現在地上で何が行われているか、トゥエは知っている。

 ……実際に、見たことがあるのだから。


 次の朝、地下室から出てきた人々を待っていたのは、文字通りの地獄絵図だった。

 納屋にも、家屋にも、赤黒い血の染みとグロテスクな緑色の食べ滓が飛び散っている。そして、地下室に入れることができず、やむなく地上に残されていた家畜と穀物は、全て魔物達に喰われてしまって、いた。

 余りにも凄惨な光景に何も言えず、呆然と立ち尽くす村人達。

 その村人達の間を縫って村を一周すると、トゥエはようやくはっと息を吐いた。

 少なくとも村人達は、皆無事だ。そのことだけが、ほっとする材料だった。

 もしもトゥエの知らせが遅すぎて、地下室に逃げるのが間に合わなかったならば、彼らも家畜達と同じ目に遭っていたのだ。間に合って良かった。トゥエは心からそう、思った。

 とにかく、もう、帰ろう。リュエルの元へ。

「感謝する、といって良いのかは分からぬが……」

 軟革鎧の上に青銅製の板鎧を身につけて帰り支度を始めたトゥエの背後で老人特有の声が響く。この村の長の声だ。そう思いながら振り返ると、昨夜より二回り以上小さくなった老人が俯いた表情で立っていた。

「いえ」

 その変わりように、トゥエも思わず俯く。

 人々はとにかく無事だったが、家畜と、収穫したばかりの穀物は全て魔物達に食べられてしまっている。これでは、この先の生活はおぼつかないであろう。やはり、禍根は根本から断たなければ。トゥエは改めてそう、思った。

「それに。……そなたの馬も喰われてしまった」

 そう考えるトゥエの目の前で、老人が言葉を継ぐ。

 その、余りにも申し訳なさそうな口調に、トゥエは少しだけ笑った。

「ああ、それなら大丈夫です」

 馬が無くても、帰る方法はある。

「無事な盥を一つ貸して頂けませんか」


 汚れの少ない洗濯盥が一つ、トゥエの前に置かれる。

 その盥をひょいと肩に担ぐと、トゥエは釣瓶が壊れていない井戸へと向かった。

 井戸の水を盥に八分目ほど入れ、波が収まったところで静かに呪文を唱える。

 たちまちにして水面は、リュエルの姿を大写しにした。

 だが。

「……えっ?」

 リュエルの服装が、おかしい。今はまだ、砦で寛いでいる頃だろうに、何故か戦闘用の細板鎧を身につけている。

 そして。

「あっ!」

 思わず叫ぶ。

 リュエルの周りにいるのは、醜悪な魔物達ばかりではないか!

「危ないっ!」

 次の瞬間。

 トゥエは頭から盥に飛び込んでいた。


 水を感じたのは、ほんの一瞬。

 次の瞬間には、トゥエの身体は、丁度リュエルを襲おうとしていた魔物の大きな頭の上に、有った。

「トゥエ!」

 驚いたリュエルの声が、耳に心地良い。

 カルマンに教えて貰った『水鏡の術』は、対象人物の現在の姿を映し出すだけではなく、術をかけた水面に飛び込むことによってその人物の元へ一瞬で行くことができる便利な機能も併せ持っているのだ。

 それはさておき。

 足下の魔物の頭を一蹴りし、その魔物の首筋に短槍を打ち込んでから、トゥエはリュエルに襲いかかろうとする魔物の悉くに向けて短槍を振り回した。

 周りは草原と岩だけだから、魔法を家屋に当てて壊す心配だけはしなくて良い。だからトゥエは、リュエルにだけは当たらないように注意しながら、魔力の籠もった短槍を思い切り良く振り回した。

 短槍の穂先から迸る閃光が、魔物を次々と倒していく。

だが。……相手の多さは、トゥエの処理能力を超えていた。

「ちっ!」

 このままでは、埒があかない。

 トゥエは思いきり力を込めた一撃を一塊になった魔物達に打ち込むと、魔物達が怯む隙にリュエルの手を取り、魔物達がいない方向へと走り出した。

「どうして砦の外なんかに!」

 広い草原を走りながら、それだけ尋ねる。

 返ってきたリュエルの答えは、トゥエの予想通りだった。

「逃げ遅れた村人を放っておけない」

 そういうヤツだ。リュエルは。

しかし感心している場合ではない。逃げても逃げても、魔物達は数にものをいわせるかのように次々と襲ってくる。いつの間にか、二人は再び、魔物達にしっかりと囲まれてしまって、いた。

