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鬼録   作者: 小室仁
32/72

欺瞞の家 9

「落ち着いて、真備ちゃん落ち着いて!」

浴室の床に放り投げた携帯から、五見の声が聞こえてくる。


私は自分の背中に覆いかぶさっている少女が映る鏡に見入ったまま、

動けずにいた。

気がつく前は全く何も感じなかったのに、

こうして今彼女の存在に気がついて、

私の背中越しに鏡に映る彼女に見入れば見入るほど、

不思議なことに、その少女の姿はますますはっきりと、

髪の一筋一筋までもがリアルに見え始めてきているのだった。

そしてずっしりと、

肩には、死んで肉体は失ったはずの、

彼女の体の重ささえも増してきていた。


心なしか、彼女が私の首に回した手にも、

次第に力が加わってくるような気がする。

私は洗面台に両手をかけて、

寄りかかってくる彼女の体の重みに耐えていた。

長い髪が、私の首筋に触り、

ぞっとするような感じでくすぐる。


一体これが、死んだ人なのだろうか。

それにしては、あまりにもその姿はリアルでだった。

怖いのに、それでも彼女を見ることをやめられない。

彼女の頭が少し動いた。

首筋を撫でる髪がサラサラと動く。


鏡に映る彼女の前髪が一房、ふわりと揺れた。

そして、その合間から、

上目使いでこちらを見る血走った目が覗いた。

「うわっ」

私は驚いてびくりと小さい叫びを上げた。

まさに、狂気と正気の狭間にいる感じだった。


「真備ちゃん、真備ちゃん!」

五見が床に転がった携帯から叫んでいる。

「分かってるよね、今見えているものと実際に見ているものとは、

 必ずしも同じじゃないんだよ!」

私はようやく鏡から目を移して、床の上の携帯を見る。

「真備ちゃん!真備ちゃん!聞こえてるの?」

私は体にかかる彼女の体重をこらえながら、

のろのろと床にかがんで携帯を拾った。


重い。

実際に人間一人背負っているような重さ。

私の額には、玉のような汗が湧き出つつあった。


「真備ちゃん、おばあちゃんの言葉覚えてる!?」

携帯を拾って耳に当てたものの、答えず無言でいる私に、

五見が電話越しに怒鳴っている。

「心で彼女を見ては駄目だよ!」

私はふと、五見の言葉に思い当たるものがあって、

受話器を持ったまま、鏡の中の自分の顔を見た。



「物事は全て、心で見てしまうと捻じ曲がってしまう。

 だから、くれぐれも、

 何かをじっと見るときには、自分の心を殺して、

 実際の肉体の自分の目だけに、見えるものを信じなさい。

 そこに己の感情はいらない」


おばあちゃんが、普段口が酸っぱくなるほど、

私達に、言い聞かせている言葉の一つ。

他の人に見えないものが見えてしまう私達は、

これをよっぽど忠実に守らなければいけないらしいのだ。


でも、自分の心や感情を殺して物事を見ると言うのは、

私には不可能に近いほど、とても難しい。

何故なら、私は自分が結局一番可愛い、

くだらない人間だからだ。




「何も、お化け屋敷のお化けじゃないんだから、

 彼女は真備ちゃんを驚かそうと思って、そこにいるわけじゃない!

 だから、ちゃんと本当の彼女の姿を見て!」

五見の言葉に、私ははっとして、髪の間から覗く、

彼女の恐ろしい血走った目から目をそらして目を閉じた。


そうだ。

何も彼女は、私を驚かそうと思って現れているわけじゃないだろう。

何か言いたいのだ。何か伝えたいのだ。



だから、こうして私を驚かせようとしているかのように、

彼女の姿が見えると言うことは、それは彼女の仕業では無いのだ。

私の心か。

軽薄な恐怖と無意識の自衛心が、

実際とは、捻じ曲がった物を見せているに違いない。


「ギャーテーギャーテーハラギャーテー、ハラソーギャーテーボジソワカ」

私は呻くように、馴染みの深い言葉を唱えた。

自分を落ち着かせるための呪文。



ふっと、肩が軽くなった。

「もしもし、五見」

私は携帯の向こうの五見に答えた。

「ほんと、ありがとう。もう大丈夫だよ。

 ちょっと混乱してたみたい」

携帯の向こうで、五見がほっとしたように言った。

「だって、しょうがないよ。目の前で人に自殺されれば誰だって不安定になるし。

 自分の心とか感情って、思ったより自分でコントロール出来ない物だしね」

五見が言うのに、私は頷く。

「で、本当の彼女はどんな具合なの?」

五見に言われて、私は振り返る。

鏡の逆側にただ立っていた彼女を。



亜紀はうなだれていた。

別に私にしがみついていたわけではなかったのだ。

ただ、私が勝手にそう思っていただけ。

私の後ろにそっと立っていただけ。

「あなた、何が言いたいの?何を伝えてほしいの?」

私は言った。

亜紀は、ゆっくりと顔を上げた。

でもその顔は、もうあの時のように笑顔では無かった。




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