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鬼録   作者: 小室仁
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冬の梅 1

どんなに退屈でも、

判で押したように同じ様に過ぎるから、

日々は平和と名付けられるのだ。


そんな事は分かっている。

分かっているけれど、どうしても、

変わり映えのしない不甲斐ない自分の毎日に気が沈む事もある。

やり場の無い焦燥感。些細だけれど付きまとい続ける絶望感。

それを健気にやり過ごそうと、

追い払おうと前向きになろうとすればするほど、

どうしても、虚しくなっていくのを抑えきれない日もある。

自分という人間を好きになりきれない。

しみじみ己で認めてしまう。

そんな弱い日もあるのだ。






今日も私は、

平凡な一市民として真面目に勤務先の居酒屋で一日働き、

寝る前のせめてものささやかな楽しみにと、

いつものように酒を買いにコンビニへ寄った。


とても寒い夜だった。

もし雨が降ったなら確実に雪になっただろう。

午前一時に近い深夜。

毎日寄る私のアパートから一番近いコンビニには、

買い物をしている人影は、さすがに私の他にいなかった。


白々とした蛍光灯の明かりの下、

レジで気だるそうにこちらを見ている店員の視線を気にしながら、

しばらく発泡酒やチュウハイなどの並ぶ冷蔵庫の前をうろうろしていたけれど、

コンビニの暖房も届かない今夜の私の体の芯の冷えは、

そのドアを開ける事を躊躇させた。

だって、冷蔵庫を開けたら寒い。

普段なら思いつきもしない、寒さに対する怯え。

体よりも、心の方が寒いその夜の私にとっては、

そんなことがとても大きな戸惑いだったのだ。


もし、いつも通り冷たい酒を買うならば、

アパートに帰ってすぐさま炬燵に入る。

そして風呂の湯を溜めるまで、じっと動かず炬燵にもぐっていて、

風呂の湯が溜まったら一気に浴室に飛び込み、湯を浴びる。

そして汗をかくくらい十分暖まった後、買ってきた冷たい酒を煽る。


それはそれでいつもの日課だし、とても魅力的に感じるのだけれど、

今日はいつもと違って、なんだか気乗りがしなかった。


私は冷蔵庫の前を離れると、冷やす必要の無い酒の並んでいる棚の前に行き、

迷わず三本の缶の日本酒を手に取り、レジへと急いだ。

プルタグを引くと、中の酒が温まるようになっているやつだ。






実は今日、

私のシキのアカが、暇を取っていた。

「親族の結婚式があるので、里に戻らせていただきたいのですが」


アカと出会ったあの日以来、(人形師参考)

