表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼録   作者: 小室仁
63/72

花 2

 電車を降りて、自分のアパートへと向かう。

途中でいつものようにいつものコンビニに寄った。

そして、いつもと同じように酒とつまみを買い、

レジで金を払う。

でもいつもと違う何かの予感が頭から離れず、

私はまるで何かを買い忘れたかのように後ろを振り向いて、

コンビニのドアから外へ出るのを躊躇した。


 こういった時の予感めいた虫の知らせは大体が当たっていて、

必ずと言っていいほど何かが待ち伏せしているものだ。

霊感とかというよりも、動物としての危機本能に近いだろう。

でも、何が待ち伏せしているのか分からない中途半端な危機感など、

かえって疎ましいだけなのだが。

私はため息をついて、自動ドアの外へと出た。



 今思えば、更衣室でああ言った事を話しかけられたことから、

今回の出来事は始まっていたのかもしれない。


 しらじらとした薄明るい蛍光灯が照らす深夜の暗い道を、

私はとぼとぼとアパートへと辿った。

そんなに広い通りではないが、

たまに眩しいライトを私の後ろから照らして、車が通り過ぎていく。

大通りへと通じる抜け道にここを使っているのだろう。

眩しいヘッドライトの残像を残して去る車を見送ると、

一匹の白い猫が道の中ほどで轢かれているのに気がついた。


 赤いテールランプの名残を残し車が過ぎた暗い道に、

ひっそりと白い猫が横たわっている。

私は足を止めて遠巻きにその姿を見つめた。

多分、死んでいる。

頭を向こうに四肢を横に投げて倒れ、ぴくりとも動く気配は無い。

離れているここからは、致命的になった怪我の様子など細かい事は分からないが、

死んでいるのははっきりと見て取れた。


「道端で轢かれて死んでいる動物を見たときは、

 なるたけ何にも思わないほうがいいのよ。

 無残に人間に殺されてしまったその姿に、

 変に可哀想とかと情をかけると、こちらについて来てとり憑かれるんだよ」


 さっきの更衣室で耳にした言葉が、まるでこの事に伏線を張られていたかのようで、

私はしばらく動く事が出来なかった。


 大きく息をする。

死んだ猫はただの毛と肉の固まりであって、他の何ものでもない。

ただ気味が悪いのは、殺されてそのままの状態で放置されているという事由だけ。

私はゆっくりと、猫の死体から目をそらして歩き出した。

なるたけ道の端を歩き、猫から遠い場所を急ぎ足で通り過ぎる。

段々と走り出していた。猫の姿が見えなくなる角を曲がると、

私は足の速度を緩めてほっと息をついた。


 別に恐れる理由は何も無いのに。

多分、単純にさっき更衣室で聞いた言葉のせいだ。

死んだ猫は通りがかりの人間を呪うわけもない。

知っているのだけれど。

この夜の暗闇と、私の臆病な心のなせる業。

一刻も早くアパートにたどり着き、

自分の臆病さをあざけるためにも、明るい蛍光灯の下で酒を飲みたかった。



 やがて、自分のアパートが遠くに見えてきた。

ほっとした私は、何気に後ろを振り返った。

少し離れた外灯が照らす薄暗い道の上に、白いものを見た気がした。

私ははっと目を凝らした。

 まさか。

それは、さっき路上で死んでいたはずの白い猫。

道の真ん中を猫独特のくねるような感じでゆっくりと歩いてくる。

まるで、私の後をついてきたかのように。

回りを見回す。もちろん、深夜のこと。

辺りに人影も気配も無く静まり返っている。

私はもう一度、猫に目を戻した。

数十メートル離れていたけれど、確実に猫は真っ直ぐこちらに歩いてくる。

私は動揺していた。心臓が大きな音を立てて鼓動を打ち始めた。

 轢かれた猫が、なんで?


