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鬼録   作者: 小室仁
21/72

人形師 12

「今日の戌の刻になれば、七十五日の儀式が終わる。

 そうすれば屋敷の外に出るのがかなうことはもちろん、

 晴れてお前達の祝言も挙げられる。

 よいか、それまでは今までと同じように、

 術師が家の周りに張り巡らせた結界の外へ、

一歩たりとも出てはならんぞ」


父が、目前にきちんと座り俯いている要七郎と、

要七郎の隣に座る美しい許婚に、

厳しい言葉で言いつけた。

二人は大人しく、父の言葉に頷いた。




屋敷から連れ戻された要七郎は、父の言いつけるまま、

この辺りでも最も高名な術師の祓いを受け、

物の怪との縁を断ち切るお札を家中に貼り、

結界を張り巡らされた実家の屋敷の中に篭り、

はや、七十五日が経っていた。

みつが今でも、要七郎の屋敷に出入りしているとは町の噂で聞いていた。

それも今日で75日。

術師の力が本当のものであれば、今日でみつと要七郎の縁は切れるはずだった。



一昨日になり、

なんと同じように術師に身を清められた花嫁候補が、

この屋敷にやって来ていた。

父親が勝手に決めた縁談の相手だった。

それは、古くから続く大店の呉服問屋の末の息子の要七郎にふさわしく、

家柄も良く美しい若い女子だった。

父親の無謀な計らいに呆れはしたものの、

要七郎には、父に反論する気力は無かった。

実際、みつと縁が切れるのならば、美しい娘との婚儀など、

反論するべく理由が見つからなかったのである。

 私はなんて現金な人間なのだろう。

要七郎はその花嫁候補の美しい顔を見て思うのだった。

 美しいからといって、何も知らない娘と婚儀の契りを結ぼうとするとは。

そんな自分に嫌気を覚えていたのも正直な気持ちだった。

しかし、もしこの婚儀を断るとしたならみつの元に戻ることになる。

そう考えると、いくら自分に嫌気が差そうとも、

要七郎は、ぴくりともこの場所を動きたくは無いのだった。




嫁にと決められてやって来た若い女子の方には、

不満は全く無かった。

何故なら、相手は若くて美しい町中で評判の人形師。

家柄はもちろん、言う事はなし。

されば、断られる事はあったにせよ、

何故に断る必要があるかというような気持ちだったのだ。



儀式最終日、婚儀の数時間前、

ここ二日、寝るのはもちろん別の部屋なのだが、

お互いの部屋を行き来するのは自由であったので、

まだ会って数日も経っていない婚約者達は、

同じ部屋に座り、ポツリポツリと話をしていた。



「不安ではないのか」

要七郎が花嫁に問いかける。

名は喜代と言った。18歳の乙女であった。

「別に不安はございませぬ」

喜代は、その美しい顔を真っ直ぐに要七郎に向けて言う。

透けるように白い肌、化粧はほとんどしていないのに、

その頬とふっくらした唇は、血の紅を映して綺麗な薄紅色をしていた。

濡れたように黒い瞳が、要七郎の目を真っ直ぐに覗き見る。

いつか要七郎が自分で作った人形を彷彿とさせる美しさであった。

「お互いに何も知らないことを不安かと、お尋ねになるのでしたら、

 私には何も不安はございませぬ。こうして顔をつき合わせて、

 これから仲良くやって行こうと思えるのなら、これから先のことなど、

 一体何の不安がございましょうか。

 それとも、要七郎様は喜代に何か不満がございますか?」

要七郎は喜代の美しい顔から目をそらして、首を横に振った。

不満があるとしたなら、それは喜代に対しての不満ではなく、

みつに対する後ろめたい気持ちを持っている自分への不満なのだ。

「事情は良く存じ上げませぬが、この騒ぎの原因が要七郎様を悩ませているのですか」

喜代はそっと、自分の手を要七郎の手へ重ねた。

喜代の来ている緑色の絹の着物が、畳を擦って静かな衣擦れの音を立てた。

緑の絹の着物は、色の白い喜代にとても映えていた。

「全て、私が招いた事なのだ」

要七郎は、小さな声で呟くように言った。

「要七郎様」

喜代が、要七郎の手を握る自分の手に力を込める。

「起きてしまったことを悔やんでばかりいても、人は前には決して進めませぬ。

 悔やみ後悔することをいかにして、乗り越えるか。

 決しておざなりにはしてはいけませぬが、それを教訓にし、糧にし、

 苦難を乗り越え進んで行く事が、人として生きる正しい道に繋がるのではありませぬか。

 幸せになるということは、決して簡単な事ではありませぬ。

 しかし、お心を決めてどうかこの喜代と、一緒に人生を歩き続けて下さいませ」

「喜代」

要七郎は喜代の言葉に打たれて、喜代に見入った。


その時、要七郎は初めて、心から女を美しいと思った。

喜代の見た目の美しさを勝って、

その後ろに神々しいばかりの光を要七郎は感じた気がした。

