人形師 8
人間の膝丈はあるであろう。
その人形は、要七郎の前に静かに佇み、
美しい日本髪の首を少し傾け、
まるで恥じらいからと思わせるような視線を、
その前に座る要七郎の胸の辺りに投げかけていた。
雪のように白い肌。
きりりと着付けた襟元の首から肩にかけて、
その小さな体にあつらえた絹の着物を通しても、
艶っぽい柔らかな体の線が、
まるで温かく手に触れられるかのように生々しい。
伏せ目がちのしとやかな目元、
白いなめらかな頬には、
血が透けているかのように、ほんのり紅色があった。
熱い吐息がもれるのではないかと、
見まごう程のふっくらとした赤い唇。
その人形はまるで、
肉を持たずに、木と土と糸だけで出来ているとは思えないほどの、
出来栄えであった。
要七郎の手には、その人形の唇に自ら紅を乗せた細い筆が、
まだ握られていたままだった。
後ろに眠る美しい女を手本にして、
そっくりに作り上げた人形。
ここ一番最近の恋人は、
今まで付き合ってきた美しい女の中でも、
ひときわ美しく、艶かしい女だった。
だから、その人形も、
今まで作り上げてきた中でにも、
一際美しい物であり、
今度こそ、満足がいくはずであった。
なのに、この人形が完成しても、
要七郎はまた、腑に落ちない違和感をぬぐいきれずに、
新しい恋人が眠ってしまった後も、
一人起きて人形を目の前に置いたまま、
眠れず月を眺めているのであった。
今宵はとても、月が明るい。
もう誰も彼も寝静まったと思える深夜なのに、
要七郎が見回す自分の家の広い庭は、
まるでひと気の無いだけの昼間のように、
月明かりに隅々まで照らされていた。
どこかで野良犬が、遠吠えをしている。
物悲しい、孤独な、細々と長いその吼え声は、
空を縫って月にまで届きそうだ。
しかし、いくら月が明るく辺りを照らそうとも、
月は他のもの同様、
どうせ自分など気にしてはくれていないのだと、
犬の声は告げていた。
それは、要七郎の心に寂しく響いた。
孤独とは、一人でいるから孤独なのだ。
なれば、
誰かとこうしているのに、孤独を感じるということは、
一体なんと呼べばいいのか。
後ろの要七郎の寝具に眠る、刹那な恋人を振り返りつつ、
要七郎は手元に置いてある盆の上の杯を持ち上げて、
また一口酒をすする。
何人の美しい女を抱いても、一緒に夜を過ごしても、
まるで要七郎の孤独感は消える事がなかった。
何体もの人形を作り続けて来た。
要七郎の美しい人形はとても評判が良く、
注文は後を絶える事が無い。
小金を持て余しているお公家やお武家から、
毎日のように次の人形はうちへ売ってくれと催促が来ている。
人形師としての仕事は成功していた。
美しい女との恋愛にもことかかなかった。
何故なら、要七郎自身も、
この界隈では知る者がいないほど、美しい男だったからだった。
美しい男が美しい女の人形を作る。
それだけで、世の女達の要七郎の噂はとどまるを知らず、
妄想を巻き込んだ噂は、要七郎への思慕にさえなっていたのだ。
その思慕は、次は自分を手本に人形を作ってもらおうという、
殺気を含んだ願望になり、
自らが美しいことを知っている女達は、その願望を実現するべく、
次から次へと、ひっきりなしに要七郎に近づいてくるからだった。
でも、
一体、何体の人形を作れば、満足出来るのか。
一体、何人の女を抱けば、この孤独感は消える時が来るのか。
要七郎の心の霧は晴れぬのだった。
「人形を作るということは、所詮空しい事」
どこからともなく、声がする。
要七郎は酒をすすっていた杯を床に置くと、
声のするほうを見た。
地味な青い着物を着ている、一人の頭巾をかぶった女が、
月の明るい庭先に、いつの間にか立っているのだった。
かぶった頭巾で、こちらからは顔は見えない。
その怪しい妖異な様子から、
この世のものではないのではと、要七郎は目を凝らした。
「人形を作るということが、どうして空しい事なのか」
要七郎は少しためらいながらも、佇む女に問いかけた。
「美しいものを作る事が、空しいものだとは思わぬが」
頭巾をかぶった女は、そこに立ち尽くして動かぬまま、
どこか離れた場所で答えるかのように、遠い響きを持った声で返した。
「人形は、いくら形を似せて作っても、
所詮、中身は空洞のもの。入れ物をたくさん作ったところで、
自然と中身が埋まるということはありませぬ」
「入れ物・・」
要七郎は女の言葉を呟いた。
「空ろなものを作ってばかりでは、つまらないのも当たり前でございましょう」
女の言葉に、思わず要七郎は膝を立てる。
「いや、しかし」
そして、要七郎は早口で続けた。
「美しいということは、それだけで意味があることだろう」
しばし、庭先の妖異な女と要七郎の間に沈黙が流れた。
「入れ物の見た目の美しさに、意味などございませぬ」
女は静かに言った。
「いや、美しさには」
要七郎は言葉を返そうとして、口ごもった。
美しさは、はたして意味があったものなのだろうか。
言葉を探そうとして、要七郎は黙り込む。
女は静かに続けた。
「人形も入れ物ならば、人間も入れ物。
人間とて、多少の骨と肉の詰まった入れ物にしか違わないのでございます。
その表の皮が美しいということに、何の意味がございましょう。
そこに眠る今度の恋人も、そして、あなた様も美しいというだけで、
中身は空ろ。とてもつまらないものなのでございますよ」
「されど」
要七郎はようやく言葉をつなぐ。
「意味が無いとは思わぬが。人形師として、
美しいものを作って成功しているのだし」
「私は言っているのは、そういうことではありませぬ。
面白いか、つまらぬか、それを言っているのでございます。
つまらないということは、すなわち、
意味が無いことに通じるのではありますまいか。
意味が無いことをやっていても、満足出来ないのは当たり前のこと。
あなた様は、御自分の求めている物が何なのか、分かっていないのですよ」
要七郎は女の言葉を反芻した。
つまらないと思っていることは、
意味が無い?
要七郎は、自分の言葉を捜して彷徨っていた。
私が日々、自分の作った人形にも、女にも満足出来ないのは、
私自身がつまらない人間だからということなのか。
庭の虫が鳴いている。
月明かりで明るい庭の先に立つ妖異な女は、
その後は、ただ黙って佇んでいる。
要七郎の言葉を待っているのだろうか。
「では、どうすれば私という人間の中身が埋まるのだ。
つまらない人間ではなくなるのだ」
要七郎は乾いた唇を湿らせて、ようやく言葉を紡いだ。
「面白いことを望まれましょうか?」
頭巾をかぶった女は、相変わらず身動きせずに、
でも、どこかひやりと冷たい感じを含ませた声で言った。
顔が見えていたならば、冷たい笑みをにやりと頬に浮かべているような声だ。
「この空しさが消えるならば、是非とも試してみたいものだ」
要七郎が答えると、女は答えた。
「良いでしょう。では、しばらく一緒に楽しいことをしましょう」
くらりとした。
次の瞬間、要七郎は気を失ってその場に倒れていた。
もうその時には、庭に頭巾の女の姿は無く、
ただ明るい月明かりの庭で、
静かに鳴き続ける虫の声だけが辺りに響いているだけだった。




