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鬼録   作者: 小室仁
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欺瞞の家 4

気がついて目を開けると、白い天井が見えた。


私が寝ているのはどこかのベッドのようだ。

寝たまま、頭を回して見てみると、

他に私と同じようにベッドの上で寝せられている人たちが数人いて、

ここが病院の一室なのだと私は理解した。


部屋の中は六台のベッドがある。

人が寝ているのは、私のを除いて三台、

後の二台は無人のベッドだった。

首を回して病室の窓を眺める。

日は翳り始めていて、もう夕方に近いのだと分かった。

しばらく今の自分が置かれている状況を頭の中で反芻して、

私はガバリと寝せられていたベッドの上に起き上がった。

 やばっ、仕事っ!

中番の出勤途中に、あの少女の飛び降り自殺に巻き込まれたのを、

鈍い頭の働きながらも、はっきりと思い出したのだった。

途端に、ズキンと左のこめかみに鋭い痛みが走って、

私はうずくまった。

そして、少女の飛び降り現場の野次馬の中の誰かに、

石を投げられたのも思い出したのだった。


ふと、病室の入り口が騒がしくなった。

誰か女の人が怒鳴っている。

そしてそれをなだめているような数人の男の人の声。

「亜紀を殺した犯人がここにいるんでしょうっ!

 早く捕まえてよっ!警察は何をやっているのよ!」

「落ちついて下さいっ!」

「待ちなさいっ」

尋常ではない騒ぎに、

他のベッドで寝ている人たちも体を起こして入り口を振り返った。


入り口から何かの制止を振り切ったかのように、

騒ぎの主が病室に飛び込んできた。

私は、ぎょっとした。


服装から女の人だとは分かった。

病室の外で叫んでいた声も女性のものだったし。

しかし、駆け込んできたものは、

人間の服を着た、一匹の獣だった。

立ち歩いている姿は人間そのものだったけれど、

その顔は異様なものだった。


まだらな毛の生えた顔は、

人間の肌とは程遠い粗いピンク色をしていた。

巨大な丸い鼻は、縮れた皺を刻みながら上を向いている。

その醜い鼻の下には、ぱっくりと口が裂けていて赤い舌を覗かせていた。

涎がその周りに、ぬらぬらと滴っている。

小さな二つの目はめり込んでいるかのように、その大きい顔の上部で湿って黒く光っていた。

小さな三角の耳が頭のてっぺんに二つ、硬い毛を抱いてちょこんと乗っていた。


あれは何!

声にならない悲鳴に近い疑問を持ったまま、私は見入る。

人間の服を着た豚。

そんなものが、この世に存在するのか?


その服を着た二本足で歩く豚は、

病室の中をさっと見回したかと思うと、私を見つけて駆け寄ってきた。

「お前かっ」

言葉とも、咆哮とも取れる大声を出したかと思うと、

ベッドの上で唖然と座る私の服の胸倉を掴んだ。

そして、力いっぱい揺さぶられる。

目前に息がかかるほど近づいた口元から、

唾液の飛沫が飛び散って私の顔にかかった。


「お前が亜紀を、マンションの屋上から突き落としたのか!」

身も凍るような悲痛な叫びだった。

グロテスクな豚の絶叫。

あまりの驚きに、

私はその化け物に、ただされるがままだった。

 

二人の男が、遅れて病室の中へ駆け込んできた。

地味な色のスーツを着た、こちらは見た感じ普通の人間の男達だ。

「こらっ、やめなさい!」

男たちは叫びながら、私に食らいついている豚の妖怪の体を掴んで、

私から引き離した。

「落ち着いて、落ち着きなさいっ」

男たちは叫んで、荒い息を吐いて私に付きかかる豚を取り押さえる。

人間の服を着た豚は、鼻息荒く私の顔を睨みながら、

男たちに取り押さえられて、ようやく私の襟元から手を離した。


「申し訳ないね」

騒ぎの主の豚の妖怪は、

スーツを着た男達と、ちょっとした格闘の末、病室から連れ去られた。

スーツ姿の二人のうち、一人がネクタイを直しながら私に謝罪した。

「娘が死んで、取り乱しているんだよ。

 全く、母親ってもんは」

何が言いたいのだろうと、私はその男を黙って見上げていた。

「自殺を認めたくないんだろう」

私が何も聞かないうちに、男は答える。


「申し遅れました。私はこういうもんです」

それでも、黙っている私に、

男は胸ポケットから名刺入れを出すと、

白い紙を一枚、私に差し出した。


『警察』とあった。

役柄や名前などには、全く興味が湧かなかったので、

目が文字を撫でただけで、私の頭の中には入って来なかった。

その冴えないスーツを着た二人の男達が、

警察の人間だと分かれば、充分だった。


何で、警察が私に関わるのだろう。

私の疑問は、それだけだった。


「申し訳ないのだけれど」

『警察』の男が、本当に申し訳なさそうに、

私の顔を覗き見て言った。

「ちょっと聞きたいことがあるんですよ。よろしいですか」


よろしいも何も、その男の言葉は私に有無を言わせないような、

雰囲気を含んでいた。

頷く以外に、私に他の何の術があっただろう。

どうやら、私には殺人の疑惑がかかっている。

そう分かった後で。


「どうして、あの場所にいたのですか」

男は聞いてきた。


なぜ私はあの時、

あの少女の丁度飛び降りようとしているあの時に、

あそこにいたのだろう。

理由が分かるのなら、こんなに生きることに苦労はしない。


私はようやく口を開いた。

「職場に連絡していいですか?」

社会人として、当たり前の事だろうと思うのに、

その『警察』は、しばし面食らっていた。


「ああ、はい」

『警察』答えた。

戸惑った返事。

まるで、屋上から少女を突き落とした通り魔が、

仕事をしていたとは、思いも寄らないというような感じ。



この時ほど、他人の死を恨んだことは無かった。

自分の人生だけでも、やっかいなのに。


死ぬ前に笑って見せたあの少女。

幽霊になって、私の目の前に現れたなら、

ぶっとばしてやろうと思った。

でも、彼女は現れなかった。


何で、関係の無い私の目の前で死んだのだ。

そして、それきり私の目の前に現れやしないのは、何故なのか。

だって、私に関わって死んだ後も、

私のこの特殊な能力を、知らないとは言わせない。



生まれて久しく、私は憤りを覚えた。

軟な拳を握り締めて、誰かを殴ってやりたいと、

生まれて初めて思った。


だけど、私は何でそんな凶暴な衝動を覚えたのか、

それは分からなかった。

その時すでに操られていたのに気がつかなかったのだ。

自分の心という化け物に。



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