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鬼録   作者: 小室仁
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帰らずの森 5

「へえ、真備ちゃんの友達なんだあ」

誰かが言うと、同じ言葉の復唱の叫びみたいなものが辺りで響く。

 私に友達がいるのがそんなに意外かよ。

憮然とした気持ちを隠して、でも親睦会らしく私は苦手な愛想笑いをしていた。

まあ、実際友達じゃなく、

隣にいるのは妖怪なのだから、皆の言うことも最もなのだけれど。

それにしたって、面白くは無い。



冬に比べると日は大分伸びていて、まだ夕暮れには程遠い穏やかな春の午後。

参加者は幾つかのグループに分かれ、それぞれ円座を組んで各々チェアーに座り、

夕食前の歓談をしている。

私のいる輪は数えてみると八人位か。じっと座りきりではない人もいたから、

おおまかな数なのだけれど。

まだ夕食前だというのに、一人残らず缶ビールやチューハイを手にしていて、

皆そこそこ出来上がっていた。


そんな和気藹々とした雰囲気の中、

普段一緒に働いている仲間よりは、見知らぬ存在のアカの方が皆気になるようで、

どんなに私が血の滲むような努力をして話をそらせても、

もっぱら話題の中心はアカになりつつあるのだった。


 浜崎あゆみ似だもんな。あの時、雑誌間違えたよな。

後悔先に立たずとは、言いえてまさしくこの時の私の事なのだった。

仕方ないとはいえ、想像通りの嫌な展開になりつつあるのを感じながら、

私は隣で人間に囲まれている妖怪を横目で見ていた。


人間に囲まれて、また主人の私に隣で睨まれているせいか、

アカはとても緊張した様子で何本めかの缶ビールを啜っている。

しかしその控えめな様子が皆の目には、浜崎似の容姿と相まって余計に愛らしく映るらしい。

盛んに話しかけられるのだけれど、アカは今度は最初に交わした約定どおり、

「はい」「いいえ」「ありがとう」「すみません」しか言わないのだった。


「あゆー、何か歌ってよ!」

突拍子も無い甲高い声がしたと思ったら、林さんの息子浩太がどっかからかすっ飛んできて、

アカの背中に体当たりをした。

思わず見ているこちらが「痛っ」と身をすくませるほどの勢いだ。

椅子から転げ落ちそうになってびっくりしたアカの顔が一瞬、もとの鳥の妖怪に戻りかける。

うわっと思って私が立ち上がりかけると、何とか調子を取り戻したらしく、

アカはもとの浜崎に戻って、後ろを振り返った。

「何をするのでございますか」

約定は破られた。私はあちゃーと、顔を伏せる。

まあ、この場合は仕方の無いことだけれど。

「『M』唄ってよー、あれ大好き!」

浩太がアカの背中をどついて続ける。

アカは痛みを堪えて、ありたけの我慢を持って浩太を振り返った。

「えむとはなんござるか」

「あゆの唄じゃん!つか、お前変な言葉だなあ」

浩太はアカの背中をどつくことをやめないで言った。


 こういった暴力的な子供は、なんだろう、怖い思いをした事がないのだろうか。

怒られることを想定して行動していないような気がする。

というか、怒られる云々よりも、

自分がやっていることは誰にも止める権利は無いとさえ思っているような、

どこか奢っている感がある。

私の勤める居酒屋に来る家族連れの子供にも、こういうのがいる。

親のいる席を離れて、従業員に絡んでまとわりつく。

それも自分が上位に立っているかのように、無邪気を装った暴力を振るうのが多い。

仕事中の私達には怒られないことを知っているのか、それとも結局、

怒られたこと自体がないのか。

そして、そういう子供がホールに野放しになる場合、

その親は大抵飲んだくれて知らん振りの場合が多い。

連れて来た赤ん坊の大便のおむつを、他のお客さんもいる席で平気で代えたかと思うと、

その自分達の飲み食いしたテーブルの下に、

その汚物がぎっしり入っているオムツを置いて帰るような親もいたのだから、

こういう子供がいても仕方が無いのかもしれない。





「浩太君、痛いでしょ。やめてよ」

私は何も言い返せないアカに代わって、浩太に言った。

すると浩太は注意されたことが気に食わないとでも言うように、

私の足を蹴った。

「唄の歌えないあゆなんて、意味ないじゃんか」

瞬間、首を絞めてやりたくなったけど、

それは大人の私。苦笑いをして蹴られた場所を指で払っただけだった。

 くそがき。

そう心の中では怒鳴ったけれど。

