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鬼録   作者: 小室仁
20/72

人形師 11

慣れずにこちらに投稿したもので、設定不足で申し訳ありません。

この先の人形師のお話には、

エンディングに向かい、スプラッターな表現が出てきます。

苦手な方はお気をつけくださいませ。

数ヶ月が経った。


季節は夏から秋を越え初冬へと移り変わり、

庭の草木も夏の頃の勢いを無くし、

しょぼんと茶色い枝木を下げていた。




今夜も要七郎の前に、質素ながら心そそる食事の膳が並んだ。

江戸の海で採れた穴子の蒲焼が、

茶色い醤油の焦げの香ばしい香りを漂わせている。

菜っ葉と油揚げの煮びたしの小鉢、

切干大根の甘辛い煮付け、

あさりと大根の煮付け、

味噌汁に入っている豆腐は煮立ち過ぎて硬くならないよう、

細かい配慮がなされている。

白い米は艶々と輝き、炊き立ての湯気をもうもうと立てていた。

要七郎がみつの家へ卵を持って訪れた以来、

みつが要七郎の家へと毎日通いつめて、作っている食事であった。


要七郎に酒をすすめながら、

みつは自分が作った食事を食べる要七郎を、

いつも嬉しそうに眺めていた。



薦められるままに酌を受け、料理に箸を伸ばしながら、

要七郎はみつの顔を毎日見ていた。

確かに愛着めいた気持ちもあることはあるのだけれど、

でも、要七郎はやはり、

みつの顔が嫌いなのであった。

その醜い顔に見つめていられると思うと、

せっかく美味いものを食っていても、美味さは半減してしまう。


この容貌さえ、人並みであったら。

要七郎は何度となく呟いた言葉を、また心の中で呟くのであった。



美人は三日で飽きる。

それは、慣れさえすれば、

どんな醜いものでも親しみがわくとも取れる、

世に言われる俗な言葉なのであろうけれど、

でも、例え慣れたとしても、

嫌いなものをやはり好きにはなれない。

そんなことを、今要七郎は身を持って知ったのだった。






みつが家に出入りするようになってからというものの、

要七郎は、人形を作ることが出来なくなっていた。

いや、人形は何体も作ることは作ってはいたのだが、

どれも今までのように町で評判になるほどの、

美しい人形ではなくなっていた。

どれも、どこかしら卑しげな顔をした人形になってしまう。

そう、みつに似ているような人形ばかりになってしまうのだった。

がっかりしてせっかく作り上げた人形を、要七郎は作る端から壊した。

今の要七郎の作業をする部屋の中には、

壊した人形の残骸があちらこちらに転がっていた。

人形の注文も、思うような品が納められないので、

だんだんと減っていき、最近では全く無くなっていた。





要七郎は一日、ぼーーっと人形を作る作業場の畳の上で、

ただ何もせずに、座っていることが多くなった。

今までは、美しい人形を作るという仕事に自分の価値を見出していたのに、

その価値は、あまりにも呆気なく跡形も無くなってしまった。

その動揺が、要七郎を打ちのめしていたのだ。

そんな無気力に過ごしている要七郎とは対照的に、

みつは自分の居場所を見つけたとばかりに、

愛しく美しい男の身の回りの世話を一心不乱に焼いていた。

それはまるで、祝言はあげていないものの、

まさしく、妻であるかのようなまめまめしさだった。






要七郎は人形が作れなくなった無気力さもあり、

みつの作る食事や、

身の回りの至れり尽くせりの世話に甘んじていているせいか、

世間体を気にしてはいるものの、

みつが大っぴらに自分の屋敷の周りで動き回っているのを止める術も無く、

ただ、不安な気持ちを抱いたまま、

毎日を過ごしていた。

この数ヶ月のうちに、辺りでは、

みつが要七郎に嫁いだとさえ言われる噂が流れているのは、

要七郎の耳にも入っていた。





そんなある日、要七郎の実家から、

父親が出向いてやって来た。

みつが買い物に行っている間の事であった。

「話に聞けば、お前は得体の知れない女と暮らしているとか。

 一体、どういう事なのだ」

家から使いに出している賄の使用人の言うことを聞いて、

心配してやって来た父親は、わめきながら家に上がって来たものの、

憔悴しきった無気力なわが息子を見て驚いた。

「こんなはずでは無かったのです」

要七郎は父にうなだれて呟いた。

その時になって初めて、要七郎は自分の本心を知った。

 そう、こんなはずではなかったのだ。


父親は何も言わず、要七郎の腕を取ると、

一緒に付き添ってやって来た賄の使用人に、

要七郎の身の回りの荷物をまとめさせた。

「そのみつとやら、きっと妖怪に違いない。男の精を吸って生きる妖怪に、

 お前は魅入られたのだ。聞けば、人間の女とは思えないほど醜いというではないか。

 さあ、一緒に実家に戻るのだ。高名な術者を呼んでお祓いをしてもらおう。

 そうすれば、そのものとも縁が切れて、お前も元に戻るだろう」

 