 こんな事は初めてだった。

今までだって何回も轢かれた動物を見てきた。

だけど、今回のように私の後をつけてきたものは初めてだった。


 私は踵を返すと、また小走りになってアパートへと急ぎ始めた。

たまたま他の白い猫がうろついているのを見ただけなのかもしれない。

だって、死んだ猫が歩くはずもないし、白い猫はそこら中にいるはずだし。

そんなことを自分に言い聞かせて、冷静さを計る。

 でも、私は分かっていた。

あれが他の生きている猫ではないことを。

さっき見たばかりの轢かれた猫だということを。


 だけど、どうして轢かれた猫が私に寄ってくる?

死んだ人やその他の妖怪めいたものなら、今までにもあったけれど。



 そこまで自分の心の中で葛藤して、はたと気がつく。

私には、死んだ人や、

ましてや、アカをはじめ、

人なんだか動物なんだか分からない妖怪めいたものも寄ってくるのだ。

車に轢かれて死んだ猫なんて、それらに比べたら全く可愛い罪の無いものじゃない。


 そう思った途端、

後をついてくる白い猫から、逃げているのが急に馬鹿らしくなった。

開き直ったとも言えるだろうが。


私は大きなため息をついて、

もう一度振り返った。

猫はいた。

白い姿が先ほどより近いのか、大きく感じる。

私は前を向くと、今度はゆっくりと歩き出した。


 でもなんか、変だ。

違和感を感じる。

ついさっきより、冷静に思う違和感。

やはり、あれはただの猫ではないのではないか。

首を傾げながら、私はアパートへと歩き続けた。

まあ、アパートに帰ればアカもいる。

どうにかなるだろう。妖怪だとしたなら妖怪同士、

話をつけてもらえばいい。


 またしばらくして、振り返った。

後をついてくる白い影は、また一回り大きくなったようだ。

もうそれは、猫の大きさでは無いくらい。

 やっぱり。

心の中で呟きながら、私は歩き出した。

 あれはただの猫ではない。


 またしばらく歩いて、振り返る。

白い影はますます近く、そして大きくなっていた。

影はたてに伸び、立ち上がっている気配が感じられる。

 一体、何だっての。

冷静なつもりでも、やはり怯えた自分の感情は自分に隠せない。

また私は小走りになって、もうすぐ近くまで来ているアパートへと走った。


 ようやくアパートにたどり着くと、ポストも見ずに、

建物の外につけられた、二階の自室へと繋がる鉄の古びた階段を駆け上がる。

カンカンカンと深夜の夜空に私の足音が大きく響いて、

少し気が引けたけれど構っていられない。一刻も早く部屋に入りたかった。

アカ、変なのがついてきた!!!と、助けを求めたかったのだ。


 急いで鍵をバッグの中から探し、

部屋のドアノブに手を置いた。

そこで魔が差したのか、私はもう一度白い影の追ってが気になり、

自分の上がってきた鉄の階段の方を振り向いた。

じっと最上段の上を見つめる。

しばらく息を殺して見つめていても、白い影は現れない。

 なんだ、ついて来ないのか。

と、ほっと息を吐き出した時、

階段の最上段の上に何かが見えた。

ゆっくりとひらひらと、何かが動いている。


 手だ。

大きな青白い手が、階段の最上段を掴んで這い上がって来ていた。


猫だった白い影が、なぜか人間の手に変わっている。

大きさからして、成人の男の手だ。

やはり、あれは猫ではないのだ。


 その手が這い上がってくるのを見て、固まりそうになる自分にカツを入れて、

私は慌ててドアノブを引いた。

部屋の中は明るい。

私のシキの赤い鳥の妖怪のアカは、部屋の中にいるようだった。

それもそのはず、年末にむけて部屋の大掃除を命令して、

私は今日の朝、仕事に行ったからだ。

部屋の掃除はどうでも良かったけれど、

アカが命令を守って一日中、私の部屋にいたのを心から喜んだ。

ほっとして私は部屋の中に叫んだ。

「アカ!アカ!」


 すかさず、玄関先にアカが現れた。

「お帰りなさいまし、真備様」

例の時代錯誤の青い着物と頭巾を着ている。

ただ、手には私が冷蔵庫に買っておいた発泡酒の缶が握られていたけれど。

