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鬼録   作者: 小室仁
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記憶

「ねえ、五見。あんた自分の前世って分かる?」


私は膝を抱えて缶ビールをすすりながら、

目の前で膝の上に分厚い国語辞書の大辞林を抱えて読みふける、

四つ年下の従姉妹に話しかけた。

「しかし、何であんたよりによって国語辞書なんか読んでるのよ」

疑問を二つまとめて放り投げると、五見はようやく顔を上げて、

「下手な小説より面白いから」

最初の質問は無視をして、

二つ目の私の質問に、五見は相変わらず無愛想な感じで答えた。

「へえ」

相槌とも疑いとも取れる声を喉から搾り出して、

私は、黒目がちの日本人形のような従姉妹を見つめた。

「何でそんな事聞くの」

辞書に目を戻しながらも、私の視線を意識してか、

五見がぼそりと続けて言う。

「いや、なんとなく」

私は残り少なくなった缶の中身をすすりながら、

これまたぼそりと返したのだった。




いつもの居酒屋のバイトの帰り、

早番だった仕事が9時には終わったので、

給料前の懐が寂しい今日は従姉妹の家に押しかけ、

タダ夕飯をご馳走になったのだった。

叔母さんの美味しい手作りのハンバーグの夕食をご馳走になった後、

こうして五見の部屋にて、

またしてもタダの食後のビールを飲んでいるというわけだった。




「前世を知って何がしたいわけ?」

五見は辞書に俯き、無愛想なままだ。

「別に何がしたいってわけでもないけど、興味があるじゃない?