 みつは妖怪だったのか。

馬鹿げたことだとは、頭の冷静な部分では分かっているのだけれど、

でもあのみつの容貌が、人間のものでは無かったのだと父親に言い切られてしまうと、

要七郎ももしかして、と思ってしまうのだった。

数ヶ月も一緒に暮らした女を、無下にこうして捨てるのは、

我ながら、薄情だと要七郎は思った。

けれど、やはり要七郎は、

みつの顔を好きになれなかったのだった。

顔を好きになれないという生理的な本能は、

最近では、みつという存在さえをも嫌悪し始めていたのを、

要七郎はまざまざと知った。

要七郎は父親に従い、みつが帰ってくる前に、

黙って、自分の屋敷を父親と共に後にした。






買い物から帰ってきたみつは、

屋敷に要七郎の姿が見えないのを不思議には思ったものの、

すぐに帰ってくるに違いないと、

いつも通りに食事の支度を始めた。


鰯の煮付け、

きゅうりとわかめの酢の物に、

湯豆腐、

大根おろしに小女子を添えたもの。

酒を熱く沸かし、食器を並べて要七郎を待つ。

けれど、待てども待てども要七郎は帰っては来なかった。

夜が更け、冷えてしまった料理を並べた盆を置いたまま、

布団を二組敷き、みつは待った。

白々と夜が明けても、要七郎は戻っては来なかった。

しかし、みつは健気にも要七郎を信じて、

次の日も、次の日も、同じように食事を作り、

屋敷の掃除をし、

布団を日に干し、家事を完璧にこなして、

要七郎の帰りを待った。









「要七郎様が、ご実家で祝言を上げられるらしいわよ」

「相手様は大奥にも上がったことがあるくらいの、お家柄だとか」

「とても美しい方らしいわよ。要七郎様にお似合いの美貌の方」

「お家柄も良くて美しい要七郎様には、やはりお家柄も良くて美しい方でないと不自然よねえ」


いつも通り買い物に出かけた先で、

噂好きな町の女達が口々に言っているのを、みつは耳にした。

町の女達は、みつの姿を見るとはたと口を閉じた。

そして、密かに目で笑うのだった。


 あんな醜い女が、要七郎様の奥様になるはずがないものねえ。

 要七郎様は、すっかり御自分の屋敷に戻っては来ていないというじゃない。

 あの醜い女が出入りしているから、疎まれたのでしょうよ。

 身の程知らずというか、勘違いも甚だしいわよ。

 どうせ、一時の気まぐれで要七郎さまのお手がついたに違いないのにね。

 自分の顔を鏡に映して見ていないのかしら。


みつは唇を噛み締めて、踵を返した。

 

 そんなはずがない。私の作る食事を美味しいと言って下さった。

 毎日、一緒に居て下さった。

 要七郎様!


かすかな期待を込めて、みつは要七郎の屋敷の中へ駆け込んだ。

部屋の障子を一つ残らず開けて、要七郎の姿を探す。

だけど、要七郎は今日も戻っては来ていないのだった。


「要七郎様が、他の方と祝言をあげる」

呟いて、みつはがっくりと肩を落とし、

庭に面している縁側に座り込んだ。


「私が・・」

みつは言葉を繋ぐことが出来ず、肩を震わせた。


「そう、醜いからじゃ」

ふと声がする。

みつははっと顔を上げて、声の主を見た。

地味な青い着物を着た頭巾を被った女が、

庭先に立っていた。

顔は頭巾で隠れていて、こちらからは見えない。

「お前は貧しい出だけれど、要七郎が付き合ってきたどの美しい女よりも、

 要領のいい女だった。だから、要七郎はお前とこの数ヶ月一緒に暮らしていたのだ。

 食事も洗濯も掃除も、何もかもお前のする家事に不満など一つも無かった。

 何故、要七郎がお前を捨て、他の女と夫婦になるのか。

 その理由は一つ。お前が醜いからじゃ」

みつは女の言葉に泣き崩れた。

「要七郎様、あなた様だけは他の男と違い、私のこの不細工な顔ではなく、

 心を見てくださっていたと信じていたのに」

心が引き裂かれるような叫びをあげ、みつは泣いた。

頭巾の女は冷たく言葉を続けた。

「親に進められた縁談で、要七郎は本意を持って婚儀をあげるわけではないだろう。

 けれどしかし、相手の女は家柄も良く、何よりもそれはそれは美しい女だ。

 結局、要七郎は美しさに惹かれて親に言われるまま婚儀をあげるのだ。

 お前が醜くさえ無かったなら、要七郎はお前を捨てることは無かった。

 要七郎は、お前をそのお前の醜さゆえに捨てたのだ」


みつは絞り上げるような、苦痛に満ちた泣き声を上げた。

「要七郎様、お恨み申し上げます。ああ、私は私の醜さが憎い」


頭巾の女が、頭巾の陰でにやりと笑った。

頭巾からちらりとその目が覗いた。

それは人間の目ではなく、紅い瞳孔を持つ不気味なものであった。

薄いまぶたが、爬虫類のもののように紅い目の上で瞬いていた。


「憎い、憎い」

みつの声はかすれて、やがて血を滲ませるような低い唸りに変わっていった。

「ああ、悔しや、うらめしや・・」

やがて日が暮れ始め、辺りは薄暗くなっていった。

みつの恨みの呟きは、やがて言葉にならない獣じみたうめき声に変わっていった。


「要七郎の祝言は、今夜の戌の刻じゃ。恨みを存分晴らすが良い」

頭巾の女が高らかに声を上げると、

物凄い咆哮と共に、みつの顔が上がった。


醜い顔は涙にまみれながらますます醜く変化していた。

その皮膚は自分の業火に焼け爛れたように硬く黒くなり、

額には、肉と骨を割り二本の巨大な角が傷口から溢れる血にまみれて、

にょきにょきと生えはじめていた。

咆哮を上げる口もめきめきと左右に裂けていき、

不揃いだった歯は、まるで爬虫類のようにますます鋭く形を変えて伸び始めた。

涙を流す細く小さい目は、奥にめり込んで憎しみをぬるりとたたえ、頭巾の女を見た。

「これはまた見事な鬼成りじゃ」

面白そうに頭巾の女が呟く。

「要七郎様ぁぁぁっ」

鬼と化したみつは獣のように一声吼えると、

縁側から飛び降り、頭巾の女の前を通って家の外へと走り出していった。


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