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いち

 外から微かに聞こえてくる人の叫びとも怒号ともとれる声の数々。その声に付随するような振動がロイの身体と屋敷を揺すって行った。


 歩くだけでは軋みすら鳴らない木製の廊下をロイは嘆息を吐き出しつつも闊歩していく。壁は何故か深紅に染め上げられ、金や銀の線が幾何学な模様を作りなし、あたかもそれが蝋燭の火に輝く蜘蛛巣のようであった。


「馬鹿騒ぎも節度を持って大概にしてほしいもんだ……」


 思わず独り言がこぼれ落ちてしまう。外にいるイースは思った以上に楽しんでいるようだった事に対して不満こそ募らせるものの、任されてしまった依頼をぞんざいに扱う事だけはしなかった。


 ロイは肩を竦ませつつも、突然ながら身を屈ませ廊下を疾走する。相も変わらず廊下は音を立てず、静寂を維持してはいるが、ロイは耳元で風が自分の身体によって切られていく音をしっかりと聞き分け、俺もまだまだだな。などと勝手に自嘲すら引き起こしていた。


 視線の先から聞こえてくる悲鳴と怒号。十五人ほどの賊徒を殺しつつ屋敷の奥に潜入し、ようやく当たりを引いたか。そんな事を考えつつ、薄暗い廊下に黒曜石を纏うかのような色を持つ外衣を頭からすっぽりと被ったロイは影のように違和感無く周囲に交わりつつも、賊徒の背中を視界に納めた。


 今夜の仕事はイースが勝手に貰ってきたもので、ロイは詳細な情報を当日。この屋敷に踏み込む直前に口頭で説明、もとい”奴隷と中の掃除よろしくね”という言葉によって送り出されてしまっていた。イースの言葉から相手が奴隷商人や人身売買によって勢力を拡大している徒党だという事は察しが付く。


 屋敷の周りは城壁が取り囲み、古ぼけた平城とも見える外観を持っていた。そのような所を占拠できるほどの規模を有している事に感嘆したものだ。有無を言わせず付いてこいと言われ、ロイがその外観を眺めた時は、まさか人間を相手にするとは思いもよらなかった。


 詳しい情報や理由を聞こうとした所で、既に契約をすませてあるとイースに睨まれてしまえばその凄みに反論する事も出来ず、この仕事を完遂する事に意識を集中させた方が揉めるよりは楽だろうと思い直していた。だからと言って、情報もなしに徒党を組む賊徒の本拠に踏み込むのは億劫だった。単純な殲滅ならばこれほどロイが肩を竦ませ、気配を極力消しながら賊徒を暗殺していく必要はない。この屋敷を破壊し、その瓦礫で生き埋めにすれば良かったのだ。


 出来ない理由が居るであろう場所へ案内する賊徒の背中を追いながら、ロイは腕を前方に伸ばし、指先に意識を集中させる。すると、ロイの指先が妙に黒々となり、やがては鋭利な刃物へと変貌を遂げた。賊徒は遂に一度も振り向く事無く突き当りを右に折れた。耳をすませば悲鳴や混乱の喧騒は左手に折れており、右手からは慌ただしくも殺気だった男たちの大声が響き渡っていた。


 ロイは曲がり角の手前で止まり、壁に身体を寄せる。


 挟撃されたとてロイ個人としては問題はならない。ただ、依頼が失敗に終わる可能性が高いという事においてロイは慎重にならざるを得なかった。失敗した依頼がない、というわけではないが、元々は信用商売。悪評が響けば仕事は来ない。きっちりと遂行してこそ安定した生活が望める事をロイは知っているし、そうしたリスクを持ちながら困難な依頼をこなす事が好きな性格をしている。故に、奴隷として売られるために誘拐された人間を一人たりとも殺させるわけにはいかなかった。難易度はそれなりに高い、ここにきてロイはようやく固い表情を崩した。


 即座に放てる黒光りする針は十本。だが、ここにきてロイはせっかく作りだした黒い針を霧散させると、懐に手を忍ばせ、内から二本のナイフを取り出し、自身でこの現状における難易度をさらに押し上げた。


