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鬼録   作者: 小室仁
17/72

人形師 8

人間の膝丈はあるであろう。


その人形は、要七郎の前に静かに佇み、

美しい日本髪の首を少し傾け、

まるで恥じらいからと思わせるような視線を、

その前に座る要七郎の胸の辺りに投げかけていた。


雪のように白い肌。

きりりと着付けた襟元の首から肩にかけて、

その小さな体にあつらえた絹の着物を通しても、

艶っぽい柔らかな体の線が、

まるで温かく手に触れられるかのように生々しい。

伏せ目がちのしとやかな目元、

白いなめらかな頬には、

血が透けているかのように、ほんのり紅色があった。

熱い吐息がもれるのではないかと、

見まごう程のふっくらとした赤い唇。

その人形はまるで、

肉を持たずに、木と土と糸だけで出来ているとは思えないほどの、

出来栄えであった。



要七郎の手には、その人形の唇に自ら紅を乗せた細い筆が、

まだ握られていたままだった。



後ろに眠る美しい女を手本にして、

そっくりに作り上げた人形。

ここ一番最近の恋人は、

今まで付き合ってきた美しい女の中でも、

ひときわ美しく、艶かしい女だった。

だから、その人形も、

今まで作り上げてきた中でにも、

一際美しい物であり、

今度こそ、満足がいくはずであった。

なのに、この人形が完成しても、

要七郎はまた、腑に落ちない違和感をぬぐいきれずに、

新しい恋人が眠ってしまった後も、

一人起きて人形を目の前に置いたまま、

眠れず月を眺めているのであった。






今宵はとても、月が明るい。


もう誰も彼も寝静まったと思える深夜なのに、

要七郎が見回す自分の家の広い庭は、

まるでひと気の無いだけの昼間のように、

月明かりに隅々まで照らされていた。


どこかで野良犬が、遠吠えをしている。

物悲しい、孤独な、細々と長いその吼え声は、

空を縫って月にまで届きそうだ。

しかし、いくら月が明るく辺りを照らそうとも、

月は他のもの同様、

どうせ自分など気にしてはくれていないのだと、

犬の声は告げていた。

それは、要七郎の心に寂しく響いた。



孤独とは、一人でいるから孤独なのだ。

なれば、

誰かとこうしているのに、孤独を感じるということは、

一体なんと呼べばいいのか。

後ろの要七郎の寝具に眠る、刹那な恋人を振り返りつつ、

要七郎は手元に置いてある盆の上の杯を持ち上げて、

また一口酒をすする。

何人の美しい女を抱いても、一緒に夜を過ごしても、

まるで要七郎の孤独感は消える事がなかった。



何体もの人形を作り続けて来た。

要七郎の美しい人形はとても評判が良く、

注文は後を絶える事が無い。

小金を持て余しているお公家やお武家から、

毎日のように次の人形はうちへ売ってくれと催促が来ている。

人形師としての仕事は成功していた。


美しい女との恋愛にもことかかなかった。

何故なら、要七郎自身も、

この界隈では知る者がいないほど、美しい男だったからだった。

美しい男が美しい女の人形を作る。

それだけで、世の女達の要七郎の噂はとどまるを知らず、

妄想を巻き込んだ噂は、要七郎への思慕にさえなっていたのだ。

その思慕は、次は自分を手本に人形を作ってもらおうという、

殺気を含んだ願望になり、

自らが美しいことを知っている女達は、その願望を実現するべく、

次から次へと、ひっきりなしに要七郎に近づいてくるからだった。



でも、 

一体、何体の人形を作れば、満足出来るのか。

一体、何人の女を抱けば、この孤独感は消える時が来るのか。

要七郎の心の霧は晴れぬのだった。



「人形を作るということは、所詮空しい事」

どこからともなく、声がする。

要七郎は酒をすすっていた杯を床に置くと、

声のするほうを見た。

地味な青い着物を着ている、一人の頭巾をかぶった女が、

月の明るい庭先に、いつの間にか立っているのだった。

かぶった頭巾で、こちらからは顔は見えない。

その怪しい妖異な様子から、

この世のものではないのではと、要七郎は目を凝らした。


「人形を作るということが、どうして空しい事なのか」

要七郎は少しためらいながらも、佇む女に問いかけた。

「美しいものを作る事が、空しいものだとは思わぬが」

頭巾をかぶった女は、そこに立ち尽くして動かぬまま、

どこか離れた場所で答えるかのように、遠い響きを持った声で返した。

「人形は、いくら形を似せて作っても、

 所詮、中身は空洞のもの。入れ物をたくさん作ったところで、

 自然と中身が埋まるということはありませぬ」

「入れ物・・」

要七郎は女の言葉を呟いた。

「空ろなものを作ってばかりでは、つまらないのも当たり前でございましょう」

女の言葉に、思わず要七郎は膝を立てる。

「いや、しかし」

そして、要七郎は早口で続けた。

「美しいということは、それだけで意味があることだろう」

しばし、庭先の妖異な女と要七郎の間に沈黙が流れた。


「入れ物の見た目の美しさに、意味などございませぬ」

女は静かに言った。

「いや、美しさには」

要七郎は言葉を返そうとして、口ごもった。

 美しさは、はたして意味があったものなのだろうか。

言葉を探そうとして、要七郎は黙り込む。

女は静かに続けた。

「人形も入れ物ならば、人間も入れ物。

 人間とて、多少の骨と肉の詰まった入れ物にしか違わないのでございます。

 その表の皮が美しいということに、何の意味がございましょう。

 そこに眠る今度の恋人も、そして、あなた様も美しいというだけで、

 中身は空ろ。とてもつまらないものなのでございますよ」

「されど」

要七郎はようやく言葉をつなぐ。

「意味が無いとは思わぬが。人形師として、

 美しいものを作って成功しているのだし」

「私は言っているのは、そういうことではありませぬ。

 面白いか、つまらぬか、それを言っているのでございます。

 つまらないということは、すなわち、

 意味が無いことに通じるのではありますまいか。

 意味が無いことをやっていても、満足出来ないのは当たり前のこと。

 あなた様は、御自分の求めている物が何なのか、分かっていないのですよ」



要七郎は女の言葉を反芻した。


つまらないと思っていることは、

意味が無い?

要七郎は、自分の言葉を捜して彷徨っていた。

私が日々、自分の作った人形にも、女にも満足出来ないのは、

私自身がつまらない人間だからということなのか。






庭の虫が鳴いている。

月明かりで明るい庭の先に立つ妖異な女は、

その後は、ただ黙って佇んでいる。

要七郎の言葉を待っているのだろうか。


「では、どうすれば私という人間の中身が埋まるのだ。

 つまらない人間ではなくなるのだ」

要七郎は乾いた唇を湿らせて、ようやく言葉を紡いだ。


「面白いことを望まれましょうか?」

頭巾をかぶった女は、相変わらず身動きせずに、

でも、どこかひやりと冷たい感じを含ませた声で言った。

顔が見えていたならば、冷たい笑みをにやりと頬に浮かべているような声だ。

「この空しさが消えるならば、是非とも試してみたいものだ」

要七郎が答えると、女は答えた。

「良いでしょう。では、しばらく一緒に楽しいことをしましょう」


くらりとした。

次の瞬間、要七郎は気を失ってその場に倒れていた。

もうその時には、庭に頭巾の女の姿は無く、

ただ明るい月明かりの庭で、

静かに鳴き続ける虫の声だけが辺りに響いているだけだった。




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