表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼録   作者: 小室仁
23/72

人形師 了

人形師とその作った人形を取り巻く、

かつての惨劇の一部始終をおばあちゃんから聞き終わると、

改めておばあちゃんに爪を胸元に入れられ封印された「みつ」の人形の前に座り、

私と五見は二人並んで両手を合わせた。


物語の最後のほうに角が生えていたとおばあちゃんが言った言葉の通り、

良く見ると人形の、そののっぺらとした額には二つの傷がある。

何かを削り取られた丸い傷跡。

狂って鬼になってしまった「みつ」の面差しを精巧に映して作られた人形は、

中身が空ろだけに、事件後、

正直に自分の手本の人間の形を真似たのだろう。


人形の額に生えてしまった二本の角を、指を切り落とした人形師が、

後に削り取って綺麗な顔に戻してからみつを供養したという。

罪滅ぼしのために切り落とした自分の爪を一緒に添えて。

はるか昔のことなのに、古い人形の額にあるその因縁の傷跡は妙に生々しくて、

その出来事が妙に身近に感じて私は身震いした。





その後、七見と五見とおばあちゃんと、

皆で食卓を囲んで夕食をとった。

おばあちゃんの仙台土産の牛タンは美味しかったのだけれど、

でも、気持ちの憂さは晴れやしない。

物語を聞いただけならなんということもないのだろうけれど、

私はその惨劇の物語のクライマックスの部分を、この目で見たのだ。

緑色の着物を着たあややのような美しい女の人が、

おどろおどろしい鬼に食いつかれるのを、実際にこの目で見たのだ。



血まみれの桜色の着物を着た不細工なみつと、

緑色の美しい色の着物を着たアヤヤのように美形の若い女。

あれは、みつと、喜代だった。

私の幻ではなくて、想像でもあやかしでも、

空想のたわごとでもなくて、

全て、昔実際にあったことだった。

そう知ってしまったことで、目先の食欲なんてすっ飛んでしまっていたのだ。



あの同じ時に、同じ昔の亡霊の再現の幻覚を私と一緒に見ていた従姉妹の五見が、

おばあちゃんの屋敷の庭の縁側で、缶ビールをすすりながらタバコをふかして、

何に当たっていいのか分からないストレスを持て余している私の側で座った。


「あー、しんどいね」

五見が言う。

「うん」

私もタバコの煙を静かに吐きながら、五見に頷いた。

相変わらず、高校の制服姿の五見は、

辺りを気にせずに体育座りをして、パンツが見えるのも気にならないよう。

「人間の心って、まじ恐いよねえ」

五見がまたぼそりと呟く。

「うん」

私もまた呟いた。




「ま、ぼちぼちいきますか」

五見が言う。

「馬鹿っぽく、全部ひらがなに聞こえるよ」

私が五見の言葉をちゃかして言うと、

「一部分、漢字だわよ」

五見は笑って言った。




ぼちぼち、生きますか。


私は感心して、五見にタバコを差し出した。

まさしく、それしかないと思うのは一緒だった。

どんな状況に陥るにしても、人間はぼちぼち生きていくしかないのだ。


でも、差し出されたタバコに五見はしかめ面をして、

家の中に入ってしまった。






「赤い鳥に気をつけなよ」

ふと、おばあちゃんの庭のどこかで声がする。

私はタバコを咥えながら、声の主を探して庭をきょろきょろ見回した。

「青い着物を着た、赤い鳥だよ」


薮蚊が顔の前に飛んでいるのを見つけて、

私は両手を打ち合わせる。蚊は私の攻撃を上手くかわした。

そして、また声。

「赤い鳥だよ、赤い鳥だよ」


私はショックで固まった。

目の前を飛ぶ蚊から、その声は聞こえてきた。

 虫が喋る?

 ありえない、ありえない。

私は無言で首を振ると、パシリと顔の前で両手を打ち合わせた。

蚊は誰かの血をすっていたようで、

私の手のひらの上に出来た小さい血だまりの中で死んでいた。

私はその手のひらをジーンズやその辺に擦り付けると、

何やら不気味な落ち着かない気持ちになって、

五見達のいる部屋へ戻ろうと腰を上げた。

その拍子に、咥えていたタバコがするりと口からすべり、

縁側にぽとりと落ちてしまう。

火球が出来ては大変と、私は慌ててタバコを拾った。

かがんだ姿勢のまま、ふと目を上げる。

目のすぐ前に青い着物が見えて、

私はびくりと驚き、拾ったタバコをまた落としてしまった。

顔を上げると、青い着物を着た女の人が、すぐ目の前に立っている。

女は、少し横を向いてこちらを見ていた。

その顔は良く見えなかった。

何故なら、青い頭巾を被っていたからだった。


「おぬしか?今蚊を喋らせたのは」

少し古臭い喋り方で、その青い頭巾の女は呟いた。

 絶対、やばい。これ。

私はぞくりと寒気を覚えて、その女の言葉が聞こえない振りをした。

落としたタバコをもう一度拾う。

そして、ゆっくりと女に背を向けて部屋へ戻ろうとした。

 青い着物に青い頭巾?なんだか異様に知っている気がする。

当たり前だ。さっき聞いた人形師の悲話の中で、

全ての不幸を招いた妖怪が、青い着物と青い頭巾を被っていたのじゃなかったか?

