ラブレター
また火事があった。
市内で一件、隣町で一件。
一人死者も出たらしい。
不審火だと確定されたらしく、
町の中を消防車やパトカーが頻繁に見回りをしている。
不審火、いわゆる放火だ。
その話題を聞いた途端、この間の出来事が思い出され、
気持ちが沈む。
今日のバイトは早番でランチタイム出勤だったから、
夕方の五時には家路に着くことが出来たのだけれど、
一人暮らしのアパートには気が重くて帰る事が出来ず、
私は従姉妹の五見の家に向かった。
明日は休みだし、夕飯をご馳走になって泊めて貰おうと決める。
両親兄弟のいない、唯一の姪っ子の私の頼みなら、
叔母さんは絶対嫌な顔をするはずがない事を、私は知っていたのだ。
犯人は一緒なのだろうか。
こんなに頻繁に同じ地域で放火が連続して起こるのが、
違う人間の仕業だとは思いにくい。
やはり、同じ人間の仕業だと思っていいのだろう。
見つからないのをいいことに味をしめて、
繰り返しているに違いない。
あの男なのか。
この間、異様な子供が指差した男の顔はしっかり覚えていた。
やはり、あの男が犯人なのだろうか。
あの時、私は叫びでもして、
糾弾するべきだったのだろうか。
「この人が犯人です!」
そうすれば、その後の放火は防げたんだろうか。
でも、私はその男が実際に火をつけたところを見たわけでもなく、
ただ、子供の妖怪が指差していたというだけで、
その男を犯人扱いしているわけなのだけれど。
確かめようにも、いつも他の死んだ人たちがするように、
その子供の妖怪は、私のもとへ改めて現れることも無かった。
だから、どうしようもなかった。
己への、
言い訳にしか過ぎないのか。
五見の家に行くと、
居間で五見は英語の宿題をしていた。
五見の妹の中学一年になった七見は、テレビにつながれたプレステで遊んでいた。
叔母さんは台所のダイニングテーブルの椅子に座って、
肘をついて何か手紙のようなものを見ていた。
そして勝って知ったる私が台所に入っていくと、
ため息をつくようにしながら、叔母さんは私を見て微笑んだ。
なんだかその様子は妙に艶っぽくて、どきりとした。
例の作業服の男は、まだそこにいた。
俯いたままなのは、前に見たのと一緒だ。
くたびれた作業服の名前も、「工藤隆」と読んで取れる。
この間と違うのは、叔母さんに近づいていることだった。
前は、台所の隅に立っていたはずなのに、
今日はぐっと叔母さんに近づいていた。
ダイニングテーブルに座る叔母さんの、
二、三歩後ろまでのところに近づいている。
何にもしなきゃいいけど・・・
と、心配したものの、叔母さんの例の特殊な体質、
どんな悪霊に憑かれても、けろっとしているという体質なら、
別に何の心配も無いだろうと思い直した。
「よ」
居間のソファーの上にトートバッグを放り出して、
五見に声をかけると、
「いらっしゃい」
ちらりと目を上げて、五見は口の端を上げて笑って見せた。
私がソファーに座ると、
カーペットにぺたりと座っている五見が、ぼそりと言った。
「聞いたよ、また昨日と今日火事があったんだって?
