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鬼録   作者: 小室仁
36/72

欺瞞の家 13

亜紀の家は、大きなお屋敷と言っても過言ではないほどの立派な家だった。

家の門の前には、煌々と照らされた葬儀の提灯が下がっており、

弔問に訪れた人々が、続々と通夜の家の門をくぐり抜けていく。

その数は、傍目で見ているまるきりの他人のこちらが訪れるのを、

躊躇させてしまうほどの数だった。

「ずいぶん、たくさんの人だね」

五見がその様子を見て言う。

「うん」

屋敷から少し離れた場所で、私達は佇んでいた。


亜紀の義理の父親は、

かなりの名士なのだろう。

義理の娘の葬儀に、これだけ集まるのだから。

とにかく物凄い人の数だった。

屋敷に流れ込んでいく黒い服の人の群れは、

途切れることなく続くのだ。


私と五見は、しばらく佇んでいるだけで、

どうしても門の中に入っていけなかった。

「真備ちゃん?」

立ち止まって動かない私に、五見が声をかける。

 どうしたのよ。

そう言いたげだった。

でも、動けないものは動けないのだ。

結局、私は凡人なのだ。

意気込んで来たはいいけど、

この光景を見てしり込みしてしまっているのだった。





助ける。

一口に言ってしまえば簡単なことだけれど、

第一、実際どうやって彼女を助けたらいいんだろう。

ただ死んだ人が見えると言うだけの、無力な私なんかに、

自分に奢っていただけなのではないか。

私は言葉に出せず、でも躊躇の表情を隠せずに五見を見返した。

五見も私の表情を読んだのか、黙って肩をすくめる。

その時、近くを飛んでいたアカが物凄い叫びを上げた。

「キエーッ!キエーッ!」

弔問の人達も、何だろうと顔を上げている。

普通の人達にも聞こえるほど、アカの叫びは大きかった。

「真備ちゃん、あれ」

ふと、五見が呟くように言って、指を差す。

黒い礼服を着た背の高い鬼が、

醜く角の生えた卑しい顔の鬼が、玄関で弔問のお客を迎えていた。

 前に見た。

私は確信する。

そして、思い出して改めてぞっとした。

亜紀が飛び降り自殺をした後、

あの屋上のフェンス越しにこちらを見ていた鬼だ、確信した。

あれは人間だったのだ。

瞬きをしてもう一度その鬼を見ると、

それはもう、ただの悲嘆に暮れている中年男性の顔に戻っていた。

弔問のお客達は全員、その男の人に頭を下げお悔やみを伝えていた。

とすると、あれは亜紀の義理の父親なのだろうか。



「真備ちゃん」

ふと、五見が言って私の腕に触る。

私は我に帰って、五見の指差すその方向を見た。

 亜紀がいた。

ぞろぞろと訪れる弔問客の合間に隠れて、

気がついたらそこにいるのだった。

屋敷の門の中、家の玄関のドアの脇。

何も言わず、生前の前に見た制服姿でただ俯いて立っている。

私達がいつまでも入って来ないのを心配したのだろうか。

引き返して帰ってしまうとでも思ったのだろうか。

私の部屋で助けてと叫んで以来、

姿を消していた彼女がそこにいた。

「真備ちゃん、どうするの?」

五見が彼女から私へと目を移して言う。

「五見、やっぱりあんたにもあの玄関に立ってお客を迎えている男の顔が、

 変に見える?」

私は低い声で早口に聞いた。

「うーん」

五見は小さく唸りながら、目を凝らした。

「見えるね」

ふと、家のドアから見覚えのある豚も現れる。

亜紀の母親だ。

二人して弔問のお客に頭を下げながら、何か話しているのだった。

「ついでに、もう一人変な顔に見える女の人も現れたよ」

五見は冷静な言葉で言った。

「あれが、亜紀の実の母親なのよ」

私が言うと、五見は肩をすくめて頷いた。


「キエーッ」

再び、アカが夜空で叫び声を上げる。

「アカはスタンバイOKみたいね。鬼退治に」

五見が空を見上げて小さく言った。

「乗りかけた船か」

私はため息をついて肩をぐるりとまわし、

重くのしかかってくる気持ちを振り捨てて、

一歩前へと足を踏み出した。




屋敷の門を他の弔問客に混ざってくぐると、

途端にお線香の香りが襲い掛かってきた。

私に気がついたのか、豚との顔がダブって見える亜紀の母親がこちらを向いて頭を下げる。

それに気がついて、亜紀の義理の父親と思しきその鬼の顔をした男も近づいてきて、

私に頭を下げた。

「亜紀が、大変ご迷惑とお世話をかけました」

 

