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鬼録   作者: 小室仁
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帰らずの森 3

時の流れと言うのは、常に残酷なものだ。

稀に忘却という乗り物に乗っている時は、まるで救いの神様のような存在だが、

それ以外の多くの自分の足で歩いているような間は、

ただひたすら背中を強く叩く、無常な存在やつだと言っても過言ではない。


所詮、日々をつつましく働いて過ごす、

ちっぽけな虫けらのような一市民の私の血を滲むような叫びなど、

天は、到底無いものと同じとみなしているのだろう。

嵐よ来い、天変地異よ来いと願っても、何事も無くいつも通り平和な日々が過ぎ、

あっという間に職場の慰安キャンプの日になってしまったからだ。


この世の異変を願うなんて、それこそ火あぶりものだろうけれど、

そういう気持ちを切に持ってしまう時だってあるのが、

人間というものじゃないだろうか。

それとも、そういう時だけ普通の人間という言葉を使う私は、

やはりこの世の恩赦とかさえ受ける権利も無い魔女だという事なのか。


まあ、要は、

キャンプに行くのが嫌なのに、

何事も無く、その日になってしまっていじけているというだけの事なのだけれど。



「もし、キャンプとやらに出かけていって、真備様の邪魔をするものがおりましたら、

 ぱくりぱくりと頭から食いつきまする!」

何故だか一人だけ乗りのりで、「浜崎」の格好をしたアカが鼻息も荒く私に言う。

きつきつの破れたジーンズで正座して、着替えなどを入れた私のリュックを背負ってにじり寄る。

「真備様、遠慮なく申してくださいまし。私は弱小な妖怪ではございまするが、

 人間なら、一ひねり。この爪で引き裂いて食い散らしてやりまする」


あー、「浜崎」の爪なら、簡単に人間を引き裂けそうではあるが。

・・・・・。

私のキャンプに対する嫌悪の表情を見ていたからなのだろうけれど、

でも、一体アカは何をどう勘違いしているのだろう。

職場の慰安キャンプを何だと思っているのやら。

「あのね、別に私は戦いに行くわけじゃないんだから」

言う言葉の力も抜けてしまう。

つか、私はこんなのを連れて行って大丈夫なんだろうか。

起こるであろう不吉なことより、こいつが引き起こす騒動の方が大変なんじゃないのか。


「何事もご心配いりませぬ。このアカがいますゆえ」

心配の第一候補が、つばを飛ばして叫んでいるのをうんざりと思いながら、

しかし、他に連れて行ける存在がいないので、私は覚悟を決めていた。

 万が一、言い訳の出来ないことが起きたら転職すればいいか。

何事も、一つの方向へとだけ道があるわけじゃない。

その時には、尋常な道ではないだろうけれどさ。



幸いかな。

不安が、常に付きまとう毎日に暮らすのにはもう慣れている。

自分が何者か分からなくなるのにも、もう慣れていることだし。






キャンプへと誘う職場の経理の林さんの車が、私のアパートの前に着いたのは、

太陽の光も眩しい、爽快な春の朝だった。

ため息を押し殺しながら、私はアカと共に林さんの車に乗り込む。

私のリュックを背負ったアカは、まるで息を殺すかのように緊張していた。

何故なら、私がアカに以下の約定を誓わせたからだった。



一、キャンプに行って他の人間と口をきくのは

 「はい」「いいえ」「ありがとう」「すみません」だけ。


二、決して姿を「浜崎」から変えない。


三、私の側から決して離れない。

 

四、人間を襲ったり、食ったりしない。



車のハンドルを握る林さんの腕には、

相変わらずもう一本のか細い腕が生えていた。

「なんだよ、根暗な姉ちゃんじゃん!」

後部座席に乗り込むと、突然素っ頓狂な声が飛んできて、

私とアカは固まった。

見ると、助手席に小学生低学年位の男の子が後ろ向きに座って、

こちらを見ているのだ。

そして、私の後から乗り込んだアカを見ると、すぐさまシートの上で飛び跳ねた。

「あああ!あゆだ!父ちゃん、あゆがいる!!」

バーンバーンと、助手席の上で跳ね飛び叫んだ。

「あゆじゃないよ。浩太、ちゃんと座れ」

林さんの叱咤が飛ぶ。

「私の友達なの。あゆじゃないよ」

私も苦笑いをして言った。

車は静かに発進する。

「だって、そっくりだし、こんなに可愛いじゃん!」

浩太は叫んで、なおも走り始めた車の中で騒いでいる。

 物静かな林さんにはまるきり似ていない、騒々しい子供だ。

「いやー、母親がいないもんだから、甘やかしすぎちゃってねえ」

林さんは苦笑いをして、運転席から私たちを振り返って言う。

騒ぐ息子を一生懸命前を向いて座らせようと、叱咤していた。

「腕が三本あるとは珍しいですなあ」

突然、アカが口を出した。

即ざま、私はアカをどついた。

 約定は何処へ行った。この馬鹿妖怪め。

私は無言だけれど、ただならぬ雰囲気を感じたのか、

アカは黙った。

「は?」

林さんが運転中の横目で私たちを振り返る。

私は被りを振って、

「息子さんがいたんですかー、林さんは独身に見えるから珍しいですねえって、

 彼女が言ったんです」

苦しいにもほどがある言い訳を、私は言った。

「はあ」

林さんは首をかしげながらも、とりあえず前を向いた。

浩太はしぶしぶ前を向いて、助手席に座りなおした。


 どうなることやら。

私は隣に座るあゆ似のアカと浩太、

そして運転席の林さんの腕に生えるもう一本の腕を見て、

ため息をついたのだった。



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