それに、今時どこの誰が着物に頭巾なんて古臭い格好をしているもんか。

そこまで心の中で、自分の疑問に自分で答えて、

ふと私は叫びそうになった。

 おばあちゃんっ!助けて!

でも、叫ばないほうがいい事を、私は本能で知っていた。

弱気を起こしたら付け込まれる。

たった一瞬の弱気でもだ。あの物語の中の要七郎のように、

弱気な心で口を開こうものなら、あっという間に取り憑かれてしまうだろう。


なおも無視を続けて私がそこから立ち去ろうとすると、

私の背中に女が鋭く声を上げた。

「待ちや。私の声がおぬしに聞こえているのは百も承知じゃ。

 逃げても無駄だぞえ」

面白そうな声色が加わる。

私は大きく息をついた。

そして、意を決して女を振り返った。

「一体、何の用なの」

私は出来るだけ、低い声を出して強気な姿勢を保った。

犬なら威嚇しているという感じか。


「お前、かつ見か?」

「は?」

私は思い切りガンをつけるという感じで言って、

そしてその女の言う名前に思い当たってハッとした。

かつ見というのは、おばあちゃんの名前だ。

おばあちゃんの本名は「あつ見」というのだけれど、

霊能力者として活動している間の、

いわゆる源氏名みたいなものが「かつ見」なのだった。

「違うけど」

ぞんざいに言って、私は女に背を向けてなおも立ち去ろうとした。

「待ちや」

もう一声、女は鋭く言った。

「一体、何の用なのよ」

私が切れている風を装って言い返すと、

「もうちょっと、こっちへおいで」

女は私に青い袖から手を振って招いて見せる。


おいで、おいで。


このまま近づいていったら、私は取り入れられると思った。

何気な風を装いながら、私は脳みその少ない頭を力いっぱい駆使した。

そして、ある事を思いついた。


「ねえ、あんた遊びたいんでしょ」

私が言うと、女はおいでおいでをする手を止めた。

「何故、分かったのじゃ?」

途端に、楽しげな声色になる。

「だって、あの人形師に聞いたんだもの。あんたと遊んだから、

 両手の爪を切るはめになったって。だから、私とも遊びたいのかなと思って。

 ま、私はそんなドジはしないけど」

一世一代の賭けだった。

私にとっては遥か昔の出来事でも、

きっとこういういにしえから生きているような妖怪には、

あの物語の出来事が、つい昨日の事のように思うに違いないと踏んだのだ。

「人形師?」

青い頭巾がかすかに揺れた。

そして、その頭巾が思いついたように頷く。

「ああ、あの見てくれだけ美しい、なよなよした若い男のことか」

私達の会話はきっと、はたから聞いていると、

まるで世代が違うけれど、話題があったご近所の人みたいな感じだったろう。

しかし、それは霊能力があるだけの20歳の女と、

古代から生きているはずの妖怪との会話だったのだ。

「あれは面白かった。奴が毎日を楽しいものに変えたいというからお望みどおり、

 今までの刺激の少ない恵まれた環境を取り払って、

 ドラマティックな展開を与えたのじゃ。なよなよ男を苛めるのは、

 いつの時代も、女の楽しみだからの。そしたら、案の定、

 後に言い伝えられるほどの騒動を起こしよって。

 人間は、本当に見かけでは分からないものじゃ」

袖口を口に当てて、女は笑った。

 ドラマティックって、妖怪が横文字使ってんじゃないよ。

などと思いながらも、私は上辺頷いてみせる。

「じゃあ、私とも遊ぼうよ」

私は続ける。

「あいな、久々に面白い人間に出会ったの。望むところじゃ」

不安だった。何の確信も無かった。

私はさっき聞いたおばあちゃんの人形師の話に、

全てを賭けたのだ。


「今からゲームをして、勝った方が負けた方の言うことを聞く。それでどう?」

青い頭巾の女は、私の言葉を噛み砕くようにしばらく動かずにいた。

「勝った方が、負けた方の言うことを聞くのじゃな」

そして、小さく飛び跳ねるようにして、

「楽しい、楽しい。私が勝てばお前が言うことを聞くのじゃな」

「そうよ」

私は返す。

「何でもか」

女が言う。

「何でもよ」

「ゲームは何にするのじゃ」

女が言った。

「名前当て」

私は即座に答える。

もし違うゲームになったら、私は終わりだ。

「ほう、名前当てか。そういえばさっき、お前は「かつ見」では無いと言っていたな」

「だからよ。面白いでしょ。私は「かつ見」じゃないなら、

 誰だと思う?どういった根拠があって「かつ見」って言ったのか知らないけれどさ」

私は肝を据えて、もう一本タバコに火をつけて言った。

もし、こいつに取り憑かれるような結果になったら、

両手の爪を自分で切り落としたあの人形師ではないけれど、

自分の命を潔くするつもりだった。

妖怪に取り憑かれて、親しい人たちを傷つける結果になるのだとしたら、

一人きり潔く死んだ方がましだと思った。

どうせ、他の人たちと違う自分に気がついたときから、

度々考えていたことを、実際に実行するだけのことだし。

「かつ見か。今も親しく付き合っている友達なのじゃが、

 なかなか実際に会う機会が無くての。

 その匂いが似ていたのじゃ。

 だから、てっきりお前が「かつ見」かと思ってな」

 