 ――魔術行使無しで遂行する。


 自分ルールを設けると俄然やる気を出したロイは口元で無邪気に笑みを浮かべた。


 室内でしかも廊下という狭い空間において、強襲に浮足立っている賊徒達が組織的な反撃を試みるも巧くは行かないはずだ。適当な楽観を持ちつつ、槍を持つ者はいないだろうとも見切りをつけるとこれまた弓持ちが居ない事を安易に祈りつつ、左手に曲がり賊徒達の前に躍り出た。


 奴隷は全部で八人。思ったより少ないと思ったが、奴隷全員の手枷に黄色い布が巻きつかれている事から小分けされていると推測する。


 ロイの姿を初めに確認したのは奴隷たちだった。賊徒は五人だったが、その全員は奴隷の誘導係に二人、反乱を起こさぬようにしている見張りが二人、部屋から出てきた一人。


 ロイは迷わず監視している二人にナイフを投擲とうてきすると命中を見ず、自身も駆け出す。幸いにして賊徒達は帯剣している者たちだけだった。尤も、背中にいる者達は判断できないが、今は目の前の賊徒に対処する。


 ロイが奴隷に駆け寄った刹那、二人の賊徒にナイフが命中する。一人は心臓を背中から、もう一人はふとロイ側を見た瞬間、額に音を立ててナイフが突き刺さり、仰向けに倒れ込む。誘導しようとしていた賊徒が唖然とロイを見つめていた。あまりの出来事に声を失った賊徒は身動きもできず、ロイの殴打を喉に受け、もう一人は逃げようと背を向けた瞬間、首筋に鋭く迫った手の刃によって意識を刈り取られていた。喉を潰された賊徒は蹲り、その側頭部を綺麗にロイの蹴りが決まった。


「鍵は」


 意識のある最後の一人にロイはそう告げる。一瞬の出来事だった。瞬きこそ許されるものの、その場に居た奴隷も生き残った賊徒も何が起こったのか理解できないように目を見開き、ロイを凝視していた。


「テメェ」


 通路右手にいた賊徒達がロイの存在にようやく気付き、怒声を張り上げながら襲いかかってきていた。荒々しい足音が乱雑に鳴り響く最中、それでもロイの視線はへたり込んでいる賊徒に向けられている。フードを被り、影で顔が良くは見えない得体のしれない人間に賊徒は完全に委縮してしまっていたが、なんとか腰に隠していた鍵を取り出すとロイに差し出す。賊徒の男にとって、駆け付けてくる仲間が目の前の男を殺してくれる、などという気持ちにはどうしたってなれなかった。


「た、頼む助けてくれ」


 その言葉を無視するかのように、ロイは鍵を奪い取ると無造作に奴隷へと投げつけ、その投げつける動作によって襲いかかってきた剣の一打を綺麗に避けた。賊徒は重心が前に掛かり大きく態勢を崩すが、ロイはその賊徒を見送ることはせず、今しがた斬りかかってきた賊徒の腕を掴み、相手の勢いそのままに投げ飛ばす。相手は面白いように吹き飛び、受け身を取る事も出来ず床に叩きつけられ、僅かばかりの身震いらしき痙攣をした後、一切の動きを止めてしまった。


 投げ飛ばした時に賊徒から器用に武器を奪い取っていたロイは、続けて襲いかかってきた賊徒の対処を淡々と進めて行った。腕を斬り飛ばし、腸が飛び出る傷を負わせ、賊徒の身体に刃で穴を開けて行った。


 充満する血肉の臭いとそれに付き添う断末魔に、奴隷達の多くは恐れ慄き腰を抜かすようにへたり込んでいく。賊徒の男はなんとか立ち上がろうとしていた。本人は必死の形相でうんうんと声を出し、この場から立ち上がり逃走しようとしているが、いかんせん完全に腰が抜けてしまっているのかまったく動く事が出来ていない。彼の足が笑い、唇が震え、冷や汗が止まらない。


 それでも、賊徒は唇と噛み切って血を流すと身を傷つけた事が功を奏したのかようやく立ち上がる事が出来るほどに力が戻った。こうの好機を逃すはずもなく、一気に走りだそうとした。


