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 賊徒の男が外に出ると世界は薄明かりに照らされていた。とてつもなく長い時間、あの屋敷内で生きた心地も無く魔術師に背中を見せ続けてきたと思っていたが、思った以上に時の流れは鈍重だったようだ。襲撃だと騒ぎが始まる前から殆ど、外の光景は変わっていない。


 そもそも、今日は運が悪いようでツイていた。奴隷のお守がてら女で遊ぶ事も出来ず、臭い男どもを監視するだけの仕事に嫌気がさし、かと思えば襲撃によって命を失うところを辛うじて繋ぎ止めた。今だに身体は重苦しく、歩くのも億劫になるほどの疲労感が襲いかかってきていた。

 早く町へ行きたいという焦燥すらあった。すでに徒党を組んでいた組織ごっこも終わりを告げ、今は賊徒から浮浪者に格上げされた御身分、下っ端雑用まで討伐依頼の似顔絵などが出回るはずもない。賊徒の男にとって町は身を隠し再起を図るには最適な場所である。残飯を食らうのには慣れているので苦にもならない。


 最悪のところ、悪事は常日頃、辺りを漂うかのように視界へと入り込み、誘惑してくるだろうし、それならばそれで良いとも思えるようになっていた。


 自分は助かったのだからこの命をどう使おうと自分の勝手だった。賊徒の男は城壁に囲まれた大門へと歩き出す。だが、その足取りは一気に重くなる。最初こそ歩いてでも出て行こうという意思が感じられたものだが、敷地内の奇妙さに思わず足を止めて視線を動かして情報の収集に入ってしまう。


 なんだこれは。


 賊徒の男は茫然と立ち尽くした。外には組織が抱え込んだ妖術師とそれらを援護すべく配置された数十人の仲間が居たはずだった。にも拘らず、辺りには戦闘の形跡こそ残ってはいるが、肝心のもの――戦ったであろう仲間の姿は無い。生存しているとは考えていない、何せ魔術師の片割れが居るという話を聞いているのだから、きっと外に居たのも魔術師だろうと思っていたからだ。だからこそ、どうして死体すら無いのか見当もつかなかった。


 月という光源から降り注ぐ弱くもしっかりとした光によって、屋敷に出来た大小様々な陥没が見てとれている。


 ひょっとして皆逃げたのだろうか。そのような疑惑が浮かんできたのだが、頭を左右に振りながら歩を進め始める。自分は助かったのだからここに居る必要はない。そう思い直し、一刻も早くこの場を離れるために駆け足となって城壁の外へと飛び出した。


 外に出てしまえばそこには変わらない光景が広がっている。一本道は小高い丘に上って行き、左手には雑木林が草原の中でポツポツと姿を見せている。前々から、ここは放牧に向いているのではないか、などと言って金庫番の男に笑われた事を思い出した。もう、あの笑い声とともに馬鹿な話をする酒を飲みあう奴らはいない。その事に少々の後ろめたさを感じてしまったようだ。僅かに視線を下ろし、やがては前を向き歩きだそうと右足を挙げた。


「ちょっと待ちな」


 大地に右足を踏みつけた瞬間、まるでタイミングを図っていたように女の声が何処からともなく響き渡った。構わない、走ってしまえ。そう思ったのも束の間、突然ながら賊徒の男に熱気が襲いかかった。思わず立ち止り辺りを見回しながら声を荒げた。


「あ、アンタの相棒と取引をした!」


 視線の先に固まる奴隷の集団を見つけるも、肝心の女が見つからない。


「そう、で? 取引内容は何かな」


 まるでやり取りを楽しんでいるかのような声に、賊徒の男から血の気が失せて行く。それでも、取引内容を姿の見えない女に告げる。取引は自分の命を保証する代わりに、奴隷解放の手伝いと金品の譲渡である、と。大声を張り上げた賊徒の男は荒々しい息を吐き漏らした。周囲にはその息遣いだけが流れ消えていく。


「妥当なところだな」


 女の声が何故真上から聞こえてきた。賊徒の男は迷わず上を向いた。その先に――女が浮いていた。真っ赤に燃え盛る翼を背中に生やしながら、悠然とそこに佇んでいる。賊徒の男は自分の理解が追いつかない現実に言い知れぬ眩暈に襲われてしまった。