アカはくどいほど私の回りにまといついていた。

もう一人暮らしとは言えないくらい、部屋に帰るといつもアカの姿があったし、

部屋にいない時は、窓を開けて一声叫びさえすれば、

アカはいつも私の側に飛んできた。

普段は赤い小さな鳥の姿をした妖怪は、

私の前で青い着物を着た奇妙な人間に化けると、

かいがいしく私の食事も作ってくれたし、酒の相手もしてくれた。


体の良い召し使えと言えば、それもそうなのだけれど、

一人で暮らす私にとっては、どうやらそれ以上の存在になりつつあるらしい。

アカのいない部屋に帰るのは、

いつの間にか、私にはとても勇気がいるものになってしまっていたのだ。

恋人と別れた人がこういう感情を覚えるのかと、

ふと思ってしまったほどだ。

恋人ではなく、やつはあくまでも妖怪なのだけれど。

その上、私とアカはあくまでも、

契約上の主従という関係であるのだが。



「ふーん、妖怪でも結婚式なんてあるんだ」

不満たらたらで言う私自身に自分で意外に思いながら、

私はごねた。

妖怪に里があるのか。妖怪に親戚があるのか。

主人の私を置いてでも、駆けつけたい大切な存在があるのか。

腹立たしい気持ち。

こんな気持ちは初めてだった。



私には里と呼べるようなものも無かったし、

親戚もおばあちゃんや五見の他を除いては無かったし、

ましてや仕事を放り出すほどの大切なものも無かったし。

嫉妬心だったのかもしれない。

アカが正直、羨ましかったのだ。


「用事が終わり次第、直ぐに戻りますゆえ。どうかご勘弁を」

上目遣いに請うものを、無下にも出来ずに許可をしたものの、

私は一人の暗い部屋に戻るのが気が重くてならなかった。




「アカなんて、たかが妖怪なのにな」

コンビニを出て呟く。

「いなきゃ寂しいなんて、やっぱ私はもう人ですらないのかしら」

呟いて吐く息が白い。

コンビニの自動ドアが背中で閉まり、私は歩き出すしかなかった。




それにしても、今夜は寒かった。

私は思いついて、白いビニール袋の中の酒を一本ずつ取り出すと、

それぞれの缶底のプルタグを引っ張った。

どういった仕組みか分からないけれど、

もう少しすれば、この酒の入った缶は熱くなるはずだ。

一本は飲みながら歩いて、もう二本はカイロがわりにポケットに入れようと、

私は思いついた。

そう思いつくと、私は真っ直ぐ歩けば数分で自分のアパートの部屋に戻るというのに、

わざわざ遠回りする道を選んで、狭い暗い路地へと入っていった。

遠回りがしたかった。

一人の部屋に戻りたく無かった。







煌々と月は明るい。

寒いから余計に空気が透き通っているせいなのか。

狭い道路の両側は家々の塀が立ち並び、

そしてそのどの家ももう寝静まっているようだった。

等間隔を置いて道路を照らす街灯の光は白々と明るく、

そうやって照らされる道が明るければ明るいほど、

私は一人だということを思い知らされた。

ほの白い夜道。このまま歩き続けたらどこへ行くのだろう。

私はいつの間にかほくほくと暖まった、缶の日本酒を一本両手に抱き、

歩きながら、鋭い飲み口から熱い酒を啜った。

氷のような二月の夜風が、一陣の固まりとなって、

私の体に横から体当たりをしてくる。

私はよろけながら、熱い缶の酒をすする間だけ立ち止まって風に耐えた。

そして、また歩き続けた。



やがて、ぽつんと立っているバス停に気がついた。

青いプラスティックのベンチが一つ、側に立つ街灯がそれを照らしていた。

もちろん誰も他にいるわけも無い。

缶酒を一本すでに飲み干してしまっていた私は、そのベンチによろよろと近づいていくと、

こそりと腰を下ろした。

目の前に見えるのは誰もいない道と、どこかの家の灰色の塀。

そして塀の中に生えて伸びている黒い木の枝だけだった。

「桜かなあ」

腰を下ろした私は、尻から伝わってくるベンチの冷たさに震えながらも、

小さく呟く。

もし、これが桜だとしたらきっと、春には見事な花が咲くに違いないと思えるような、

見事な枝ぶりが塀越しに見えていた。

二本目の缶をポケットから取り出すと、私はプルタグを引いた。

寒くて寒くて、燃料を次から次へと入れなければ体が凍ってしまいそうだった。

実際は体ではなくて、心だったのかもしれないけれど。



ふと人の気配がして、私は顔をその気配へと向けた。

誰もいない深夜のアスファルトの上、

向こうから一人の影がこちらへと近づいて来るのを見つけた。

怪しいと思う気持ちを抑えきれない。

今の時代は狂った人が多すぎるからだ。

こんな深夜にぷらりぷらりと、

一人で歩いている人間にろくな奴はいないに違いない。

私は自分が酔っ払っているにも関わらず、

体に力を入れて、直ぐ逃げられるように、

近づいてくる者に構えた。


でも、こんな夜中に一人で歩いているのは、

ああ、私も同類なんだっけと、

気がついたのは、影が直ぐ近くに来てからだった

酒の酔いのせいだけではないけれど、

そう構えてしまった自分を牽制した。

何故なら、

近づいてきたのは、一人の年を取ったお爺さんで、

私の思惑を持ち合わせるような、危険な要素は何も無さそうだったからだ。


「こんばんわ」

やがて私の側にやって来たその老人は、深夜この状況の中で、

屈託も無く私に話しかけてきて、ベンチの側に座った。

「こんばんわ」

一体こういう状況でこう答えるより、

私に何が他にあっただろう。

何があっただろう。



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