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鬼録   作者: 小室仁
7/72

火事

仕事帰り。

家の近所まで来てふと黒い夜空を見上げると、

建物の合間から、巨大なオレンジの炎が上がっているのが見えた。

白い煙に混ざって炎と同じオレンジ色の火の粉が、

あたり一面、風に高々と舞い上がっているのも見える。


うわ、火事だ。


一瞬足がすくんだものの、自分の住むアパートの近くということもあり、

私は吸い込まれるように、その炎の方へ小走りに走った。




近づいて見ると、

立派な瓦を葺いている大きな二階建ての家が、

丸々と炎に包まれ、真っ赤に燃え上がっていた。

すぐ隣のアパートまで、火は乗り移りつつある。

辺りにはまだ消防車の姿は無い。

私と同じような野次馬が二、三人集まって来ただけで、

家はただ、燃え盛る炎に身を任せているだけの状態だった。


かなり大きな火事だ。

それにしても、ずいぶん燃え方が早い。

ここまでなるのに、誰も気がつかなかったのか。

火の粉が飛んでいる辺りの家の窓には、明かりが点っているというのに。

恐ろしさに、身をすくませながらも不思議に思う。




やがて消防車のサイレンが遠くで鳴り響き始め、

その音とともに、この火事に気がついて、

たくさんの人たちが、わらわらと集まり始めた。





到着した消防士たちが、手馴れた様子でてきぱきと仕事をするさまを、

私はただただ尊敬のまなざしで見守り、

その場から動けないでいた。




辺りの野次馬達の声が耳に入る。

「今日はこの火事で三件目なんですって」

「どの家も空き家になっていたんですって」

「燃え方が異常だから、放火なんじゃない」

「同じ市内で一日に三件も火事があったんじゃ、消防車も間に合わないわよね」


今日、三件もこの辺りで火事があったのか?

驚きながら、聞き耳を立てていた。



ふと、肩にかけているトートバッグを引っ張られた。

気がついて、引っ張られた方を見る。


小さな子供が、

私のすぐ側にいて、私のバッグを下から掴んで引っ張っていた。


年の頃は7つか8つ。

耳までのおかっぱの黒い髪、

膝丈の紺の着古したようなぼろぼろの着物を着て、

薄いピンク色をした柔らかい帯を腰に巻いている。

足元ははだしだった。

そして、黒目が大半を占める大きな目が私を見上げていた。

それは、生者では無いと一目で分かる異様な目だった。

私は息を飲んで、その子供を見た。


バッグを掴んで私を見たまま、

その子供はゆっくりと腕を上げて、

ある方向を指差した。

短い着物の袂から伸びている白いその細い腕は、

炎のオレンジが反射して赤く濡れているように見えた。


私はその小さな指の指す方向を見た。


一人の中年の男が立っていた。

野次馬にまぎれて、火事を見ている。

白髪頭で銀縁のめがねをかけている、

黒いジャージ姿の男だった。

神経質そうに自分のあごを指で包んで撫でていた。

それは無理してしかめ面をしているかのようにも、

こみ上げてくる笑みを押し殺しているようにも、見えた。


何が言いたいのだ。

私は心の中で呟いて、もう一度その子供に目を戻した。

けれど、そこにはもう子供の姿はなかった。



もし、この火事が放火だとしたなら。


放火の犯人は、必ず現場に戻るという。

あの異様な子供が私の気を引き、指をさして知らせた男は、一体何者なのだろうか。

あれが言いたかったのは、この男が放火の犯人だという事なのか。


私はきびすを返して、その現場を離れ、

足早に家へと向かった。


私にどうしろと?

「この男が放火犯人です」と、辺りに言えというのか。

冗談じゃない。


もし、万が一にでも本当にその男が放火の犯人だったとしても、

「どうして分かったのか」と聞かれたら、

私は一体なんと答えればいいのか。

「いや、この世のものでないものが私に教えてくれたんです」

とでも、言えというのか。

頭が狂っていると思われるか、下手をしたらそんな不審なことを言っている私自体が、

不審者だと思われても仕方ないところだ。



畜生と、心の中で毒づいた。

これから帰る私の部屋で、そいつが待ち伏せしているなら、

逆に問い詰めてぎゃふんと言わしてやると、

息巻いていた。

だって、どうして私なのだ?

他の人はいくらでもいるのに、

ただ見えるというだけで、どうして私の前に現れるのか。




その子供のようなものは、かなり古いもののはずだ。

あの服装、身なりを見ても、

今の少子化が進む時代の子供の格好とは、

どう考えても思えないし。

青っ洟をたらしている子供もいない時代に、

着古したつんつるてんの着物を着て、

裸足でいる子供なんて、

戦前にいたくらいだろう。

現代ではありえない。

それに、あの目、

黒目が異常に大きく目を占めていた。

あの目は、普通の人間の目じゃない。

多分、長い年月のうちになんかしらに変化をしたものに違いない。

ただの幽霊ではなく、成仏することが出来ないままに、

妖怪とかお化けとか称される、得体の知れないものに変化したものだ。







息を切らしてたどり着いたアパートの部屋のドアを勢い良く開け、

私は部屋の明かりを急いでつけた。

でも、見回しても、

1DKの狭い私の部屋の中には誰もいなかった。


じゃあ、これから現れるのか。

私はどさりとバッグを放り出すと、

冷蔵庫から缶ビールを取り出して、

タバコに火をつけ、部屋の真ん中で胡坐をかいて座り、

それが現れるのを待つことにした。



そして、思い出したように、

五見に電話をした。

「よくあることじゃん」

中間テストの勉強をしていたらしく、

そう言って、五見はさっさと電話を切ってしまった。


そうなんだけど。

なんだか、今回はそういって簡単に忘れる事が出来なかった。




もし、本当にあの男が放火犯人だとしたら、

それを知っていて黙っている自分は、

まるで犯罪を加担しているかのように思えたのだ。



家についたのが午前12時。

缶ビールを6本空けて、

タバコを二箱吸って、4時まで待った。

窓の外が白々と明るくなってきて、

次の日が訪れてきたのを知らせた。

だけど、その妖怪変化は私の部屋には現れなかった。



諦めて、シャワーを浴び、

寝る支度をした。

浴室から出て、

ふと気がつくと、

私の吸った吸殻で一杯になっていたバドワイザーのロゴの灰皿が、

びっしょりと濡れていた。

不思議になって灰皿を手にとって眺める。

誰がこれに水を入れたのだろう。

私一人暮らしのこの部屋で。



ふと、思った。

あれはかつて、

火事で亡くなった子供だったのだろうか。

それも放火だ。


今日はただ、本当に知らせたかっただけなのか。

自分と同じような目に遭った人の不幸を助けたくて、

そこに丁度私が居合わせたということなのか。


でも、だからといって、

私は一体どうすればいいのだろう。



結局、どこまでも己が可愛い私は、

この不思議な水で濡れそぼった灰皿より、

価値の無い人間かもしれない。



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