林さんはどうしているのだろう。姿を探すけれど見当たらない。

林さんの性格を知っているから、

浩太を放っておいているわけではないのだろうけれど、

やはり堂々と叱れるのは親である林さんだけなのだから、

目を離さないでいてもらいたいものだ。



それよりも、アカの言葉使いのせいで座っている皆がざわざわしている。

一体、何なの?そういう感じでアカを見ている。

「いやー、彼女帰国子女なもんでー。言葉使いが訳分からなくって」

林さんの時と同様、私が慌てて言うと、

感嘆にも似た声が上がるとともに、皆即ざま単純に納得した。

「へえ、どこの国で暮らしていたの?」

「何年くらい?」

「そうそう名前まだ聞いて無かったわよねえ」

「今はどこに住んでいるの?」

矢継ぎ早に質問がアカに浴びせられる。

アカは質問の意味がまるきり分からない様子で、

目を白黒させて私に救いの目を向けていた。

「モンゴル」「10年」「鳥田とりだ 亜果アカ」「北茨城」

私は超適当な出任せを、次から次へとアカの代わりに答えた。

こんなんで人としていいのだろうかという、胸に湧いた小さな疑問は無視した。



ふと、風が吹いた。

生暖かく、そして意思を持った風だ。

自然の風だけれど、何かが便乗して近くに来たような風。


 何だろう。

私は辺りを見回した。

すると目の端に、キャンプ場の奥の木陰へと走りこむ子供の足先が見えた。

浩太を探すと、隣のグループでやはり違う人をどついていたので、

その足は浩太ではない。浩太の他に今日のキャンプに子供の参加は無かったから、

本当ならここに浩太以外の子供の姿は無いわけだ。

 さっき、私の耳元で遊ぼうと囁いた子供なのだろうか。

 一体、なんだってんだ。

私はそっと立ち上がると、その正体を確かめるべく歩き出した。

こんなんで夜中テントで寝ている時に、現れられたりしたら鬱陶しくてしょうがない。

今のうちに、文句の一言でも言って脅してやる。

「真備さま?」

アカが座ったまま、不安げな声を出す。

「ちょっとトイレ。皆、この人の日本語おかしいけど気長に聞いてやってね」

私は職場の連中に言って、アカに目配せをした。

 適当にやれ。酒の席だから多少は大丈夫だから。

どこまで伝わったかは分からないけれど、アカは小さく頷いた。


手に持った缶ビールを啜りながら、私はなるたけ何気なく皆から離れていった。

それぞれが十分に休日を楽しんでいるようで、

誰も私の姿を見咎める人はいないようだった。


一歩木陰へと入る。

しばらく歩くと、木々は密集し始め、

歩けば歩くほど、森は段々深くなるようだった。


カサカサ。

音がする。子供の足音か。

音の方に目を向けると、

数本前の木の陰にやはり子供の白い足先がさっと隠れる。

あまり大きい子供ではない。幼稚園年中か年長くらい。

そうして追っていくうちに、やがてぐるりと辺りを囲う古ぼけた木の柵が現れて、

先に進めなくなってしまった。

ぼろぼろになっているけれど、私の背丈ほどもある頑丈なつくりで、

やはりぼろぼろになった木の看板が、その塀に打ち付けられている。

「立入禁止」

形が崩れてしまっていても、その文字は読み取ることが出来た。


子供の足音は、まるでその先に私を誘うかのように、

柵の内側でしていた。


カサカサ、カサカサ。


どうにかこの柵を潜れるだろうかと思案していると、

遠くで私を呼ぶ声がした。

「真備ちゃーん、真備ちゃーん」

和ちゃんの声だ。

そういえば、彼女は何か話があるといっていたっけ。

このキャンプ場にまつわる話だろう。

いい話じゃないのは分かっているけど。

私は柵から目を離して、後ろの声を振り返った。

この中へ入るのは、和ちゃんの話を聞いてからでもいいか。

どうしようか、迷っていた。


白い子供の足が二本、柵のすぐ下から見えた。

裸足の足。いいや、片方だけ白い靴下を履いている。

こちらを向いて立っている。私は息を飲んで、目を柵の上へと上げていった。

しかし、柵の合間からは足の持ち主は見えない。

もう一度目を下に戻すと、足は消えていた。

 一体、何。

私は大きくため息をつくと、

気を取り直してくるりと踵を返し、キャンプ場の方へと戻って行った。


どうせ、そのうちもう一度この中へ入らざる終えないことになるのは、

分かりきっていた。

どうか、大事にならずに済みますように。

誰に祈っていいのか分からない言葉を、私は小さく呟いた。



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