リヴァイアサン
石の玉座に腰かけた若い王が、こう言った。
「この椅子はやはり少々硬いな」
「致仕方ございません、何分石ですから」
大臣が答えた。顔を伏せたままだ。この国では、王の顔を直接見ることは禁じられていた。
「石でなければならない理由とはあるのだろうか」
「その玉座は千年に渡ってこの王国に伝わってきたもの、言うなれば伝統でございます。あなた様のお父上も、その父上も、みなこの椅子に座り、王となったのでございます。ですから……」
「もうよい」
王は気をなくしたような声で言った。「下がって居れ」
「失礼致します」
大臣は出て行った。そして王は居室にたった一人になった。
「まるで人柱のごとく」王は呟いた。
「そしてこの椅子は世界のごとく」
立ち上がって、部屋の中を歩いた。王だけに許された黄と紫の刺繍が施されたマントが、重たげに床の上を引き摺った。本棚の前に立つと、そこから一冊の革表紙の本を探した。次々引き出して、本が床の上に積みあがった。ようやく目的の本を探し出したとき、日はとっぷりと暮れていた。王は積み上げた無用の本をそのままに、玉座に戻った。どうせ誰かが元に戻すに違いないと思った。分厚いペルシャ絨毯の敷かれた床は、王の歩くに従って足音を吸い込むように柔らかく沈み込んだ。
その本は、大古の神々がいた時代の伝説を記したものだった。王はその本を、表紙がこちらを向くように玉座に立てかけた。そして自分は正面の床に腰を下ろした。
「ああ」王は独り頷いた。「この方が良い」
王はその本の中身をすっかり覚えていた。大昔の人間が戦争をして、双方が勝利を神々に祈る。神々はその祈りを聞き届けようとするが、どちらの人間の側につくかで神々の間にさえ亀裂が生まれ、戦争が始まってしまう。
何と人間らしいことだろう、と王は考えた。彼は神話を信じていた。神話のあった時代と、神々のいた時代と、神々と人間がともに暮らした時代。しかし今では、神はどこにも居なくなってしまったらしい。戦争に勝利者はなくなり、神の教えの敬虔さは去り、そして人間の時代が終わりを告げようとしている。
「国民は人間ではない。しかしその一人ひとりは確かに人間なのだ。お前にこれが分かるか?」
と父王は嘗て問うた。
「分かりません」
「構わぬ。お前はこの石の玉座を継げばそれでよい。この白い大理石の塊の上に座して、世界の上に腰を下ろすのだ。お前は人間だ。しかし同時に、世界を下にする存在でもある」
父王は静かに、しかし威厳を持って、こう言った。「神となれ」
そして彼は王位を継いだ。父はすでにこの世にない。神は地に墜ち、無言の視線を墓から向ける存在となった。その視線を彼は常に背中に感じる。石の背もたれに身を任せている時以外は。
「人間の時代が終わるのです」王は呟いた。
「その次には果たして何の時代が訪れるのでしょうか?」
真っ暗な居室の中で、王は神話に向かって祈った。
その時、どこか遠くで鬨の声が起こった。王は顔を上げた。窓から眺めると、遥か向こうに真っ赤な火が立ち上がって、妖しく揺らめいているのが見えた。地獄の怪鳥が赤い咽を震わせて、断末魔の叫びを上げているような、そんな不思議と哀しい、そして恐るべき光景だった。裂けた大地の底から、得体の知れない怪物が湧き上がって、戦いの喇叭を吹き鳴らした。王はぱっと窓から離れると、壁にかかっていた宝剣を取って、鞘を払った。薄暗い部屋の中で、薄く鍛えられた鋼が煌々と輝いた。振り向きざまにそれを振った、途端に、玉座の本が、ことりと音を立てて倒れた。
王は部屋を飛び出して、城の中を走り回った。しかしそこには大臣も、召使も、姫も、貴族たちも、誰一人いなくなっていた。
かなり毛色を変えてみたつもり……慣れないです。