そして、目から鱗が落ちたように悟った。

本当の美しさとは、その心から滲み出るものなのだと言うことを。

しかし、ふと、心の隅で思うのだった。

こういう気持ちに近いものを、

かつて瞬時でも、みつと話していた時に感じたのではなかったか。

要七郎はその考えを打ち消した。


要七郎は喜代を抱き寄せた。

そして、今まで戯れに女達と遊んできた自分と決別しようと、

要七郎は心に誓った。

その中には、他よりはっきりと浮いて見える、

みつの姿があった。









「荷物はこれで全部か」

威勢のいい声が辺りに響く。

「そうだ、それで終わりだ」

作業をする使用人達の声だった。


買い物客や仕事を終わらせ帰路につく人々がごったがえす通りに面して、

要七郎の父の呉服問屋で働く使用人達が、

今夜行われる婚儀の祝いのために送られてきた様々な荷物を、

屋敷の中へ運び入れていた。

「いいか、どの品にもお清めの塩と酒をふりかけるのを忘れるなよ。

 なんせ末のご子息要七郎様は、物の怪が祟っているという話だ。

 術師どのが言ったいいつけを忘れるなよ」

威勢の声を上げながら、大量の荷物を屋敷に運び込む。

「おうよ、こちとら抜け目はないや」

荷物の全てに塩と酒をふりかけ、清めて中へ運び入れる。

そして後に残る荷物がなくなったのを見渡すと、

使用人たちも、自分達の体に塩と酒をふりかけて己も清めた。

そして、玄関先に運び込んだ大量の祝いの品を、

屋敷の奥へ続けて運び込もうとした時だった。

「ちょいと、お兄さんがた」

ふと、女の声がして使用人達は振り返った。

見ると、表の格子戸の向こうに青い着物を着て頭巾を被った女がこちらを見ている。

頭巾から覗くその顔は、見たことがあるけれど思い出せないという印象の、

しかし今度決まった要七郎の花嫁より美しいのではないのかと思わせるほど、

目鼻立ちの整った色白の綺麗な女だった。

「へい、なんの御用で」

使用人の一人が、家の中から女に声をかける。

「今宵はおめでとうございます。要七郎様の花嫁さまへお祝いの品を持って参りました」

女は親しげな表情をして頭を下げる。そして、持っていた風呂敷包みを差し出した。

「お運び入れに間に合ってよろしゅうございました。さ、どうぞこれも差し上げてくださいませ」

「さて、どちら様でしたでしょうか」

一人の使用人が、誰だか思い出せないのが申し訳ないように、

丁寧な口調になって聞く。

青い頭巾の女は、小さく笑って、

「まあ、ざくが来たとおっしゃっていただけば要七郎様もお分かりになることでしょう。

 かつて一度お宅に伺ったことがあると、おっしゃっていただけば」

鈴の転がるような美しい声で女は言った。

使用人は女のその顔の表情と声の美しさに見とれた後、ハッとして、

慌てて女の差し出す包みを格子戸越しに受け取った。

「へえ、お伝えしやす」

包みはかなり大きく、まるで幼い子供くらいの大きさはあるものだった。

持ってみると、ずしりと重い。

手触りから、人形の類だろうと使用人は察した。

「では、よろしく」

女は頭を下げると、くるりときびすを返して去って行った。

「さて、あちらはどちらのご婦人だっただろうか」

その使用人が他の使用人を振り返って言う。

しかし、皆見たことはあるような気がするものの、

一体どこの婦人なのかは一向に思い出せないのであった。

「しかし、人形師の方の婚儀の祝いに花嫁人形を贈ってくるとは、

 少し嫌味な感じがするがの」

使用人たちは女の持ってきた包みを引っ張り、中を少し覗き見た。

「こりゃまた、醜い人形だ」

そして驚いて声を上げる。

他の使用人たちも集まって、その包みの中を覗いた。


薄い桜色の着物を着た女の人形だった。

しかし、その顔はのっぺりとしていて、

首は短く、大きい顔が不恰好に襟元にくっついている感じだった。

小さな目、形の悪い鼻、

薄い唇はいかにも幸薄い不吉な感じをたたえていた。

「一体、どこの誰がこんな人形をよこしたんだ」

「さあ」

使用人たちはしばらく黙ってあの美しい青い頭巾の女の顔を思い出していた。

しかし、やはりどこの誰なのか思いつかないのだった。

「まあ、要七郎様はお噂の多かった方だからな」

「うむ、多少の嫌がらせはあるのは仕方ないのかもしれないな」

「しかし、この人形を祝いの席に持っていくのは忍びないな」

「何かまうこと無い。あとで、納戸へでも放りこんでおけ」

「ああ、そうしよう」

使用人たちは話し合うと、その人形はその辺に放り出して、

仕事を続けだした。


使用人たちは気がつかなかった。

その不細工な、みつの容貌をした人形を頭巾の女から受け取るときに、

塩と酒で清めなかったことを。




結界は破られた。




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