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鬼録   作者: 小室仁
18/72

人形師 9

朝だ。

明るい。

意識が浮上してくると、目をつぶっていても、

朝日はまぶたの皮を通して、まぶしく要七郎の目を刺した。

要七郎は小さく唸った。



どうやら昨夜は、そのままここで眠ってしまったらしい。

酒を飲みすぎてしまったのか。


庭に面する縁側に倒れこむようにそのまま寝ている自分を見つけ、

要七郎は苦笑して、ゆっくりと身を起こした。

体のあちらこちらが軋むように痛んだ。

もう一度、小さく唸る。



そういえば、昨夜は変な夢を見た。

庭先に立つ頭巾で顔を隠した怪しい女と、

何やら問答をした夢だった。

はて、それはどんなものだったのか。


寝起きで鈍る思考を凝らしていると、

ふと声がした。

「お目覚めでございますか」


要七郎は、思い出した。

そういえば、人形の手本にと、

昨夜もいつもと同じように、

美しい女と一緒にいたのだった。

しかし、昨夜の女は今まで出会った中でも特に美しい女で、

仕上げた人形も、今までには無かったくらい出来の良いものだった。

要七郎が目で人形を探すと、それは美しい緑色の着物の背中を見せて、

要七郎の側に昨夜と同じように、佇んでいた。

ただ昨夜と今朝の人形の違うところは、今朝の人形が要七郎に背中を向けていること。

昨夜は確かに、こちらを向いて俯き加減に艶っぽい視線を、

人形は要七郎の胸のあたりに投げかけていた。

きっと、眠っているうちに自分の手か足かが人形に当たって、

その向きを変えてしまったのだろう。



「おかげでいい人形が出来た。礼を申す」

言って、要七郎は声の主を振り向いた。

そして、言葉を失ってそのまま固まった。

「そうでございますか。私ごときが人形の手本になるなどとは、

 生まれた今まで、思いもしないこと。

 それもましてや、美しい人形を作ると評判の要七郎様の人形の手本になどなれたということは、

 もういつ死んでもいいとさえ思うような、光栄なことでございます」

要七郎の夜具に座り、こちらを恥ずかしげに見るその顔は、

なんとも冴えない顔の造作をした、薄い桜色の安っぽい着物を着ている女だった。


なんと。

要七郎は驚きを隠せず、曖昧に女の言葉に頷くのがやっとだった。

この女は一体、どこから来たのだ?


のっぺりとしたうりざね顔が、短すぎる首のせいか、

着物の襟首にじかに乗っかっているかのように見える。

艶の無い黒髪がほつれて、結っている髪からいく筋も乱れてたれていた。

恥じらいを見せる目つきも、顔の割りに小さすぎる細い目のせいで、

なんだか色気よりも意地汚さを思わせるような感じさえあった。

低い鼻は短く、バランスの悪い薄すぎる唇とあわせて、

女に、余計貧相な感じを与えていた。


「あなたを、私が自分の人形の手本にと・・?」


人形を作る前にいつも通り他の美しい女達としたように、

昨夜自分はこの女とも、同衾をしたのか?

