花 7
修造の遺品の日記より
初めて、美千子の柔らかい体を抱きしめた時、
私は驚愕に打ち震えた。
なんと、温かいことか。
なんと、柔らかいことか。
いや、正直に言ってしまえば、
私は金を払って商売女を抱いたことは幾度もある。
だけど、そういった無機質なつながりではなく、
心から肌を許しあうという行いは、
私の生涯初めての出来事だったのだ。
やぶさかでない男女の触れる肌の温かさというのは、
衝撃的なものだった。
私のように、今まで一人きりで生きてきた人間ほど、
同じような目にあったなら、驚愕するに違いない。
生ぬるいお互いの体温の中で触れる肌は、シルクの手触りを超え、
まるでこの世のものではないかのような、なめらかな感触だ。
彼女の体の全ての肌に、頬ずりをしたくなる衝動に駆られるのが、
しばしばだった。
お互いの潤んだ瞳、上気した頬、かすれた声で交わす言葉のどれもが、
この世の唯一の真実で、二人だけにしか理解できない暗号ですらあった。
この広い世界で、見つかるはずも無いと思っていた。
だけど、やはり自分を愛してくれる人はいたのだ!
ただただ、驚愕。
その感動から持たされた五感の喜び。
毎夜、美千子は仕事が終わると、
こっそりと障子を開けて、私の部屋に忍び込んできた。
美千子は朝の仕事が早いと言うのに、若さに任せて深夜まで、
私の部屋の、かび臭い布団の中で私と抱き合い、
ひそひそと辺りを伺いながら愛を語り合った。
今思えば、きっとあの瞬間だけの為に私は生まれ、
そして美千子も生まれた。
あの瞬間だけ。
だからこそ、私達の人生の意義はあの時、
燃え尽きてしまったのだ。
夢うつつの日々はしばし続いた。
しかし、
ある日の深夜、
突然、私の部屋の障子が勢いよく音を立てて開き、
その幻は全て終わった。
私と美千子は、薄っぺらな布団の中で裸のお互いをひしと抱きしめて、
その侵入者を見上げた。
私の父だった。
後ろには、家に古くから仕えている女中頭もいる。
「何をしているんだっ!」
父親の怒鳴る声。
その顔は血の気が上って、赤いというよりどす黒かった。
私達は震えながらお互いにしがみつき、
どちらかともなく、身分の違う恋の許しを請っていた。
「お願いです、私達は好きあっています。どうか許してください!」
「許すわけがないっ!」
父親は怒りか驚きか、ぶるぶると震えながら怒鳴った。
「お前達は、兄妹なんだぞっ!」
その言葉を聞いた私と美千子は、次の瞬間、
お互いを抱く手の力が抜けたのを感じた。
そして、お互いの顔を力なく見合わせた。
兄妹。
私はその時、なんとはなく納得した。
きっと美千子は、父が後ろの控える女中頭に生ませた子供なのだ。
憤る父親と、父の陰で怯える女中頭をわき目に、
裸の私達は、どちらからともなく、
お互いから離れ、お互いの服を無言で着た。
その時の美千子の気持は分からない。
でも、もしかしたらきっと、
私と同じ思いだったかもしれない。
やっぱり、自分を好いてくれる人間は、
自分と同じ血が流れている人間だけなのか。
肉親が自分を愛してくれるのは、血の業であって、
それはその人自身の思いではない。
美千子を前にして、
どう仕様も出来ない気落ちをしている自分を否めなかった。
しかし、美千子も同じ表情を浮かべていたのは、
その時の私の錯覚だったのだろうか。
美千子は黙って振り返りもせずに、
父親に連れられて、私の部屋を去って行った。
それを呆然と見送りながら、
私は冷たくなったせんべい布団の上に座っているだけだった。
やはり、私は孤独なのだ。
私に全く関わりの無い人間が、
私を気にかけてくれることなど、あるはずが無いのだ。
その時の私の胸は、
そういった空しい思いで一杯で、
美千子を思いやる気持までは、たどり着けなかった。
美千子が去った後の私は、空虚だった。
というより、
美千子がここにいたとしても、
その時の私は空虚であった。
なぜなら、罪を犯したのだ。
血を分けた妹を、
私はインセストしたのだ。