 今はテレビの番組なんかでも、盛んにそういった事が流れてるし」

私が肩をすくめて言うと、

「興味ねえ。本気で言ってるの?」

五見が辞書からすくっと顔を上げた。

「じゃあ、教えてあげようか。真備ちゃんの前世。たくさんあるけど、

 どれがいい?一番悲惨なやつ?」

真っ直ぐに私を見て、五見が言う。

私は一瞬、たじろいだ。

「あんた、分かるの?」

五見の視線を真っ向から受け止めながらも、

私は怖気づく。

そんな私を見て、五見も肩をすくめる。

「真備ちゃんは、分からないの?」




知っていた。五見が私よりもこの能力が高いのが。

でも、私は今までそれがラッキーだと思っていた。

そして、多分これからも。

もし、私が五見と同じように、今よりももっともっとたくさんの事が分かるとしたら、

それはきっと、私の寿命を縮めるだけだろうと思っていたから。

何故なら、私は五見のようには強くなれない。

今まで必死で自分と戦って来て、

ようやく、本当にようやく、今まで勝って生きながら得てきたのだ。

もし、私が五見の立場になったとしたなら、

今までと同じように生きながら得れるかどうかは、

はなはだ怪しい。

というか、多分無理だろう。



自ら死のうと思う悩みは、永遠に続く。

いつかは誰でも確実に死ぬと分かっていても。

弱い人間ならばこそ、生きている間は永遠に引きずる課題だ。


強い人間は直ぐに自ら死んでしまう。

潔く。

でも、その結果がオーライになるわけではないと知っているから、

ただそれだけの理由で、私は死ねない。

この辛い経験をいちから繰り返す勇気がなければ、

自ら今の自分を放棄出来ない。

だって、次に背負うものが恐ろしいのだ。

命は続く。色んな役柄を背負ったロールプレイングゲームとして。

人生は全て、得点だ。

プラスマイナスがいつも計算されているゲーム。


強い人間が自分を潔く殺しても、

ゲームと違って、それはリセットにはならないのを、

誰か、ビルの屋上から飛び降りようとしているおっさんに教えてあげて欲しい。

そう、死んだからといって、

全てリセットになるわけではないのだ。

良いことをした、悪いことをした、

経験はリサイクルマークのついた魂に全て点数として刻み込まれ、

使い捨ての肉体を生まれ変わり、生まれ変わり、

合計の点数で、何かを目指す。

人は、同じ過ちを経験するために生まれ変わり、

それがクリア出来て初めて、次のステージに行ける。

何を目指しているのかは、

私みたいな中途半端なものには、

とうてい分からないのだけれど。





「あんた、自分の前世は分かってるの?」

私は少し尖った口調で聞いた。

何故なら、私は私で自分の前世が分からないから。

すると、五見は辞書に目を戻して、

「ある程度はね」

そっけなく言った。

「あんたはいいわね。いつも冷静で強くて」

空いたビールの缶を手の中でつぶして、

私は苦笑いして言った。

「冷静で強くなろうとしているから、そうなっただけだよ」

五見にしては珍しく、捨て台詞のように強い口調だった。



「真備ちゃんは、女の人を愛したことがある?」

ふと、五見が辞書を閉じて私を見て言った。

「は?」

私は手の中のつぶれた空き缶を握って、五見を見た。

私達の間に、お互いの表情を伺った沈黙が流れる。

「女の人?」

裏返った声で私が聞き返すと、

ただ五見は黙って私を見返すだけだった。



「無いよ」

ようやく、私が言う。

「私だって、無かったよ」

五見は目を伏せて、自分の膝から重い辞書を床へ払いのけた。



「私の前世で、

 男だった時、物凄く愛した女の人がいたらしくて、その相手が生まれ変わって、

 今、高校の同じクラスにいるの。生まれ変わりは同じようなメンバーで繰り返されるから、

 別に驚くことじゃないんだけど」

五見は伏せ目がちのまま、言葉を続ける。

私は言葉を失って、五見が続けるのを待っているだけだった。


「ただ」

五見はぼそりと呟いた。

「ただ?」

五見はため息をついて、肩をすくめる。

「私じゃない感情と戦うのって疲れる。今の自分の感情じゃないのに、

 クラスメートの女の子を愛してしまっているの。今の私が愛したわけじゃないのに、

 それでも、私の頭の中はその女の子で一杯で、どうしていいか分からない。

 私じゃないのよ?だって、私は別にノーマルだし。どうせなら男の子に憧れたいくちだし。

 でも、魂の奥からその子の事を好きだって、愛しているという気持ちが湧き上がってくるのを、

 今の自分ではどうしようも出来なくて」


五見が諦めたように呟くのを聞いて、

私の中にフラッシュのようなイメージが沸いた。 






若い男と女が口論をしている。

多分、ヨーロッパ。イギリスか。

白人の男女。

女は長い黒い髪をしている。

男は白っぽい金髪で背が高く、色白の頬はそばかすが散っている。


その場の光景は、ひたすら見渡す限りの草原による地平線で、

牧草地のようだ。

二人とも、古い映画で見たような古めかしい格好。

男のほうは袖のふわりとした白いシャツ。

皮のベスト、皮のブーツを履いている。乗馬をするような格好に近い。

女の方はウエストの締まった裾の広がった長いスカート。

色あせた赤いショールを肩にまとっている。


口論をしている。

言葉は聞こえてこないけれど、

激しく何かを言い合っているその二人の動作や雰囲気から、

痴情のもつれだと分かる。


頭に浮かんだ幻の状況を伺って様子を見ていると、

どうやら女のほうは既婚で、二人はままならない恋愛をしていたのが分かる。

五見の前世だという男は、どうしても彼女を諦められなくて、

もめているようだった。

彼女も本当に心を惹かれているのは、目の前にいる五見の前世の男なのに、

どうしようもならないしがらみからか、別れようと話をしているらしい。

そして、私は心の目を閉じた。


