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鬼録   作者: 小室仁
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せんべいとチョコレート 2

イメージ、イメージ、イメージ。

怒涛のようにたくさんのイメージが、私の意識の中に入り込んで来た。

数え切れないほどのお婆ちゃんの思い出が、

フラッシュの連続で出来ている映画のように、

私の頭の中で次から次へと映し出される。

そのどれもがみんな、温かいイメージのある幸せな思い出ばかりだ。

私は畳に尻餅をつきながら、

その温かい思い出の数々にこちらまで思わず微笑んでしまいながらも、

首を傾げていた。

幸せな一生を送ったのなら、何故お婆ちゃんが、

今更他人の私のもとに現れる必要がある?

私のもとに現れるのは、大体が死に切れずに思いを残したり、

何かを遣り残したりしてフラストレーションを抱えている人たちばかりなのに。

不思議に思いながらも、私はお婆ちゃんの送ってくるイメージの波に意識を任せた。





お婆ちゃんから送られる特に強い思いは、

嫁と暮らした日々に対するものだった。


単身赴任で実の一人息子は常に家にいることはなく、

お婆ちゃんの旦那さんも若い頃に病気で亡くなっていたし、

これまた幼い頃に両親を事故で亡くした身寄りのいない嫁と、

ほとんど二人きりでお婆ちゃんは三人の孫を育て上げた。

私も承知のように、二人は喧嘩をすることが多くて、

揉め事はいつも絶えなかったけれど、

いつも本気でお互いの思うことを言い合い、隠し事は全く無かった。

騒々しく怒鳴りあったりしたのだけれど、

どんな親戚よりも、どんな友達よりも、どんな隣人よりも、

本音でぶつかり合い、正直に付き合える一番近い相手だった。

それこそ、いつも家にいない実の息子なんか比べ物にならないくらい。


孫が三人とも無事皆成人をした後は、嫁との二人きりの暮らしになってしまったけれど、

ちっとも寂しくは無かった。

毎日、あーでもないこーでもないと二人で言い合って、

相変わらず、騒々しく暮らし続けた。

ああなるほど。

あの私のせんべいとチョコレートの騒ぎがその筆頭かと思えば、

想像はしやすい。


お婆ちゃんが病気に倒れて寝たきりになってしまっても、

嫁はあーでもないこーでもないと、お婆ちゃんに話しかけつつ怒鳴りつつ、

言葉とは裏腹に自宅介護で、甲斐甲斐しく世話をしてくれたそうだ。

障害で言葉を話せなくなってしまったお婆ちゃんは、

このくそ嫁と心の中で怒鳴り返しつつも、かなり感謝していたようだ。

寝たきりの老人を病院に預けっきりの家族が多いこの昨今で、

自宅介護を自ら望んでまでするお嫁さんは数少ない。

だから、死ぬ間際まで寂しくなかったと、

お婆ちゃんは私に伝えてくる。


「お礼が言いたいの」

私はようやく自分に襲い掛かってくるイメージ達を振り切ると、

ぼそりと口に出して呟いた。

「お嫁さんに、今までのお礼が言いたいんだ」

尻餅をつくくらいの意識の衝動を振り切って、

私はため息をつくと体を起こしながら言って、お婆ちゃんを見た。

すると、その次の瞬間には、

もうお婆ちゃんの姿は無かった。



はあ?と、

私は今までお婆ちゃんのいた場所を見つめてぽかんと口を開ける。

「お礼が言いたかったんだ」という私の一言で、

二日間部屋に居座ったお婆ちゃんは消えてしまった。

跡形も無く。もう私の頭の中にも一片たりとものお婆ちゃんの意識のかけらも無い。

「お礼か」

私は呟くと、気を取り直してまた冷蔵庫まで歩いていき、

ガコンと冷蔵庫の扉を開けて、最後に残った発泡酒の缶を取り出した。

「お礼なんだ」

なんで、という念が払えないまま、

私は手に持った缶のプルタグを引いて中の冷え冷えの酒を煽った。


お礼なんて、自分で言えばいいのに。

なにも、お嫁さんのところに、

言葉は悪いけれど化けて出てさ、

「世話になったねえ、有難うよ」って、自分で言えばいいじゃない。

関係の無い私のところに化けて出る余裕があるなら、

家族のもとへ化けて出ることなんて容易いんじゃないか?

いや、容易いかどうかは分からないけれど、

そう考えるのが一般常識ってもんじゃなかろうか。


五見に電話をした。

只今午前一時過ぎ。

寝ているかなと思ったら、案外すぐ五見の声が聞こえてきた。

「真備ちゃん、何、どうしたの?」

気のせいか、五見の声に怯えたような感じがある。

この間の人形師の一件、

もしくはあの欺瞞に満ちた家の自殺した少女の一件を引きずっているのだろうか、

夜中の電話。何かまた私が揉め事を抱えていると思ったに違いない。

「あのさ、死んだ人の望みをさ」

私のろれつが回っていないような気がする。

だけど、私は別にいつもの事なので気にもせず言葉を続けた。

「あたし達はいっつもいっつも、叶えなきゃならないの?」

「え?」

五見が戸惑った声を上げる。

「死んだ人がさ、いっつも勝手に向こうからやって来てさ、

 んで、何がして欲しいだの、遣り残しただの言うじゃん。

 黙って聞いてあげるだけでも大変なのに、

 それをいちいち叶えてあげなきゃならないのかな。

 それも赤の他人の。結構、それってさ、非常識だと思わない?」

「身内で生きている人間でも、

 真備ちゃんみたいに夜中に酔っ払って電話してくるようなのもいるからね。

 生きてても死んでても、人間には身勝手なところはあるんじゃないの?」

しらーっと言葉を返してくる。

本当に可愛くない女子高校生だ。

「一体、何があったのよ」

五見が聞くので、私はさっきまでいたお婆ちゃんの話をした。

「んで?」

あくび混じりの五見。

「あんたなら、どうする?お嫁さんにお婆ちゃんがお礼を言ってましたよって、

 わざわざ言いに行く?」

私が言うと、

「うーん、分からない」

「ちょっと、冷たいわねえ。もし、あんたが私の立場ならどうするよって聞いてるのに」

きっと五見は何を今更的な用事だと思ったのだろう。

確かにこういうことは私たちには別に珍しくもない日常茶飯事の事だからだ。

「あのね、真備ちゃん。他人の立場になるってことは不可能なの。

 私が本当の真備ちゃんの立場になるって言うのは、所詮無理なんだし。

 だって、私真備ちゃじゃないでしょ。

 第一、私がどう思うかよりも、

 真備ちゃんがどうしたいかが問題じゃないの?

 嫌なら無視する、

 気になるなら言いに行く。自分の良心の問題。それだけの事でしょ」

私は言葉を失って、黙って五見の言うことを考えてた。

「じゃあね。お休み」

五見は一方的に電話を切った。


良心、というのは一体何なのだろう。


良心。


考えれば考えるほど、意味が頭をすり抜けていくような言葉だ。 



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