それを責めるのは今はどうでも良かった。

アカの姿を見ただけで、ホウと体中の力が抜けた。

やはり、誰もいない暗い部屋に帰るよりは、

誰かが待つ明るい部屋に帰るほうが、何十倍もいいと思う。

特に、今の私のような状況にいる場合は。



「お連れ様ですか」

アカはあくまで無邪気に、私の背中越しを見て言った。

「なわけ、無いだろが」

私は吐き捨てるように言うと、アカを睨んで急いで部屋に入ると、

後ろ手にドアを閉めた。

すかさず鍵をがちゃりとかける。

私は大きくため息をつくと、靴を脱いで部屋へと上がった。

「では、あのお方は」

閉まったドア越しに目をやって、アカは聞く。

バッグとコンビニの買い物袋を放り出して不機嫌な私に驚いて、

アカは自分の手に持った缶をテーブルの上に置いた。

「知らない。最初は帰り道の途中で死んでた猫だったみたいなんだけど、

 どうやら猫じゃなかったみたいね」

私はアカの置いた発泡酒の缶をひったくると、中身を勢い良く煽って答えた。

「はて、死んだ猫が真備様の後をついて来たと?

 でも、あれは猫ではありませぬぞ」

「もう知ってるわよ」

私は投げやりに言うと、

買ってきたコンビニの袋からワンカップを取り出して、

プルタグを開け、中のほろ苦い日本酒をごくりと飲んだ。

胃の中にぽっと火がつく。そこでようやく私は体の力を抜いた。

「死んでいたのは猫だったの。でも憑いて来たのは人間」

私は言うと、残りの酒も一気に飲み干した。

「はて、面妖な」

アカが言って、しばらく考えている。

「ああ、なるほど。

 死んだ猫に見えたものはもとも人間だったのでしょう。

 だから、真備様に憑いて来てしまったのです」

アカが言った。

「猫がもともと人間?そんなことあるの?」

私は聞き返した。

「ええ、重罪を犯して死んだ場合、人は執着を捨て悔い改めない限り、

人に生まれ変わるということは難しいのでございまする。

それでもどうしてもという執念が勝ると、時々人は動物に成りこの世に戻る事がありまする」

アカは言った。

「その執念の深さゆえ、動物に生まれ変わった人間が、

 真備様に憑いて来てしまったのでございますよ」



 人間が重罪を犯して反省もせず死して落ちると、

自分の執着や執念に囚われて魂は中々浮上することができない。

肉体を失った後は、あくまでも精神世界で、

いわゆる日本画によく出てくるものとか、

ダンテの神曲のようなものの中に出てくる地獄みたいなものは、実際には存在しないのだが、

そんな地獄絵図よりもある意味はるかに恐ろしい、

自分の作り上げた自分の地獄から魂が逃れることは、かなり難しいと聞く。


あの世から見ると生きているうちにしたことの清算っていうものは、

やはり出来るだけ生きているうちにしてしまった方がいいということだ。

生きているうちにし残したことを死んでからやろうとしても無理な事の方が多い。


あくまで私個人の考えだけれど、

死刑制度などはこういう観点から、死んだ後に反省しろというのも難しく、

処刑されたものは、大概が負のエネルギーを放つ魂としてこの世に残り、

他の生きている人間に同じ事をさせようとたくらむ悪循環を生んでいる。

多くの残虐な犯罪の犯人が犯行時に意識がないというものは、

憑依による無意識の行動のせいである場合が多いからだ。


とはいっても、憑依自体も実際に犯行を起こした本人の波長の低さ、

妬み、恨み、卑屈な感情が、

そういったものを呼び寄せてはいるのだけれど。


それに大体が、死は罰にはならないと、私は思う。

何故なら、どんな人間にもいつか必ず平等に訪れるものだからだ。

平等に訪れるものを早めても、そこに意味はあるのだろうかとさえ思ったりする。






しかし、どうして、

自分の執念で、ねじれた輪廻の輪の中にいるもと人間が、

私に関わりたがる?通りすがっただけの、赤の他人の私に。


全く、分からなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