真備ちゃんの住むところの近くで」
「うん」
うなずいていると
「罪悪感?」
五見が覗き込むような目で言う。
「まね」
私は肩をすくめて言った。
七見が何やら、ゲームのコントローラーを放り出して台所へ駆けて行ったと思ったら、
「真備ちゃん、お父さんのビール飲む?」
くるりとした大きな目が可愛い美少女とも言える七見は、
台所の冷蔵庫から缶ビールを取り出して来たらしく、
それを私に突き出して立っていた。
七見には死んだ人は見えない。
だけど、お祖母ちゃんの血は確かに彼女に伝わっていた。
七見は稀に見ないほどの、霊媒体質で、
しょっちゅう色んなものに憑かれては、病気をしている。
この間は正体不明の熱にうなされて、二週間入院したばかりだった。
通りすがりの性質の悪い亡者の霊に憑かれていたのだった。
私と五見にはそれが見えるのだけれど、
どうしようもなかった。
七見は七見なりに、自分の事を分かっていた。
何か見えないものが、自分に憑いているというのは、
理解していた。
だけど、知ってはいるのだけれど、
彼女にもどうすることも出来ないのだった。
病院の手当ては何の役にも立たず、
七見の熱を下げることは無かった。
そして、彼女は一時生死の間を彷徨っていた。
それを、忙しく全国を飛び回っているおばあちゃんが、
講演会などの予定をキャンセルしてぎりぎりのところ間に合って、
二日二晩、七見を看病した。
表現するには難しい、色んな怪しい物をたくさん使って、
お祖母ちゃんは七見の熱を下げた。
この世の人には見えないたくさんのものを使って、
七見に憑いている亡者を祓ったのだった。
「有難う」
私は言って、七見から缶ビールを受け取った。
「私みたいに見えないことにしちゃえば、いいんだよ」
私と五見の事を、彼女なりに理解している七見は、
私を励ますように言った。
「他の人と同じように見えないなら、分からないことなんだから。
しょうがないってことじゃない?」
不意をついた七見のその優しい言葉に、私は思わず涙ぐんでしまった。
慌てて涙を押し戻して、私は七見に笑って見せた。
「うん、ありがとう。大丈夫だよ」
「いっそ、テレビに出ちゃうか」
五見がつっけんどんに言う。
「そうすれば、言いたいことがその場で言えるんじゃない。
あいつが犯人だ!ってさ。他の霊能者と言われている人達みたいに」
私は答えず、黙って五見を見た。
五見は苦笑いをして、教科書に目を戻した。
私達は知っている。
テレビがどういうものかということを。
画面のこちら側から見ていて、それは分かることだった。
「お母さん、おなか空いた!」
七見が台所の叔母さんに訴える。
「ああ、ごめん。今日は出前でいい?悪いね、真備ちゃん」
叔母さんは私達の会話なんて耳に入ってなかったようで、
まるで夢からさめてはっとしたようのに、慌てて言った。
「ぜんぜんOK」
私が言うと、叔母さんはそれぞれの好みの店屋物の出前を頼んだ。
「どうしたの、叔母さん。何だか様子が変だけど」
いつもはどんなに待たせようとも、
手料理で目一杯もてなしてくれる叔母さんが、
今日は出前!
驚いた私は、出前の天丼を食べながら、
叔母さんの座っているダイニングテーブルの向かいに座って聞いた。
「いやね。今日これをもって来た人がいてさ」
叔母さんは自分のカツ丼を食べる手をとめて立ち上がり、
整理ダンスの引き出しから手紙の束を持って来た。
さっき眺めていたものなのだろう。
私は手にとってそれを見てみる。
「お客さんで毎日のように来てくれていた人がいたんだけれど、
その方が一週間くらい前から姿が見えないなと思っていたら、
仕事場の事故で亡くなっていたんですって。まだ若い人なのにね。で、その方の親戚が、
荷物を整理していたら、この手紙の束が出てきて私のところへ持って来たってわけ。
供養だと思って受け取ってくださいって言われてさ。びっくりしたわよ」
叔母さんはため息をついて言った。
叔母さんはホカ弁のパートを、週に3回ほどしていた。
そこのお客さんのことなのだろう。
冷やし中華を食べていた五見と私の目が合う。
同時に叔母さんの後ろに立っている作業着姿の男をちらりと見た。
そして目を手紙に戻して良く見る。
手紙はおよそ、三十通くらいはあるようだ。
どれも表には住所は無く、叔母さんの名前「楠木人見様」とだけ書いてある。
そして裏には「工藤隆」。
やはり、この俯いている作業服の男だ。
死んだ日からずっと、どうやらここにいるに違いない。
中の手紙を取り出す。
そして、ざっと内容に目を通して、
「叔母さん、これラブレターじゃない?」
私は素っ頓狂な声で言った。
