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鬼録   作者: 小室仁
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欺瞞の家 6

「本当に大丈夫なの、うちに泊まりに来れば」

病院から帰ると、いつもクールな五見には珍しく何度も何度も聞いてきた。

「大丈夫だよ、ちょっと疲れただけ。寝れば治るだろうし」

私のアパートまで、五見は送って来てくれていたのだった。


「退院直後にビールなんて」

という五見の声は無視して、

私は大きくため息をつきながら、

冷蔵庫から出した缶ビールを一口大きく煽った。

「おばあちゃんに連絡取る?」

セーラー服姿で学生かばんを持ったままの五見が、

私を振り返り、もう一度言う。

「何で?無駄に心配かけても仕方ないし、いいわよ」

私はビールを煽ったまま、片手を振って、

五見に帰れと合図を送った。

「なんなら、私泊まってあげてもいいけど?」

アパートの玄関まで行って、また五見は振り向いて言った。

「一体、どうしたってのさ。明日学校あるんでしょ?

 大丈夫だから帰りなよ。迎えに来てくれてありがとうね」

五見は肩をすくめて靴を履いた。

そして、ふとまた振り向くと真っ直ぐに私を見て、低い声で聞く。

「真備ちゃん、分かってるよね」

質問とも詰問とも分からない口調。

一体何の事を聞いてきているのか、実は私はまるきり分からなかったのだけれど、

ここで何のこと、と聞き返すのも何だか癪に障って私はすぐに頷いて見せたのだった。

すると、五見は声色を緩めて、

「いつでも電話してきていいからね」

本当に稀に聞かないような優しい声で言い、部屋を出て行った。


いつも無愛想でクールな五見らしくないその様子に、

私は目を剥いて五見の出て行ったドアを見守る。

 一体なんだってんだ。

確かに目の前で人に死なれたのはショックだったけど、

五見に慰められるとそっちの方が気色悪い気さえする。

それに、一体何が分かっているのかと聞いてきたのだろう。

まるきり見当がつかないのだ。


一人きりになったアパートの一室を見回す。

やはり、どこにもあの自殺した少女の姿は見当たらないのだった。

 来ないのかな。一体なんで。

声にならない疑問を心で呟きながら、

私は二本目の缶ビールを開けた。


1DKの狭い部屋を見回して、

どこにも何の気配もないことを逆に気にしながら、

私はビールをすすり続けた。

やはり腑に落ちない。

どうして、あの少女は現れないのだろうか。

今まで出会った死んだ人はほとんどと言ってもいいほど、

もれなく私の前に現れた。

しかし、彼女は現れない。

私の目の前で死んだというのに。




テレビの画面にちらちらと映る番組の移り変わりで、

刻々と時間が過ぎていくのが分かる。

ぼーっと所在無げに一人でいることに耐えられなくなって、

五見に電話しようかと携帯を手に取る。

しかし、何か相談しようと思ってかけても、

いつも勉強中だとか何だかとかで、

素っ気無く切られてしまうことの多い相手に、

「かけて良いよ」と言われて電話をかけるのも、癪に障るのだった。

身の回りに起きる、同じようにそして同じくらい奇妙な出来事を、

いつも自分よりも冷静に対処出来ている相手に弱音を吐くのは、

(それも四つも年下の従妹に!)屈辱に近いとさえ思うのだ。

私は手に持った携帯を放ると、冷蔵庫に三本目の缶ビールを取り出しに行った。


「アカ!アカ!」

そうだとばかりに思い出して、私は立ち上がると部屋の窓を開けて、

夜空に向かってアカの名前を呼んでみる。

少しも役に立たない妖怪でも、酒の相手ぐらいは出来るだろうと思ったのだ。

しばらく呼んで、ようやく小さな羽音が聞こえてきた。

「真備さま、御用で?」

カナリヤみたいな小さくて赤い鳥が、夜空の中を縫って私の部屋の窓に現れる。

「御用もなにも、あんた酒飲める?」

缶ビール三本目が効いてきている私は、少しろれつの回らない口で、

アカに口早に問いかける。

「御酒でござるか、たしなみまするが」

アカは窓の外で羽ばたいたまま、部屋の中へは入ってこない。

「じゃ、一緒に飲もうよ。中に入れば」

私が言うと、アカは後ろを振り返るような素振りを見せた。

何かが気になっているという仕草。

「なに、どうしたのよ?」

私が聞くと、

「いえ、五見さまに先に頼まれている仕事がござりまする」

「はあ?」

私は大きな声で叫んでしまう。

まあ、もとは遊びとはいえ、

れっきとした主従関係の契約を交わした主人の私の言うことよりも、

関係の無い五見に頼まれた事を重視するわけ?

「一体、五見に何を頼まれたのよ」

私は睨みつけるようにしてアカに言う。

「コンビニで、ケシゴムとやらを買いに行って参りまする」

私の表情を見て、何やらまずいことをしていると感じたのか、

アカは目をそらして消え入るような声で答えた。

「ふーん」

無言で言うと、アカはそのまま小さく羽ばたいて宙に浮いたまま、

申し訳なさそうにしているのだけれど、一向に部屋の中に入ってくる様子は無いのだった。

「いいわよ、行けば」

アカはほっとしたように、

「すぐ戻りまする!」

叫びながら急いで来た彼方へと飛び去って行った。

「もう今夜は寝るから戻って来なくて結構!」

私は邪険に夜空に叫ぶと、窓ガラスをパシリと閉めた。


多分、強く言えばアカは私の言うことを聞いたに違いない。

だけど、私もいろいろ五見には借りがある事だし、

五見の用事を蹴らせてまで、酒に付き合わせる必要も無いと思ったのだ。


ようは、あれなのだ。

きっと、アカは五見を私の上に立つ存在だと思ったのだろう。

会社のOLが、係長の言うことよりも部長の言うことを重視するような感じと言えば、

分かりやすいか。

「どうせ、私は器の小さい人間よ」

いじけモードで四本目の缶ビールを冷蔵庫から取り出した時だった。

時間は午後十時を少し回ったところ。

アパートの部屋の入り口のベルが鳴った。

プルタグを引こうとして、私は動きを止める。

 一体誰なんだろう。

ビールの缶を持ったまま玄関のドアへ行き、覗き窓から外を見た。

 俯いた女性の姿が、魚眼レンズの向こうに歪んで映っていた。

やがて、その訪問者が顔を上げて、

私は息を飲んだ。

昼間病院で私に掴みかかった、

人間の女の姿をしたあの豚がそこにいたのだった。



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