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鬼録   作者: 小室仁
15/72

人形師 6

開いた障子から差す月の光は青白く、

照らす全ての物の影を黒々と浮きだたせていた。


草木も眠る丑三つ時。

鬼はゆっくりと、足を引きずるようにして、

部屋の中へと入って来ていた。


私と五見は息を殺して、ほんの一センチほど開けた襖の陰から、

その鬼を見ていた。

月明かりを背にしている黒いシルエットの鬼の姿は、

人形を見たときにはあまり気に留めなかった色あせた桜色の着物を着ていて、

その着物の生地の表面一面には、細かい桜の花びらが描かれていた。

月明かりが逆光になっているので、顔の表情は見えないが、

そのまるで獣が吐くような荒い息遣いは、ここまで届いてきていた。


鬼に見入りつつ、

私と五見は襖の中、恐ろしさをこらえ、

無言でお互いの手を握り合う。


「ヨウシチロウさま・・」

鬼がおどろおどろしく低く呟く声は、

まるでエコーがかかっているかのように、辺りに響く。

鬼は、ゆっくりと部屋の中を見回した。

月明かりに、その横顔がはっきりと見えた。


うりざね顔の不美人な顔の造りは、人形と良く似ていた。

だけど今、月明かりの中で怨念が実態と化したものを見て、

私は息を飲んだ。

五見もごくりと喉を鳴らすのが分かる。



鬼の口が、

無理やり引き裂かれたように耳まで届いていた。

裂け目からは、まるで鰐のような尖った不揃いな歯が覗いている。

そして、てらてらと頬が光っている。

その裂けた口から血が流れ出ているせいで、濡れているからだった。


結っている日本髪は乱れて、

ほつれた毛の束が、肩にいく筋もかかっている。

その額から、障子の影でも見た、

ねじれた巨大な角が二本、にょきにょきと生えていた。

角が突き出ている額の皮膚も裂けていて、

そこからも大量の血が溢れていた。

口と額から流れ出ている血は、顔を流れ伝わって、

その着物の上にも流れていて、

鬼は自分の流す血にぐっしょりと、染まっていた。



五見と私は、お互いの顔を見合わせて、

パクパクと口を開いた。

だけど、例え声に出せて喋れたにせよ、

きっとそれは意味の通らない言葉の羅列になったに違いない。

それほど、今までの死霊が見える人生でも、

こんなに異形なものは見たことが無かったのだ。



鬼はゆっくりと部屋の中を彷徨った。

物の一つ一つの匂いを嗅ぐ。

そしてそれが、自分の探している物の匂いと違うと分かると、

鬼は、荒々しく鼻を鳴らした。

そのさまは、

人間の姿を捨てた獣そのものの他ならなかった。


やがて鬼は、五見が自分のジャージを着せて、

壁にたてかけた箒の側へ近づいていった。

そして、執拗に匂いを嗅ぐ。

「ヨウシチロウ様・・・」

鬼は獣の声で呟いて、やがて怒涛のような雄叫びをあげた。

部屋中がぶるぶると震えるような、物凄い音量だった。


私と五見は咄嗟に耳を塞いで、襖の中でひれ伏す。



吼え声が止み、私と五見はゆっくりと顔を上げた。

そして、襖の隙間から部屋の中を覗き見て、

再び息を止めた。





五見のジャージを着せた箒が、

むくむくと人の形を取り始めていた。

見る見る内にそれは、

日本髪を結っている緑色の着物を着た女性に成り代わった。

とても綺麗な人だ。

目鼻立ちがはっきりとしていて、テレビの女優さんだと言っても過言で無いくらい。

今で言う、吉永さゆりか、松浦亜弥かという感じ。


その箒から変化した、

美しい緑色の着物を着た女の人は、

自分に迫っている鬼を見ると、

恐怖に顔を歪めて悲鳴を上げた。


鬼はもう一声、物凄い叫びを上げたかと思うと、

その女の人に飛び掛って行った。




五見と私は、咄嗟に目を伏せた。


何度も何度も、

悲鳴が上がった。

襲われているその綺麗な女の人の悲鳴だ。

だけど、私達は何も出来ずに、ただ耳を塞いでいるだけだった。



やがて、悲鳴は薄れて、聞こえなくなっていった。

後には、鬼がその女性を食らう、

気味の悪い咀嚼の音だけが続いた。

ピチャピチャ・・・・


それは、ビャクが日本酒を舐めた音に似ていた。

血をすする音。




あれは箒のはずなのに。

五見のジャージを着せただけの、

ただの箒のはずなのに。

箒なんだ。

私は心の中で、呪文のように繰り返す。






鬼はやがて、舌なめずりをしながら、

くるりと私達の隠れる襖の方へ向き直った。

私達は出来るだけ襖の中で、身を小さくする。

鬼の後ろには、首の辺りを食われて血まみれになった、

緑の着物を着たあの女性が横たわっていた。


鬼は足を引きずるようにして、

私達のいる襖に近寄ってきた。


 何なに?

私が五見の肩を掴んで表情で訴える。

 分かるわけないでしょ!