五見が口の中から思わず冷やし中華を吹き出し、
七見はチャーハンを吹き出した。
楠木人見様。
あなたと出会う前までは、
生きるということは、
ただ我慢の連続の繰り返しなのだと思っていました。
誰でもが生きるという痛みに耐えて、
ただ与えられた寿命をまっとうするだけの目的のために、
この世に生を受けているのだと。
人間もなんら他の動物と変わらない、
ただ働いて食べて寝てを繰り返すだけの動物なのだと、
暗く毎日を過ごしておりました。
でも、人生と言うのは不思議なもので、
それまでは白黒の殴り書きのようなものだったのが、
ほんの些細な出来事で、
一瞬にしてばら色の素晴らしい風景画に変わるものなのですね。
人を愛するというのは、
やはり素晴らしいことなのです。
あなたに出会いそれを知りました。
楠木人見様、
僕は何も望んでいません。
ただ、時々あなたの笑顔を見て、
柔らかい声を聞けるだけで、とても幸せなのです。
そんな単純なことだけで、
人生というのは輝くものになるのです。
犬猫よりもくだらない人間だと、
僕は自分を卑下していましたが、
今は違います。
あなたと出会ってからは、
明日を待つ事が楽しみになり、
あなたと会うことにこの心臓がときめき、
やはり、僕も人間だったのだと、
しみじみ思いました。
あなたの作る弁当は、
とても美味しく、
今では欠かせない僕の毎日の活力になっています。
そして、明日またあなたの笑顔に出会えると思えるからこそ、
今日を頑張ることが出来るのです。
工藤隆
「どうしてこの人は、叔母さんの名前知ってたの?」
私が聞くと、
「名札つけてるからね」
叔母さんはため息をついて答えた。
「工藤さんは毎日のようにお弁当を買ってくれていて常連さんだったから、
世間話とか挨拶は普通にしてたけど、まさか好いてくれてるとは思わなかったわ」
「お母さんも、まんざらじゃないねえ」
七見がどこで覚えて来たのか、そんな言葉を使う。
叔母さんはフッと笑って、
「まんざらじゃないでしょ?結構かっこいい人だったわよ。でも、可哀想にねえ。
まだ二十代後半くらいで、若かったのに、作業機械の故障を調べているときに、
機械に巻き込まれて亡くなったんですって」
五見と目が合い、また何気に叔母さんの後ろにいて俯いて立っている「工藤隆」を見てしまう。
亡霊ストーカーかよ。
なんだかこのままにしとくと、悪いことが起きるような気がしてきた。
五見も同じように思ったらしい。
これはお祖母ちゃんに相談するしかないか。
そう思っていると、
「何も出来ないけど、せめてご冥福を祈ってあげたいわ」
叔母さんが言って、手紙の束に向かって手を合わせて目をつぶった。
ふと、工藤隆がゆっくりと動き始めた。
私と五見ははっとして、息を飲んで見守る。
そのダランと下がっていた両手が上にゆっくりと上がる。
何をするのかとはらはらしてみていると、
なんと工藤隆は叔母さんの背中に向かって両手を合わせたのだった。
彼の冥福を祈る叔母さんの背中に、彼は何を祈ったのだろう。
もしかして、叔母さんの幸せなのだろうか。
私は工藤隆から五見に目を戻して、首を傾げてみせる。
どういうこと?
さあ・・
目で五見と会話をする。
そんな私達の様子を、七見は不思議そうに見ていた。
聞きたいことはあるようなのだけれど、
お祖母ちゃんの仕事に反感を持っていて、
霊などの存在を信じていない叔母さんの前では、
そういった会話はご法度になっているのだった。
そして、もう一度工藤隆を見る。
すると、もうそこに彼の姿は無く、
一週間びっちりと叔母さんの近くにたたずんでいたのが嘘のように、
それきり、姿を消してしまったのだった。
もう一度、五見と目で会話する。
そして彼が悪い物なのではないかと疑ってしまった自分達を、
目を伏せて、反省したのだった。
自分の言いたい事、伝えたい事を知ってもらえると、
満足するのか、すぐに姿を消してしまうのは死んだ人の常で、
そのために生きている人達は死んだ人たちのために祈るのだけれど、
死んだ人が生きている人のために祈っている姿は初めて見た。
決して報われることの無い思慕の念を、
決して貰われる事の無い手紙にしたためて満足し、
毎日を一社会人としての義務を全うして真面目に働き、
そしてその死後は、遠くから見守っていた人の幸せを祈って手を合わせ、
この世から消えていける。
なんと尊い人の生き方だろう。
他人の迷惑を考えず、
間違った価値判断だけで生きている人達が多く闊歩しているこの今の世で、
彼はまるで聖人だ。
私が人を愛するときが来たら、
彼のように愛することが出来るのだろうか。
多分、無理に違いない




