花 6
修造の遺品の日記より
(古びたノートの黄ばんだ文字より)
人を愛するというのは、案外簡単だ。
自分だけが相手を思うのであれば、
自分の心だけがあれば足りる。
ただ、愛し合うということ。
相手に同じように思ってもらおうとする事は、
相手の心が手にとって操れないのであるから、
それは、奇跡に近い。
奇跡というのは、普段起こらないから奇跡というのであって、
そういう奇跡というのは、私のような平凡でつまらない男には無縁のものだと、
信じて疑わなかった。
しかし、奇跡が起きてしまった。
私という凡人のもとに。
しかし、やはりそれは奇跡だけでは終わらず、
悲劇に変わってしまった。
私は私の身に起きた奇跡に、
自ら終止符を打つつもりだ。
私が器の小さい人間だったから、
奇跡を受け止め切れなかったのだ。
私がもし、私と違う立派な人間だったのなら、
他に解決策が見つかったのかもしれない。
本当に、無念だ。
(ページが数枚破り取られている。切り取られたページには、
何が書いてあったかは分からない)
誰かを好いて、生涯の伴侶を得ようと思うことは、
有り得ないことなのだと、私は幼い頃から感じていた。
親の決めた相手ならまだしも伴侶となることを納得してくれようが、
自分が勝手に思った相手など、決して自分を好いてくれるはずが無いと思っていた。
理由はいくらでもあった。
まず、私が自分を好きになれないこと。
しかし、この世に両手を振って自分が好きだという人間などいるのであろうか。
いるとしたならば、そういう人達というのは、
自分とはかけ離れた人種たちなのだろう。
例えば、代々が財閥の生まれで、
物心付いたときから、物事の不自由も無く、
体つきも整い、顔つきも精悍で、
幼い頃から婦女子に頼もしいと思われるような人種。
同じ人間で人種などという言葉を使うのは憚れるべきかもしれないが、
私としてはそういう言葉しか頭に浮かんでこなかった。
でもきっと、そういった人種が自分を愛することが出来るのではないか。
私は家柄こそはそこそこの、
地方の土地持ちの農家に生まれて何不自由なく育ったが、
私自身がお世辞にも、頼もしいとか男らしいとか格好良いとか、
そういった美辞に少しも当てはまらない無骨で不器用に生まれてきてしまっていたから、
恋愛などとは程遠いと思っていた。
一体、自分を好きになれない男を、
誰が好きになってくれようか。
使用人にしろ、学校の同級生にしろ、
ただうわべだけの付き合いはあるにしろ、お世辞で笑ってしゃべるにしろ、
心を開いて「好きだ」と言い合うのには程遠い人間関係しか、
私の周りには無かった。
24の年に、美千子と出会った。
私の家の奉公人であった。
まだ16の幼い感じを残した少女だった。
私は会って直ぐに彼女を好きになった。
しかしこれは何も珍しいことではなく、
またいつもの一方通行の思いなのだろうと思った。
そして私自身も、美千子を思う気持が今までのほのかな気持と違わず、
ただ過ぎていくものと思っていたのだった。
ひょんな拍子に、家の裏庭で二人きりになった時があった。
彼女は屋敷の掃除に使った雑巾を、井戸の前に座りこんで桶でしごいていた。
私はしばらく一生懸命に働く彼女の姿を遠めで見ながら、
いじらしいやら、健気に思うやらで、
なんということはなしに言葉をかけた。
「大変だねえ、お疲れ様」
その時、美千子が私を振り返った様子を、
私は一生忘れないだろう。
彼女が私を見た瞬間、彼女の顔はぱーっと大輪の花が咲いたように輝いた。
色白の肌だから、余計に頬を染めた紅が目立った。
「いえ、お仕事ですから」
消え入りそうな声で言いながらも、彼女の私を見つめる目は熱かった。
まさか。
私は心の中で呟いていた。
まさか。
そして、
まさかと思いつつも、
私と美千子はその後、恋仲になった。
その直後の陳述は必要ない。
恋というのは、記録のいらないものなのだ。
馬に蹴られる必要もないほど、
人の恋路など、本当は誰も知りたくもないものだし。
ただ、悲劇は記すに値する。
私がこの後の出来事の手記を残すのも、
そういった理由なのだ。
誰にも同じ事を繰り返して欲しくない。
そういった思いからなのだ。