五見は、暗闇でも分かるほど青ざめていた。


鬼は、ゆっくりと畳の上を歩いてこちらへやって来た。

まっすぐ、私達の隠れる襖の方へ。


そして、ためらう様子も無く、

鬼は私達の隠れる、襖の戸を横に滑らせて開けた。


肉の腐ったような匂いが、強烈に鼻をついた。

息が出来なくなるほどの、悪臭。

今まで嗅いだことの無いくらい、くさい臭いだった。



生きながら、腐り果てた人間の臭いだ。

私は心の中で思った。

死んでもなお、その執着が強すぎて魂が肉体を離れることが出来ず、

恨みを晴らす為に、腐りながらも、

うろうろと歩き続けたに違いない。

昔で言えば鬼。

今で言えば、ゾンビみたいなもんだ。



鬼は、お神酒で結界を張った襖の中をうかがって、

鼻を鳴らしてた。


「美味そうな匂いじゃ、若い女子の匂いじゃ。

 ここにもおったのか」

エコーの効いた低い声で呟く。





鰐のような鋭い歯が、

さっき食らった女の人の血の混ざったよだれの糸を引いて、

私達の顔の前に迫っていた。

鬼は一センチも離れていないところで、

鼻を鳴らして、私達を探っている。

私達は、息を止めて、

目前の鋭い牙を見ていた。


鬼が匂いを嗅いで、顔を上げた時、

私の腹がぐうと音を立てた。

飲みすぎ食べ過ぎのせいで、腹の具合が悪くなっていたのだ。


途端、お神酒の結界は破れた。


五見がハッと私を見る。


次の瞬間、鬼はすぐ目の前で咆哮した。

尖った牙が無数に生えた、鰐のような口を開けて、

鬼は私に、食らいつこうとした。


逃げ場の無い私は、悲鳴を上げつつ、

ただ目をつぶるだけだった。









その時、

鬼の物とは桁違いの物凄い咆哮がした。

「ガオオオオオオオオ!!!!!!!!!!」


地震が起こった。

私達の隠れている襖の中が、

震度四くらいの振動に見舞われた。



鬼に食われたのが先か、鼓膜が破れたのが先か、

私は分からなくて、ただ身を縮ぢこませているだけだった。






私達の目前に、息がかかるほど近寄っていた鬼がひるんで、

一瞬襖から身を引いた。


すると、ガバッと鬼の体が不自然に引っ張られて、

私の視界から消えた。


一瞬置いて、私は自分を取り戻すと、

一体何が起こったのかと、

どきどきしながら、襖から外を覗き見た。



月明かりの中で見えたものは、

部屋の中にいる巨大な白い虎だった。

背中には黒い縞の模様がある。

その白い虎が、口に咥えた鬼を、

大きく頭を振って、振り回していた。


ビャクだ。


私と五見は顔を見合わせて、

ただその光景を見守っていた。


やはり、あの白い気味の悪いおばあちゃんの白い猫は、

ただの猫では無かったのだ。








やがて今度は、虎が鬼を食らう音が、

辺りに響いた。


これは実際のことではない。

心霊的で、現実のものでは無いのだ。

今はもう、分かっているから、

冷静になってその音を聞いていられた。

この試練は、私達が生まれたときから与えられているものだ。

死んだ人が見えるということは、

こういうことなのだ。




しばらくすると、全ての物音が消え去り、

あたりはまた静寂に戻った。

不自然なものの力で失われた聴覚とは違い、

普通の静けさだ。