「ま、そんなこと関係ないけどな」


 だからこそ、女の発したその言葉に対して反応が遅れた。

「えっ?」


 首が飛んだ。賊徒の男は自分が回転しながら月と赤い髪と赤い瞳の女を見ている状況を不思議そうに、呆けてながら――自分の死んだ事にも気付かぬ内に命を失っていた。


「契約したのはオレじゃない。そうだろ?」


 奴隷の集団から女の悲鳴が一瞬だけ漏れるものの、不自然に途切れてしまう。見れば男どもが必死の形相で涙を流す女の口に手を被せていた。奴隷達の身体は小刻みに震えていた。純然たる恐怖によって、月明かりのように弱々しく、青白い肌を見せる奴隷達はただ、助けれてくれた魔術師たちが気まぐれを起こさない事を願うかのように、息を殺していた。


「遅い」


 地面に降り立てば先ほどまでの熱気など嘘のように消え失せてしまう。


「悪かった。黒髪の半身魔獣が相手でな」


 赤髪の女――イースの視線の先にまるで闇夜から這い出てきたようにロイが佇んでいた。


「楽しめた?」


 笑みによって細まるイースの赤い瞳に、暫しロイは返答に困っているような無言を貫き、ため息を漏らした。


「面倒だった。黒髪の半身魔獣なんて珍しいもの見たがな。収穫は――そうだな、”ウル”って名前くらいか。微妙なところだ」


「……それは良かった。ま、ロイの事だから楽しみを残すわけでもなく殺したんだろうけど」


 その言葉に、鼻でせせら笑うイースにロイは怒ることも不満をぶちまける事もしない。


「そっちは楽しんだようだな」


 辺りに見受けられる戦闘の名残を一瞥しつつもロイは気だるそうに口を開いていた。イースがご機嫌な時は大抵のところ強い相手と出会った時くらいだ。ならば妖術師でも神聖召喚などという崇高で残酷な高等魔術を使う輩も居たのかもしれない。


「久しぶりに当たりだったかな。そっちは新しい甲冑を?」

「使う必要を微塵たりとも」

「それは、残念」


 引き締まった緊張感もない。仕事終わりに談笑を繰り広げている、そのような穏やかでゆったりとした雰囲気が辺りを熱していく。奴隷達も、動揺から立ち直ったのか先ほどよりはしっかりと地に足を付け、二人を観察していた。


「ほれ」


 ロイは背負っていた袋の一つをイースに投げた。雑音を振りまきながらイースの掲げた右手に収まる袋を紐解き中身を拝見すると、イースの顔が綻んで行った。


「御苦労」

「報酬なんか当てにはならんからな」

「解っているじゃないか」

「慣れた、と言ってくれ。ようやっとだ」


 ロイは残った袋を地面に置くと懐から一本の赤い棒を取り出す。


「火」

「はいはい」


 イースは面倒くさそうに人差し指をその棒に向ける。人差し指は丁度棒から伸びる紐で固定すると掌を上に向け、第二関節を屈伸させる。すると、勢い良く赤い棒に火が灯り、その棒の色と同じような赤い煙が勢い良く立ちこめて行く。ロイはその棒を放り投げると奴隷に向けて言葉を発した。


 時期に町から今回の依頼主が救助隊を送り込む手はずになっている。それまではどこにも行くな。


 その言葉に奴隷達は一応に頷くとある者は安堵のため息を、ある者は嗚咽とともに崩れ落ちた。ロイは疲労感を多分に含んだ長い長い溜息を吐き漏らすと一本道を歩いて行く。イースはその後ろを――ロイの持ってきた袋を握りつつも後を追うようにつき従っていく。


「飛ぶか?」

「良い、こんな良い夜だ。少しは余韻に浸る」


 イースの言葉に、そうか。とロイが答えると、二人は言葉を交わすわけでもなく、かといって肩を並べて歩く事もなく、ただ来た道を引き返すように歩を進めて行った。




<了>

プロローグ的な終わり。

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