 本当に世話をするのはこれからなんですが。


父親の背中越し、ドアの陰で佇んでいる亜紀の姿を横目に見ながら、

私も頭を下げながら心の中で呟いた。

「ご愁傷様です」

私が言うと、異形の顔をしたその父親と母親は、

私を家のドアの中へと導いた。

「どうぞ、こちらへ。ありがとうございます」

五見が私の後についてくる。

そして、いつの間にか、

青い着物を着たアカも、一緒に屋敷の中に入って来ていたのだった。

「招かれれば、私も中に入れますゆえ。

 御用の折には、どうか遠慮なくお申し付け下さいまし」

言ったと思うと、アカは煙のように姿を消した。

「どこ行ったのかしら」

私は靴を脱いで家に上がりながら聞くと、五見は言った。

「さあ、その辺でスタンバイしてるんじゃないの?」

アカになんぞ、頼む用事が出来なければいいけどと思いながら、

私は祭壇のある広間へと入っていった。


人々はぞろぞろと焼香をしている。

その中には、あの刑事の姿もあった。

むかつくけれど、知らん振りをする。

自分の心を平静に保っていなければ、

肉の目で物を見ることが出来なくなってしまうからだ。

心の目で物を見るとしたならば、

一体何が本当のものなのか、まるきり区別がつかなくなってしまう。

深呼吸をして、平静を保つ。

五見のように物事に動じない性格だったら、どんなに楽だろうと、

しみじみ隣にいる自分の四つ下の従妹が羨ましくなった。



明るい祭壇の上に飾られているにこやかな笑顔を浮かべている亜紀の写真が、

妙に空々しい。

見つめていると、それはあまりに非人間的な微笑みに見えて来て、

寒気すら覚えるほどだった。




助けて。


心の中に、亜紀の言葉が響いてくる。




焼香の順番を待ちながら、辺りを見回して一人の少年に気がついた。

じっと俯いて、正座をしていた。

小学生高学年なのだろうか。その横顔は大人びているものの、

体の線は細く、か弱い頼りない感じがする。




清志を助けて。



焼香が終わっても、私は何気ない風を装って、

その場に居続けた。

清志に近づけるチャンスを待っていた。

やがて、そのチャンスはめぐってきた。

少年が立ち上がったのだ。

どこへ行くのだろうと、私も慌てて後を追った。

五見もついてくる。

ざわざわと人の多い広間を離れ、家の奥まった廊下を清志は一人で歩いていく。

私も何気ない風を装いながら、清志の後を追って家の奥へと歩いていった。

廊下の突き当たり、

ふと見覚えのある光景に私は目を細める。

夢の中で見た光景だった。

廊下の突き当たりのドアは、亜紀と清志の部屋だ。

清志はドアを開けて中へ入っていった。

きっと何か物を取りに来たとかなのだろう、ドアは開けっ放し。

私は急いでその開けっ放しのドアノブを掴むと、

五見を振り向いて早口で言った。

「私が清志君と話している間、見張りお願い」

「OK]

五見は頷いて、広間の方へと戻っていく。

さりげなく見張ってくれることだろう。


私が後ろ手でドアを閉めると、清志は驚いて振り向いた。

「誰ですか!!」

怯えた叫び。

私は口の前に人差し指を当てると、微笑んだ。

「お姉ちゃんに頼まれたの。清志君を助けてあげてって」

ぽかんと、口を開けて清志は私の顔に見入る。

「お姉ちゃんに・・・?」

「ねえ、正直に教えてくれる?