あまりにもまるきり覚えが無いというより、

ありえないようなことを聞かされて、

咄嗟に思った言葉が要七郎の口をついて出ていた。


「気まぐれなのは、百も承知でございます。

 一夜の夢と思えば、それだけで私は満足でございます。

 どうか、深くお考えになりませんよう」

女は言って、寂しげに微笑むと、

「さ、あちらに朝餉の支度が出来ております。

 一晩中、遅くまでお仕事をされていらっしゃったのでしょう。 

 お腹がお空きではございませぬか?」

言って立ち上がり、要七郎を振り返りつつ夜具を片付け始めた。

「そうだな、腹は減っているが」

呟く要七郎に頷いて、女はてきぱきと部屋を片付け、

膳の支度をし始めた。


要七郎は、夜具を片付けたその女が、

台所へと姿を消すと、

慌てて自らの側に背を向けて立つ人形へ手をかけた。

確か、昨夜は今までに無い美しい女を手本に、

今までに無い美しい人形を作ったはずだった。


くるりと人形をこちらへ向かせる。

人の膝丈はあるかとおもう大きな人形。

緑色の美しい着物はそのままに、その顔はといえば。

「こんな」

要七郎は絶句して、振り向かせたその人形を見た。


人形の纏っている着物はもとい、

美しく結った日本髪は昨夜のままだった。

少し俯き加減の感じもそのままであった。

しかし、その顔は、

昨夜作ったはずのものとは、似ても似つかないものであった。


うりざねののっぺりとした顔が、襟首の上にすぐ乗っている。

小さな目、形の悪い鼻、

かすかに紅がのっているとは言え、

唇は薄すぎて、かえってその乗せた紅が、

顔の不細工を目立たせている具合だった。


それは、今まで要七郎が作った事も無いような、

醜い人形だった。

それも、今そこでいそいそと朝飯を用意している女にそっくりの。



「朝餉の支度が出来ました」

女は言うと、盆に乗せた皿を要七郎と自分の前に並べ始めた。

「勝手にお台所を使わせて頂きましたけれど、お気にお障りでしょうか」

頬を染めて女は言う。

その表情も、美しいとはほど遠いものだった。

「いや、構わぬが」

要七郎は戸惑いながら、答えた。

そして、目の前に並べられた朝餉の品に、

じっと見入ったのだった。


鰯の干したもの、

里芋の煮付け、

程よく冷えた豆腐。

青菜の煮びたし、

見るからに美味しそうな卵焼きと、

大根の味噌汁。

そして、朝日に輝くような良い炊き具合の白い飯。



それらが、

見る見る間に、要七郎の目の前に並べられたのだった。


女は要七郎が箸を持つまで、自分も箸を持つのを待っている様子であった。

要七郎は、恐る恐るといった感じで箸を持つと、

目の前に並べられた皿に手を伸ばした。


すると、どれを食べても唸るほどの美味しさ。


「魚屋と野菜の行商の人達が、先ほど家の前を通りましたので、

 声をかけましたら、要七郎様が召し上がるのだと言いましたら、

 どの人も心良く品を分けて下さいまして」

女も要七郎が食べ始めたのを見て、

自分の膳に箸を伸ばしながら言った。

その言葉に、要七郎は曖昧に頷く。

ということは、この女が自分の家に寝泊りしたと、

辺りに知れたということなのだろう。


複雑な思いで、要七郎は美味い朝飯を、

不味い顔の女と一緒に食していた。




要七郎は、

この辺りでも名の知れた、大店の呉服問屋の末っ子である。

七がつく名前の通り、

要七郎は、数ある兄弟の七番目に生まれた子供だ。

そして、そういう家柄、

今年25歳になるとは言え、かなり甘やかされている身分であった。

最近は人形師として、名前が知れたとはいえ、

それまでは、生活をしていく上ではかなり苦しいものがあった。

でも、今住んでいる家も、親から与えられたものであったし、

毎日、夕方には実家の送ってくる賄の人間がやってくる。

だから、もし、人形師としての収入が無くても、

日常の生活のうえで何ら事欠くことは無かったのだった。



しかし、

今まで要七郎が仕事で作る人形の為とは言え、

家に泊めた美しい女達は、

どれも良家の娘達だというせいもあるのか、

食事にしろ、なんにしろ、

己の手を汚して、何かをするという習慣が無かったらしく、

お互い一夜にしては名残惜しいほどの夜を過ごしても、

朝になって、この女のように甲斐甲斐しく、

要七郎の世話を焼こうという女は、今まで一人としていなかった。

朝になったら、まるで夢から覚めたように、

どの女も要七郎の元から、さっさと帰っていった。

要七郎とて、一度人形にうつした顔をしている女は、

途端に興味が失せてしまい、

後日また会いたいと言われる事が頻繁にあったとしても、

誘いを受けることも、ましてやこちらから誘うなどということなどまるで無かった。

だから、他の女と違わず、

一夜限りの契りはずの(はずであってほしい)この女が、

目の前で甲斐甲斐しく、要七郎に飯の御代わりなどを薦めているのが、

要七郎の目には、とても珍しく映ったのだった。







世に男女が夫婦になるというのは、

生活上の便宜を図るためのものであって、

情事の延長の男女が夫婦になるわけではない。

夫婦になるというのは、

恋愛とはまるで別物で、

共同生活をするための契約をすることなのだと、

要七郎は思っていた。



だから、要七郎のように、

賄いの人間が本家から毎日通ってくる何の不便も無い生活をしているのならば、

別にどの女との情事が一時で終わろうとも、

一人身でいることに、別になんら問題は無かったのだった。




だけど、この突然舞い込んできた不美人な女の作る朝飯は、

今まで実家から送り込んでくる、

どの賄い人の作るものよりも美味しいものだったし、

何しろ、誰かとこうして話しながら食べる食事というものが、

こんなに楽しいものだというのを、要七郎は初めて知った。



 見た目の細工さえ、人並みであったなら。

要七郎は、目の前にいる女を見て思うのだった。

そして、そう思った自分に慌てて、問いかけた。

 もし、この女の見た目の細工が美しかったら、

私はなんとするというのか。

 馬鹿馬鹿しい。

そして、不器量なその女の作った味噌汁をすすいながら、

要七郎はその自分の考えを一蹴したのであった。



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