おいおい、おばあちゃんの知り合いかよ。

私は心の中で呟く。

あの人形を祓っているうちに、この妖怪と知り合ったのだろうか。

私はまた、おばあちゃんに助けを求めたい衝動に駆られた。

ぐっと堪える。

逃げ出すにせよ、ここまで言葉を交わしてしまったら、

もう遅い。


「いつみ」

妖怪が言った。

ゲッと、私は固まる。

「どうじゃ、当たりだろう」

青い着物の女の頭巾が、私の表情を良く見ようとしたのか、

少しめくれた。

赤い目が見えた。

それも、鳥のようにしわしわのまぶたが被っている、丸い目。


「はずれ」

私は従姉妹の名前を当てられたショックを、なんとか自制心を保って、

言い返した。

女が、あれ?というように首をかしげる。


「ざく」

私は大きい声で、叫ぶように言った。

どうか、神様。祈るような気持ちだ。


途端、庭中に風が起こった。

小さな竜巻のようだった。

頭を抑えて、私はしゃがみこむ。


ギャーーーーというような絶叫が聞こえた。

しゃがみこむ私の目の端に映るのは、

赤い何かが空に飛び上がって去っていく様だった。

風が止み、目を開けると、

庭先には、青い着物と頭巾が、

着ている主人がないまま、打ち捨てられていた。


呆然として、私はそこに座っていた。







どの位、そうしていただろう。


やがて、

縁側に出たまま、戻ってこない私を心配したらしいおばあちゃんがやって来て、

ぼーーっと座っている私の肩に手を置いた。

私はようやく、我に帰った。



「青い着物と頭巾を被った女がね、そこにいてね。

 ゲームを仕掛けて、私勝ったの。そしたら消えちゃって」

私が夢心地のように言うと、おばあちゃんは小さく笑っていった。

「これかい?」

おばあちゃんは自分の肩を指して言った。

「さっき、部屋に飛び込んで来てね。なつこく肩に止まっているんだよ」

おばあちゃんの肩には、赤い小さなカナリヤみたいな鳥が止まっていた。

赤い鳥は、きょろきょろと辺りを見回しては、小さくさえずっている。


私は唖然として、何が何やら分からなく、

ただおばあちゃんの顔を見ているだけだった。


「名前をつけて上げなさい。「ざく」なんていうものでなく、

 もっと可愛い名前をね。そうしたらこれは真備のものになる」

おばあちゃんは言った。


私は何が何やら分からず、

でも、一生懸命考えた。

さっきのゲームで負けた女の人が鳥???

疑問は、心の中で渦巻く。



でも、自分の思っているよりも、

複雑で意外なもので構成されているものが、

この社会というものだ。

霊能力があるにしろ、無いにしろ、

生まれながらに与えられている環境は、そんなに変わらない。

だとしたら、こんな出来事も大したものではない。

目の前にあるものを受け入れて、それを自分の力で対処するということに、

なんら変わりは無いのだ。



「アカ」

私は言った。

「アカ?」

おばあちゃんが面白そうに繰り返す。

「お前、あまりセンス無いねえ」

おばあちゃんが言うと、

おばあちゃんの肩に止まっていた鳥は羽ばたいて、

私の肩に止まった。

「ほっといてよ」

私はおばあちゃんに頬を膨らませて反論する。

まじ、さっきは恐かったんだから。

でも、おばあちゃんに助けを呼ばなくて良かったと思う。

だって、こんな調子じゃ、

さっき、助けを呼んでいたら、

すっかり、おばあちゃんに馬鹿にされそうな雰囲気だったからだった。



ゲームで勝ち取ったその赤い鳥は、

小さく耳元でささやいた。

「あまりにネーミングに能が無いんじゃないの?

 せめて、同じ赤なら、レッドとかルージュとか出来ないの?」

所詮鳥のさえずり、全ては私の幻聴なのだろう。

だけど、腹が立ったので、

私は無言で、肩に止まる鳥の頭をばしりとはたいた。

まじ、むかつく。

鳥ははたかれて頭を二度三度振ると、

肩をすくめるように、私の肩で羽を動かした。



こうして、要七郎とみつと喜代に取り憑いて、

かつてしたい放題をした赤い鳥の妖怪は、

私の初めてのシキ、手下となったのだった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