 あなたは一体この家で、あの人たちに何をされているの?」

清志は急におどおどとして、私から目をそらすと俯いた。

私は一つ小さくため息をつくと、そっと手を伸ばし清志の手を取った。

清志は一瞬、手を引こうと力を込めたけれど、

あきらめたように力を抜いた。

私はそっと、清志の袖をまくり中を確認する。

そして、清志の襟元も緩めて中を覗き込んだ。

叫びを押し殺すのがやっとだった。

服に隠れた肌は、もとの色を残していないほど、

紫や緑のあざに覆われていた。


「お姉ちゃんにね、亜紀さんに」

私は声のかすれる喉から、言葉を押し出して優しく清志に話しかける。

「あなたを助けてくれって言われたの」

「何で、お姉ちゃんは助けなかったの?」

上目遣いの目で、清志は震える声で言った。

私は言葉に詰まってしまった。

「僕より、お姉ちゃんを先に助けてくれれば良かったのに!」

清志の目から、涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。

「ごめんね、間に合わなかったの」

私の声が震えた。

「ごめんね」

言い訳にならないことは、自分が一番良く分かっていた。


しばらく、私と清志の間に沈黙が流れた。

私は言葉を失ってしまい、亜紀が目の前で飛び降りた瞬間のあの指のぬくもりを思い出して、

改めて自分の存在を嫌悪していた。

亜紀の死を止められたはずなのに、彼女をむざむざ目の前で殺してしまったのは、

やはり私なのだ。



やがて、清志が唇をかみ締めて、

唸るような泣き声を体から発した。

「ううん、僕が悪いんだ。

 ずっと前からお姉ちゃんを助けて上げなきゃならなかったのは、僕なんだ。

 僕のせいで、お姉ちゃんは死んじゃったんだ。

 僕が殴られるのを止めるために、お姉ちゃんは」

それは、見ているこちらが驚愕してするほどの後悔と無念の思いだった。

清志の肩に手を置こうとして、私ははっと息を飲んだ。


最初はもやもやとした煙のようなものだった。

それがやがて形を取り始め、人間の姿に変わった。

「亜紀さん」

私は呟くと、清志が驚いて顔を上げた。


温かい光を背負った亜紀の姿が、

清志の体を包むように抱きかかえていた。

亜紀の清志を思う気持ちが、私の中に流れ込んでくる。

「清志くん」

私はかがみこむと、優しく清志に微笑みかけた。

「私には死んだ人が見えるの。信じられる?」

清志は首を横に振った。

それでも、私は微笑みながら表情を変えず、黙って清志を見続ける。

「ごめんねって、お姉ちゃんが言ってるよ」

あっけに取られたように、清志は涙の溜まったままの目で私を見た。

「本当に見えるの?」

清志が震える声で聞いてきた。

「あそこの引き出しを開けてみて」

私は亜紀の勉強机の引き出しを指差した。

清志はためらいながらも、

何か私の様子に尋常じゃないものを見つけたのか、

素直に従って机の前に行き、引き出しを開ける。

清志が一枚の封筒を見つけた。

中を一緒に覗いてみる。

それはディズニーランドの二枚のチケットだった。

「来週の日曜日にでも、一緒に行きたかったんだって。

 本当に、清志君と一緒に行くのを楽しみにしてたんだって。

 間違って死んじゃったって。全く私は馬鹿だったって。

 本当にごめんねって、お姉ちゃん言ってるよ」

「お姉ちゃんが今、ここにいるの?」

清志は目を見開いて、私につっかかるように叫んだ。

「うん、清志君の側にいるよ」

「僕こそ、ごめんね。僕こそごめんね」

清志は再び声を上げて、すすり泣き始めた。

でもそれは、さきほどの絶望からの泣き声ではなく、

どちらかというと安堵からの泣き声に聞こえた。

「人が死ぬのはとても寂しいことだけど、でも決してそれが、

 最後の別れになるわけじゃないの」

言っている私の目からも、涙がぽろぽろと流れてくる。

でも、それは私自身の涙というよりは、亜紀の流している涙のようだった。

「死んだ後も、ずっと一緒にいるのよ。清志君の心の中だけではなくて、

 本当に触れるくらい近くにいるの。

 ただ、それが清志君には見えないというだけのことなの」

清志が私に寄りかかってきた。

私は私の体を亜紀に少し貸してあげることにして、そっと目を閉じたのだった。


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