その後は、悲劇だった。

自らをも、愛する人をも傷つけてしまう。

どうすることも出来ない衝動。宿命。運命を変えることが出来なかった。

お互いの存在を消しても、何も変らないということを、

その時の二人が、五見が知らなかったいというのは、本当に悲劇だ。







魂の経験。

どの時代でどういった人間で生きていたにしろ、

そういった膨大な前世の経験を踏まえて人間は再生し、

生き続けなければいけないのだろうか。

忘却という救いの舟は幻にしか過ぎず、

忘れているつもりでいるだけで、

今生に生きる肌には洗っても落ちない刺青のように、

しっかりと刻み込まれているのだろうか。




変らなかったものを変えようと、

人は再び生まれ同じ試練を繰り返し、

乗り越えようと乗り越えようと、

何度も同じ運命に抗うチャンスを願って来るのか。





「また出会えた喜びよりも、報われない想いの堂々巡りのほうが辛いと思うのに、

 女同士になってまでも、私の魂は彼女を望むなんて、

 本当に愛っていうものは、不可解で馬鹿げてる」

五見は膝を抱えて座りなおし、搾り出すように言うと、

その両膝の裏側に自分の顔を押し込んだ。

それはまるで必死で、溢れてくる何かを堪えているかのように見えた。






本当の愛というのは、本当に人を愛するというのは、

常に精一杯なものなのだ。

今の私には実体験が無いから、身を持って悩んだことは無いけれど。

でも、理解出来るということは、

きっと、今生の前に、

私も誰かを心から愛したことがあるのかもしれない。




肉体は消え、

魂の記憶としてのみ残った愛が、

こうして生まれ変わってもなお、五見を支配している。

ある意味、奇跡にも思える。

肉を持つ人間が肉を超え、時間さえ超えた場所で起こす奇跡。




五見が大きくため息をついた。

そしていつもの冷静な口調に戻って、

まるで自分に言い聞かせるかのように毅然と呟いた。

「今の私に出来ることは、高校が終わるまであと二年の間、

 普通のクラスメートとして彼女と接すること。

 卒業式の『元気でね、またどこかでね』と笑ってさよならを言う日が来るまで、

 ひたすら過去の自分の気持ちと戦うこと。だって、これは今を生きる私の人生なんだから、

 私は決して負けたりしない」


私は目を伏せて、五見の言葉を聞いた。

そして、ふと立ち上がり膝を抱えて縮こまっている五見をわき目に、

静かに五見の部屋を出る。

階下の台所へ行くと、居間でテレビを見て笑っているおばさんに了承を得て、

冷蔵庫から二本の缶ビールを手に取り、五見の部屋へと戻った。


「飲めば?」

部屋に戻ると、立ったまま私は一本を五見に差し出した。

高校一年生の五見は、いつも酒に酔っている私を軽蔑していた五見は、

膝を抱える片方の手を伸ばして、私の差し出した缶ビールを受け取った。



五見は泣いていた。

膝の裏に隠した顔は、びっしょりと涙で濡れていた。

私の心臓がぎゅっと掴まれた気がした。

私は五見が泣いているのを、今生まれて初めて見たのだった。



ああ、そうか。

私は驚きおののきながらも、妙に納得していた。

五見は本来生まれながらにして、

私が思っていたような冷静でクールな人間ではないのだ。

そのもともとの魂が持っている感情は、とても情熱的で、

人を愛するとしたなら、自分も相手も壊してしまうくらいの熱情を持っているのだ。

ただ、再生の学びがあるからこそ、

五見は自分を抑える術を身につけているだけなのだと。

彼女も必死に自分の運命と戦っているのだと、その時私は初めて理解したのだった。



もし、私が彼女の五見の立場だったら、

一体どうなっているのだろう。

缶ビールのプルタグを開けて、五見の部屋の壁にずるずるともたれて座りながら、

私は本気で想像した。

五見は今はもう、涙に濡れた頬を隠しもせず、

プルタグを開けて、私の渡した缶ビールを大きく煽っている。



多分、

私は自分の過去の感情に負けてしまうのではないか。

再び過去に愛した人に出会えた魂の喜びに負け、

自分の理性に負け、

そして、向かうのは同じ運命のもと。


時代が変り、生きている人間の姿が変わっても、

やはり何かを変えられない限り、悲劇は悲劇に向かうものだ。

本当の「生」というものは、

ケセラセラでは「生きる」ことは難しいのかもしれない。



「ねえ、五見」

缶ビールをすすりながら、私は力の無い、

だけど、心からの言葉を言う。

「何?」

一気に缶ビールを飲み干した五見は、両手で涙をぬぐって私を見た。

「あんたとこうして酒が飲める日がこんなに早く来たのが、

 私は凄く嬉しいなんて言ったら、怒る?」

五見は飲み干したビールの缶を両手でつぶし、

小さなため息をついた後、

少し笑った。

「真備ちゃんって、本当に」

言葉を止めた五見に、

「・・・何?」

先を促す。

「羨ましいよ」

私は驚いて言い返した。

「私なんて、あんたに比べたら月とスッポンほど弱いけど?」

素っ頓狂な声を上げた。

「弱いって自分で言えるのは」

五見は、潰した缶ビールの缶をふざけて私に投げつけた。

「強い証拠なんだよ」

投げつけられた潰れたビールの缶を避けることも出来ず、

私は五見の言葉を心の中で繰り返していた。


「弱いと言えるのは、強い証拠」

嘘だと、即座に私の心は反論する。

でも、本当のことは、

きっと今の場所にいる時点では分からないのだろう。



生きるというのは、

最後のページがむしられた、

物語の本のようだ。

普通の本と違うのは、

肉と心を持った人物達の登場するということだろうか。

そしてこの物語は、容赦なくむしり取られたページへと続いていく。






(記憶 了)



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