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鬼録   作者: 小室仁
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帰らずの森 8

炎が夜の闇を切り裂く。

私は手に持ったカップ酒を両手で温めながら、

まるで生きているかのような巨大な炎に見入っていた。

慰安キャンプのキャンプファイアーにしては、

とても本格的なものだった。



焦げすぎたバーベキューの肉や野菜やら

茹で過ぎたスパゲッティやら、

米に芯の残っているようなおにぎりやらで、

一通り皆夕食を済ませた後は、

三三五五、

それぞれ気の合う仲間と、

その巨大とも言えるキャンプファイアを囲んで、

食後の酒を続けて飲んでいるのだった。


アカは相変わらず、さっきのおばちゃん達の中にいて、

何やら下らない話に矯正を上げている始末だったけれど、

見た感じ、皆ほとんど泥酔に近い感じで酔っ払ってたから、

アカが何を話そうと、これ以上害が無いと私は見切っていたので、

そのまま放っとく事にしていた。


しかし、

さっきから気になるのは林さんで、

皆が火を囲んで、

それこそ原始人のように酒に酔って騒いでいると言うのに、

浩太と二人きりで長い間、

火からも遠いような暗い場所に座って、話をしているのだった。

しばらく遠くから見守っていたけれど、

私は酔いのせいの気力もあってか、二人の様子を見に、

重い腰を上げて近づいた。



「ママだよっ、ママがいたんだ」

浩太は林さんに必死に訴えている。

林さんは気長に諭すように、浩太に言っていた。

「ママがここにいるわけないだろう、

 ママは天国にいるんだ。それは浩太も良く分かっている事だろう?」

あくまでも穏やかだけど、決然とした林さんの口調。


私が側に行くと、林さんは顔を上げて、

それまでの浩太に対する厳しい表情から一転して、

いつもの穏やかな林さんに戻った。

「ああ、真備ちゃん。楽しんでる?」

私は曖昧に頷いた。

「ママがいたんだっ!あの森にっ!どうしてパパは信じてくれないの?」

浩太は私が側に来たのも気にせず、

立ち上がって、あの立ち入り禁止という札の立っていた森を指差し、

林さんに声を張り上げた。

林さんは困った顔をして私をちらりと見ると、

また厳しい表情に戻って浩太の腕を掴むと言った。

「いい加減にしなさい。皆の迷惑になるだろう」


私は納得した。

さきほどから、

こういった会話が二人の間でなされていたのだろう。


ふと見ると、林さんの浩太を掴んだ手から、

もう一本、

あのか細い手が浩太の手を同じように掴んでいた。

いや、良く見ると、

それは、浩太をまるでなだめるかの様に、

優しく浩太の腕を撫でていた。

どうやら、やはりこの手は浩太の母親、

林さんの死に別れた奥さんの手のようだった。

私は大きく息を吐いて、二人の側の芝に腰を下ろした。


「ママがいたんだっ!呼んでいたんだっ!

 あの森の中で!本当だよっ!」

浩太は涙を浮かべて震える声で、なおも林さんに抗議を続けた。

「浩太っ!」

林さんの声の調子が険しくなった。

林さんの手が浩太をぶつためか、上にあがった。


「ママはいるよ」

私は咄嗟に、口を開いていた。

途端、二人は動きを止めた。

そして、凝視と言ってもいい感じで私を見る。

ちらりと林さんの顔を見た後、私は浩太を真っ直ぐに見た。

「ママはここにいるよ」

浩太の頬がぱーっと高潮し、

何かを訴えたいかのように、口をぱくぱくと開いた。

でも私はその口から出る言葉を叩き潰すかのように、

冷たく言い放った。

「でも、あの森にはいない」


沈黙が、浩太と私、

そして林さんの三人の間に流れる。

「確かに君の側にいつも君のママはいるけれど、

 あの森にはいない。なんで君はあの森にママがいると思うの?」


私がそう言った瞬間、

キャンプファイアーの炎が辺りに千切れ飛ぶほどの強風が起きた。

きゃーという悲鳴が当たりに飛び交い、皆は火の粉を避けて、

頭を抱えて地面に伏せる。

ひとしきり風は荒れると、やがて止んだ。

私達は恐る恐る頭を上げた。


たった今まで、

火の粉が体にかかっていたのも気にしないように、

浩太は続けた。

「だってね、

 ママが、あそこから呼んでたの」

叫ぶように。

そして、またあの森を指差した。

私と林さんは、浩太の指差す森を見た。

夜の闇に沈んだ、無言の黒々とした森。

私と林さんは顔を見合わせた。

林さんの顔は無言で言っている。

 悪いね。子供のたわごとにつき合わせて。


私は頷く事も出来ず、

ただ森を見ているだけだった。


浩太を呼んでいた、

そういう事をするような、

存在が森にはいると知っていたからだった。


ただ、

私の知っているのは、

それが浩太の実の母親では無いというだけで、

何者かははっきり分からなかったのだけれど。

自分の娘を自らの手にかけた母親かもしれない。

というぐらいしか。


「ママがね、呼んでいたんだよ」

私を見て、浩太は言った。


私は、浩太を側に呼んだ。

浩太は従って、私の側に来ると隣に座った。

「今から大切なことを言うからね」

私は浩太に言いながら、押し寄せる不安に潰されそうになった。

「ママが呼んでも、あの森に行っては駄目だよ。

 何故なら、ママはあそこにはいないの。

 ママの振りを装った、別の人がいるの」

私が言葉を選んで、ようやく言うと、

浩太は一瞬考えて首をかしげた。

そして、

「そんなの嘘だっ」

立ち上がって、吐き捨てるように言った。

「あれは、ママだったんだから!絶対!」

「浩太君、待って、ちゃんと聞いて」

私は慌てて呼び止めたけれど、

浩太は私達の側から走り去り、

今夜林さんと寝るためのテントの一つに、

飛び込むようにもぐってしまった。


私と林さんはお互い、顔を見合わせて肩をすくめた。

「悪いね、嫌な思いさせて」

林さんは言った。

「いえ」

私は答えたけれど。


まだまだこれから、

これからなのですよ。

本当に、

私はそう言いたかった。




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