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鬼録   作者: 小室仁
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せんべいとチョコレート 1

もう一本タバコに火をつけて、発泡酒の栓を開ける。

そろそろ今月は給料日まで苦しいから、

酒を飲むのはほどほどにしないとな、と思いつつ三本目の缶の栓を開けてしまう。

「どうしてかなぁ」

呟いても、一人のアパートの部屋では誰も答えてくれるはずも無くて、

独り言はそのままタバコの煙と一緒に部屋の真ん中に消えていく。

ため息をついた。

そして何度目か、私は自分の背後を振り返った。


小柄なお婆ちゃんがにこにこと笑って、私の背後の部屋の隅に正座をしていた。

灰色の訪問着、きちんと結っている少ない白髪。

年齢を映している皺の多い丸い顔は、死んだ人だとは思えないくらい血色がいい。

とてもリアルな幻だ。

近くに行ったら触れられそうな虚像。

もちろん、私だけに見える例のやつなのだ。

「ったく、困ったなあ」

もう一度、今度はわざとらしく大きな声で呟いてみる。

でも、そのお婆ちゃんは相変わらずにこにことしているだけで、

なんのリアクションも無いのだった。



昨日の朝起きたら突然、このお婆ちゃんは私の部屋の隅に座っていた。

そしてそのまま、今日も居座っている。

ただ今、午前一時。

ほとんど二日に渡って、このお婆ちゃんは私の部屋に居座っていることになる。


実はこのお婆ちゃんは、

私のまるきり知らない人ではなくて、私の知っている人だ。

知っている人だからって言ったって、自分の部屋に突然現れて居座られたら、

誰だってかなわないだろう。

私だってかなわない。

一体どうしてなんだ。

それこそ最近の知り合いならまだしも、

父親が生きていた頃、まだ私が小学生の頃以来になるか、

それからはほとんど会った事も無い人なのだから、なおの事。





そのお婆ちゃんは、私の幼い頃育ち父親と暮らしたアパートの近くの家に住んでいたご隠居だ。

今私が一人で住んでいるアパートとは、場所はかなり離れている。

はっきり言って、ご隠居さんは今まで忘れて去っていた存在だと言い切っても良いくらいの存在。

今更、私のもとに今頃現れる理由が分からない。






このご隠居さんが突然私の部屋に現れたので、私は何故だろうと思い、

今日早番の仕事の終わった後、懐かしいホームタウンを訪ねてみた。

父親と一緒に住んでいたアパートは、ここ四年ほど見に来ていなかったので、

今は駐車場になってしまっていて跡形も無かったのにはショックを受けた。

しばし愕然と佇んだ後、私はここにやって来た本来の目的を思い出して、

見覚えのある家の塀際に、たくさんの白と黒の花輪が並んでいるのを見つけたのだった。

そしてやはり、と心の中で呟いた。

あのお婆ちゃんは亡くなったのだ。

しかし、どうして私のところに現れるのだ?





このお婆ちゃんの家の事は、良く覚えている。

何故なら、この家のお姑であるお婆ちゃんとお嫁さんの仲が、

とても悪かったからだった。

いつも周り中に聞こえるような派手な喧嘩をしていた。

それこそ、辺りを構わないような大声の喧嘩だった。


けれど子供だった私の印象は、それほど悪いものが残っているわけではない。

何故なら、お婆ちゃん一人の時に私が道端で出会うと、

母親のいない私を可哀想に思うのか、

ティッシュに包んだせんべいを、二、三枚そっと笑顔で手渡してくれたし、

逆にお嫁さんが一人の時に私に出会うと、やはり父子家庭の私を不憫に思うのか、

ラップに包んだチョコレートの包みを、そっと優しく手渡してくれたからだった。

だから、それぞれお婆ちゃんとお嫁さんは本当は悪い人なのではないのだと思うのだけれど、

二人が一緒になると、馬が合わないのか相性が悪いのか、

喧嘩ばかりになってしまうようなのだった。





一度はおばあちゃんにおせんべいを貰っている時に、お嫁さんに出くわしたことがある。

すると、お嫁さんは私の手の中のティッシュに包まっているせんべいを取り上げると、

「こんなもの今時の子供が喜ぶわけないでしょう!」

そう言って、自分が持って来たいつものラップに包んだチョコレートを私の手に押し付けて、

「チョコレートの方が好きだものねえ」

これ見よがしに私の顔を覗きこんだ。

すると、側にいたお婆ちゃんも負けていじと、

「チョコレートなんて刺激物を平気で小さい子に上げるなんて気が知れないよ!」

そう言って私の手の中のラップの包みを取り上げると、

もう一度ティッシュにせんべいを包んで、私に押し付けたのだ。


しばらく、そういった大声の問答が公の道の真ん中で繰り広げられて、

通り過ぎる近所の人たちは、またやってるよと遠巻きに眺めて通り過ぎていくし、

その二人の真ん中にいて、せんべいとチョコレートを両手に押し付けられている幼かった私は、

恥ずかしくて辟易してしまったのを覚えている。

結局、せんべいもチョコレートも大好きだと二人に告げて、

その場は収まったのだけれど、

こんなに仲が悪いなら一緒にいなきゃいいのにと、子供心に思ったりしたものだ。

けれど、まるきり仲が悪いのかと思えば、お婆ちゃんとお嫁さんは、

時々は一緒に外出をしていることもあったりして、

喧嘩するほど仲がいいと言う例はこの事かと、私は思ったりしたこともあった。

けれど、二人は一緒に外出をしながらもやはり大喧嘩をしていたりして、

幼い私は混乱したものだった。






お婆ちゃんは何故今、私の前に現れたのだろう。

私が死んだ人が見えるというだけの理由で現れたのだろうか。

確かに、このお婆ちゃんをはじめ、父親と住んでいたアパートの近所の人たちは、

私が怪しい子供だとは知っていた。

怪しい霊能力を持っている変な子供だと噂されていたのだ。

もしくは頭の狂っている嘘つきな子供だとも。


幼い頃の私は、今よりも生きることが不器用だった。

だから別に、周りの人達にそう言われても仕方の無いことだった。


でも、私も社会に慣れて今の生活をしている。

何故、昔の因縁の人が、

改めて私の側に現れるのか。



人が何かを目的を持って人の前に現れるのが、

死んだ人も生きた人も一緒の道理なのならば、

お婆ちゃんが私の前に現れたと言うことも、

何かしらの目的があってのことに違いない。



生前も後も、このお婆ちゃんは悪い人では無さそうだったから、

このまま放っておいても、別になんら問題は無いのは分かっていたけれど、

でもこうしてずっと部屋に居座られても、私の居心地が悪くて仕方ない。

私は今開けたばかりの発泡酒を一気に煽ると、

意を決してお婆ちゃんの側に歩いていき、その前に座り込んだ。


「私に何をして欲しいの」

私はにこにこと笑って正座をしているお婆ちゃんに、声に出して訪ねた。





途端、たくさんのイメージ!

言葉では言い尽くせないたくさんのイメージが、どっと私に襲い掛かってきて、

私は後ろに、どしんと尻餅をついてしまった。



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