帰らずの森 4
都会から、一般道路とか高速とか、
いくつか乗りついで車で二時間あまり。
キャンプともなれば、やはりこういう郊外になるんだろう。
まあ、自分で運転しているわけでもなく、
あくまでも乗せて貰っているのだから、私たちに文句を言う筋合いは無いのだけれど。
車が目的地に向かうにつれ、緑が多くなりとても目に優しい風景が続く。
人が動物として、一息つけるような風景。
開けた窓から入ってくる高速車道の空気も、
都会に比べると何だか爽やかな湿り気を帯びていて、
思い切り吸い込むと、体の底から嬉しさに似た不思議な気持ちが沸きあがってくる。
人間の本来の生きる場所は、こうした緑と茶色のある所なのだろう。
懐かしい場所に戻ってきたと言う思いを抱かずにはいられない。
やがて車が止まり、目的の場所に着いたことを知らせる。
「着いたよ、お疲れ様」
林さんはサイドブレーキを引くと、運転席から振り向いて言った。
「有難うございます」
私は頭を下げて、アカにも降りるように促して後部座席を降りた。
「げーーー、超、田舎じゃん」
不満げに呟きながら、浩太は私達の前の助手席でシートベルトを外した。
くそがつくほど、わがままな子供だな。
あくまで顔には出さず、私は心の中で浩太に舌打ちをした。
実は、この位の生意気な年頃の子供は、私は死んだ人よりも苦手なのだった。
死んだ人はまるきり無視して通り過ぎる事も出来るけど、
決して無視されない存在であることを知っている、ちやほやされて育ったこの位の子供は、
ましてやその親が近くにいる場合は、厄介極まりない。
まるきり無視をすれば冷たい人間だと辺りに思われるし、
少しでも構えば、こういう子供は調子に乗る。
出来ることならば、これ以上関わらないで今日一日を過ごしたいものだと、
私は戦々恐々とした。
職場の皆はそれぞれ、
各々の交通手段を使い慰安のキャンプ場へと集まってきていた。
店の従業員や取引先の相手の顔も見える。
総勢、30人位というところか。
皆それぞれ、持参したテントとかターフとかを組み立て始めていたり、
キャンプ初心者の手順が分からないもの達は、近くにいる者の手伝いをしたり、
または勝手に酒盛りを始めていたり、いくつかのグループに分かれて、
和気藹々としたムードが湧き上がり始めていた。
私はアカとどこのグループとも遠からず近からずという場所に二人して立ち、
所在ない感じで立っていた。
林さんが気を使って冷たい缶ビールを二本持ってきてくれた。
そして、折りたたみ式の椅子も。
「真備ちゃん達のテントはレンタルしてあって、もうあそこに出来てるから、
少しゆっくりしてていいよ」
林さんが言って、小さい二人用のテントが並ぶ場所を指差す。
「有難うございます」
私はお礼を言いながら、アカにも目配せをする。
「かたじけのうございまする」
アカは深々とお辞儀をした。
この言葉遣いはどうにかならないのか。
私は苦々しく思いながらも、不思議にアカを見る林さんにごまかすように愛想笑いをした。
「この子、帰国子女で。海外生活が長かったものでちょっとずれてて」
一生懸命言い訳を考えて取り繕う。
すると、林さんは納得したように頷いた。
「後で、海外の話たくさん聞かせて欲しいな」
キャンプの準備の追われている林さんは、それだけ言うと名残惜しそうに去っていった。
いや、それはやめて欲しいんだけれども。
この後の展開に頭を痛ませて私が呻いていると、アカは辺りを見回してふと言った。
「真備様、今宵はこの場所で休むのですか」
私はアカの言葉に顔を上げる。
「そうよ、外で寝るのがキャンプなんだから」
「そうでござるか」
それだけを言うと、アカは黙って辺りを見回した。
私もつられて辺りを見回す。
そうして、改めて気がついたのだった。
森は、
不穏な気配で一杯だった。
神経を澄ますと、色々なものが息を潜めて私達を見つめている。
一体、彼らは何者なんだろう。
きっと、そいつらもこちらが何者なのだろうと見極めようとしているに違いない。
それに、いくらまだ夜は寒いとはいえ、
四月ももう半ば。アウトドアーシーズンだ。
日曜と月曜にまたがっているとはいえ、
何故私たちの他にここには誰もいないのだろう。
「真備ちゃん、今日は来たんだ」
ふと顔を上げると、上下トレーナーというラフな格好の和ちゃんの姿があった。
職場の女子大生バイト。比較的、私は彼女とは話をする。
以前に、彼女の飼っていた死んだ犬が絡む出来事があって(マル参照)、
それ以来、結構喋るようにはなっていた。
「ここねえ、私の親戚の持っている森なの」
え、と私が驚いていると、
「今度の慰安は何がいいかっていう話になったときに、
キャンプって案が出てさ、じゃあいざ騒げる場所でこんだけの人数が入れる場所ってなって、
そしたら、ふと思い当たってさ。
確か、親戚で自分のとこでキャンプ場やってる人がいたなって。
それで連絡をして聞いたら、今はキャンプ場閉鎖しているから、
大したサービスは出来ないけど、それでもいいならいくらでも騒いでいいぞって話でさあ、
それでここになったの」
「へえ、そうなんだ」
和ちゃんの親戚の土地ねえ。
しかし、キャンプ場を今は閉鎖してしまっているっていうのが気になる。
誰かが和ちゃんを呼んだ。
職場の誰かが、水場はどこかと聞いているらしい。
「真備ちゃん、後でね。ちょっと聞いて欲しいこともあるし。
あんまり私的には気にしてないんだけど、皆引き連れて来ちゃった手前もあるからさあ」
それだけ言うと、和ちゃんは走って行ってしまった。
聞いて欲しいことって、気になることって何だよ!
心の中でだけ叫んで、何も言えず黙ったまま私は和ちゃんを見送った。
ふと、折りたたみ椅子に座る私の服の裾を誰かが引っ張った気がした。
振り返る。
誰もいなかった。
「アカ、今何かいた?」
私が隣でやはり折りたたみ椅子に座って缶ビールをすするアカに、ぼそりと聞くと、
「そこらじゅう、色んなものがおりまする」
アカは無表情に言った。
「ねえ、遊ぼうよ」
ふと、耳元を触られた気がして私は椅子から飛び上がった。
慌てて振り向く。勿論、そこには誰もいない。
私は大きくため息をつくと、お気楽にビールを飲み続けている、
浜崎の見てくれをしたアカの手を掴んだ。
「子供がいるでしょう」
アカは私を見た。
そして、
「あそこにいる林さんとやらの坊主の他に、もう一人、
子供がちょろちょろしていますな」
紅い瞳で真っ直ぐに私を見て、アカは言った。
あー。
私はため息をついた。
やはり来るべきじゃなかった。
何故なら、私は子供は苦手なのだ。
生きていても、
例え、死んでいても。