「他の奴隷はどこだ?」


 ロイの言葉が賊徒の耳元で囁かれた。少なくとも賊徒の男はそう感じられるほど、はっきりと聞き取る事が出来た。


 既に脱出不可能な牢獄に囚われてしまっていた賊徒の男は走りだそうとした身体を直立に戻し、ゆったりと振り返る。ここで逃げても死ぬしかないと直感が叫んでいたからだ。


「い、居場所を教える。何だったら助ける手伝いもする。だ、だから助けてくれ」


 賊徒はロイを見据えて言葉に詰まりながらも交渉を持ちかけた。息が荒く、呼吸が乱れ瞳は見開かれているが、先ほどとは打って変わり、笑う膝に鞭打って直立を維持していた。


「なるほど」


 ロイはそう言葉を返した。


「お前の命を助ける。その対価が依頼の完遂か」


 殲滅が依頼ではない。あくまで奴隷の解放が依頼内容だとロイは考えている。とはいえ確証はないが、イースが奴隷という単語を出している事から救出が主軸となっている事が解り、且つあのイースが外の妖術師相手に遊んでいるのだから殲滅ではないと決め付けた。


「まだ、弱いな」

「よ、弱い?」

「もっと何かないのか。お前の命は思っている以上に軽いぞ?」


 奴隷を探すのは確かに面倒ではあるが、だからといってこの賊徒を生かしておく理由にはならない。

 

 賊徒の男は必死に考えを巡らせ、幸運にも助かる道を探し当てた。


「わ、解った。残っている金目の物は全部お前に渡す。これで、どうだ」


 男は金庫番をやっていた賊徒とは仲が良かった。複数ある金庫、あの金庫にどの鍵を使うか。また、その鍵はどこに保管されているか。根掘り葉掘り、賊徒の男は酒を飲み交わして聞いていた。いつかちょろまかしてやる、そんな小さな野望が今、役に立った事に賊徒の男は感謝した。


 金品の譲渡を聞かされたロイは口元を厭らしく歪めて笑みを作り出す。


「俺はお前を殺さず傷もつけず、金品を無償で譲り受ける。……了承しよう。口頭での契約だが破棄は許されない」

「あ、あぁ……俺は五体満足でこの屋敷から無事出られ、その後も、」

「解っている。まずは奴隷の確保からだ」

「わ、解った。だが、奴隷には俺たちみたいな、」


 奴らが張り付いている。賊徒の男はそう忠告をしようとした。そうすることによってさらに自身の命へ付加価値をつけようとした。


「何か問題でも?」


 何気ない言葉。怒っているわけでも見下しているわけでもない。ただ、本当に何か問題があるかという純粋な疑問。思わず賊徒はぐっしょりと冷や汗で濡れた背中を伸ばし――ありません。そう答える事しか出来なかった。


「奴隷諸君も自由の身になったな。今回はお前達の救出が俺の目的だ」


 そう言ってロイは振り返った。


「すぐ手前にある廊下を右に曲がり、後は賊徒の死体が転がっている通りの道順を進めば屋敷から出る事が出来る。途中、賊徒に遭遇することはない。その点を実証する事も出来るが面倒なので、信用してもらおう」


 奴隷の内、誰かが喉を鳴らした。


「屋外に出ると赤い髪の女が居るはずだが、そいつに自分達は奴隷でした。そういえば大丈夫だ。勝手に逃げ出す事は許可されていない。面倒事にならないために待機を望む」


 飄々と言ってのける目の前の男に奴隷達は言い知れぬ畏怖に支配されていった。何よりもその風体に心当たりがあった者が居た。


「あんた、魔術師か」


 一人の奴隷が発した言葉に、全員が顔を引き攣らせた。


「あぁ、だから何も――問題はない」


 フードから見える顔の部分といえば鼻から顎までだ。奴隷達にとってそれだけでも十二分にロイが今、笑みを浮かべた事を大いに理解する事が出来たし、従わなければどうなるか判らないと悟ったようであった。奴隷達は後ずさるように、やがては走りだして廊下の角へと消えていった。


「さて、行こうか」

「へ、へい。付いて来てください」


 賊徒の男は、生き残るために悪魔のような男と契約を交わした。奴隷の解放、せっかく集めた金品の無償譲渡。これから行く場所に居るであろう仲間の命を差し出して、自分は生き残る選択をした。その事に対しての罪悪か、それとも魔術師と言われたロイへの恐怖からか。賊徒は干からびてしまうかと心配になるほど、汗で衣服を濡らしつつも泥濘を歩くかのような重い足取りに鞭打って、そそくさと案内を始めていった。




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