 トゥエの魔法も、リュエルの剣術も、魔物達の壁を崩すことができない。

 そして。

「あっ!」

 一瞬だけ魔法が途切れたところで、頭上から大きな拳が降ってくる。

 これをまともに受けるわけにはいかない。トゥエは大慌てで横に避けた。

 だが。僅かなその隙を、魔物達に突かれてしまう。あっという間に、リュエルの姿が魔物達の中に消えた。

「やばっ!」

 リュエルを、助けなければ。だが、トゥエを囲む醜悪な魔物達の攻撃は留まるところを知らない。

 そして終に、限界が来た。

 魔物が伸ばす触手が、トゥエの短槍を奪い取ったのだ。

 得物を失い、一瞬途方に暮れる。その僅かな間に、魔物の触手はトゥエの全身に絡みつき、これまでのお返しとばかりにトゥエの全身を締め付けた。

「うぐぅ……」

 声が、出ない。

 息が、できない。

 薄れゆく意識の中で、それでも心配だったのは、リュエルのこと。

 と、その時。

 不意に、全身の締め付けが外れる。

 はっとして周りを見ると、トゥエを囲んでいた魔物の大部分が消えていた。

 リュエルの姿も、ちゃんと見える。その手の中にある、白く光る『石』の姿も。

「消えろ!」

 これまで聞いたことのない声色のリュエルの叫びに、『石』が禍々しく反応する。

 たちまちにして、再び周りに集まりかけていた魔物の大部分が、消えた。

 間違いない。あの『石』の『力』は、魔物を消すこと。

「リュエル!」

 トゥエはそう叫ぶなり、短槍を拾ってリュエルの側へと駆けつけた。

「大丈夫?」

 トゥエに向かってそう問うリュエルの声は、いつもと同じ。

 だが。……トゥエの心にある、この焦燥感は、何なのだろう?

「大丈夫です」

 しかし今はそれについて考えている時ではない。

 トゥエは蟠った想いをぐっと飲み込むと、リュエルに向かってにっと笑って見せた。

「他の、マチウやヘクトは?」

 少なくなった魔物に魔法を打ち込みながら、リュエルの助けに飛び込んでからずっと気になっていたことを聞く。

「魔物に囲まれてから、ばらばらになって……」

 トゥエの側で剣を振りながら、リュエルは首を横に振った。

 ならば。

 トゥエは再びリュエルの手を取ると、魔物が少なくなった方向へと走り出した。

 最初に見えてきた大きな岩の上に登り、辺りを見回す。

 上から見た光景は、惨状そのものだった。

草原のあちこちに、魔物と人間の死骸が転がっている。まだ戦っている人間がいるのが不思議なくらいだ。

「あれは……!」

 ある方向を見て、リュエルが叫ぶ。

 少し遠くで、マチウとヘクトが戦っているのが、見えた。

 二人とも苦戦しているようだが、ここからでは遠い。トゥエは思わず唇をかんだ。

 と。

「消え失せろっ!」

 突然、凶暴な声が辺りに響く。

 リュエルが、叫んだのだ。トゥエがそう認識するまでしばらく掛かった。

 だが。……魔物達は、今度は消えてはくれなかった。

「そんな……!」

 元に戻った声でそう言ったリュエルが、岩の上にへたり込む。

 この石の力は、不安定だ。トゥエはそう直感した。

だが、そんなことに構っている暇は無い。ヘクトとマチウを助けなければ。

「リュエルはここにいて!」

 そう言い残し、岩を滑り降りる。

 その時になって初めて、その岩陰でウォリスが震えているのを見つけた。

「この上に行け、ウォリス」

 青白い顔をしたウォリスに、そう指示する。

「リュエルがいるから」

 トゥエの言葉に、ウォリスは震えながら頷いた。

 そんなウォリスを置いて、ヘクトとマチウが戦っている方向へと向かう。

 だが。当たり前のことながら、魔物達はそう簡単にトゥエを行かせてはくれなかった。

 たちまちにして、再び肉厚の魔物達に囲まれる。

魔法を使うにも、限界がある。消耗しきったトゥエに、この魔物の壁を突破する力は既に、無かった。

 それでも何とか、短槍を振る。ヘクトとマチウを、リュエルを助けなければ。その想いだけが、トゥエを突き動かしていた。

 と、その時。

 魔物に槍を向けていたトゥエの両脇を、雷のような風が駆け抜ける。

 その一瞬で、目の前に居たはずの魔物は全て消え失せて、いた。

「……え?」

 唖然として、辺りを見回す。だが、どの方向を見ても、魔物は一匹も見あたらなかった。同じく唖然としているヘクトとマチウ、そして生き残った自軍の兵士が立っているだけだ。

「助かった、のか。……でも」

 釈然としない思いが、トゥエの脳裏を横切った。

 僅かに首を動かすと、岩の上に、ウォリスに支えられたリュエルが見えた。


 ……リュエルのその手に固く握られた、『石』の姿、も。

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