当たり前の、夜中の静けさ。

庭で虫が鳴いている。



五見は大きく息をついて、襖から出た。

私も後に続く。



部屋の中には、五見のジャージを来た箒が転がっていた。

血の一滴も垂れていない。

もちろん、

鬼に食われたはずの、緑色の着物を着たアヤヤもいなかった。


そりゃそうだ。

箒なんだから。

でも、確かに、

女の人に変わったのはこの目で見たのだけれど。



「にゃおーん」

ふと見ると、大きな白猫のビャクが、

障子の桟に体を擦り付けて、私達のいる部屋から出て行くところだった。

くねくねと、体を障子に擦り付けながら、

私達を振り返っていた。

ビャクは、まるで何かを食べたかのように、

舌舐めずりをしていた。



「私、帰るわ」

五見がやつれた様子で、箒に着せた自分のジャージを拾って言う。

「うん、今日はごめんね」

私は、まだぐるぐると鳴り続ける腹を抱えて答えた。

「しかし、あの箒の術は一体なんなの?」

私が聞くと、

「そんなに深い意味は無かったのよ。

 ただ、隠れた私達から、

 鬼の目をそらす為の単純な囮のつもりだったんだから。

 所詮、ファンタジー小説の真似だったんだし

 まさかあれが女の人に変身するなんて、思わなかったわよ」

箒から脱がせた緑色のジャージを履きながら、五見は呟くように言って、

「あ」

突然、声を上げた。

「何?」

また何か起こったのかと、私はドキドキして聞き返すと、

五見は私の方へ手を差し出した。

「これ・・・」

五見の手の中には、あの無くした小指の爪が一枚乗っていた。

「ジャージの襟元に挟まってたみたい」

「じゃあ、あの女の人はその爪のせいで姿を現したの?」

「さあ、それは分からないけれど、多分関係あるんだろうね」

「もとの場所に戻したほうがいいかな」

私が不安げに聞くと、

「後にしよう。もう今は疲れてその気になれないし。

 どうせ、もう朝が来るでしょ?

 あれはきっと、夜にならなきゃ現れないだろうしさ」

「え、あの鬼、また出てくるの?だって、さっきビャクが食べちゃったじゃない」

「ビャクが食べたのは、実際の鬼じゃなくて「気」を食べたわけだから、

 また夜になれば、鬼の気が満ちて現れる可能性はあるわよ」

私は、ぞっとした。

また、あれが現れるのか。

考えただけで、恐ろしい。

でも、疲れすぎていたので、

封印の続きは明日に伸ばそうという、

五見の提言を無条件に承諾したのだった。





私はその見つけた爪を、おばあちゃんの神棚のある部屋、

応接室のテーブルの上に置いた。

今この後すぐに、

あの人形がいる部屋には、どうやっても行く勇気が無かったのだ。

朝が近づいていて、夜になるまではもう決して、

あの鬼が現れないと分かっていても。




時計が鳴った。

ボーンボーンボーン。

夜中の三時。

五見はようやくタクシーを見つけて、

家に戻っていった。

「明日は、学校からまっすぐこっちに寄るから」

タクシーの中で、五見は私に言った。

私は頷いて、五見を見送ると、

おばあちゃんの家に一人戻って行った。


でも、もう今夜は、

決して眠れないだろうと思ったのだった。



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