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鬼録   作者: 小室仁
14/72

人形師 5

私と五見は息を切らしながら、

おばあちゃんの家の数ある部屋の一室で、

客用の布団が仕舞ってある襖の中を全て引っ張り出して、

今夜来るべきものから隠れる場所を作っていた。

「真備ちゃん、おばあちゃんの祈祷室の、

 神棚のお酒持ってきて!」

ふと、五見が叫ぶ。

「へ?祈祷室?」

私が言うと、五見は叫んだ。

「おばあちゃんが信者さん達を迎える応接間に、

 神棚があるでしょ?そこの神棚に神様に上げてるお酒があるはずだから、

 それ取ってきて!」

私は訳も分からず、五見に頷いた。

そして、ダッシュで居間へ走ろうとする。



その時。

音という全ての音が、消えた。






庭で鳴く虫の声も、道路を通り過ぎる車のタイヤの音も、

自分の息遣いさえも、全て何も聞こえなくなった。

唐突に、辺りは無音になったのだ。


走り出した私は驚いて立ち止まった。

急に耳が真空パックの中に入れられたようだった。

自分の耳が無くなったのかと思った。

それほど、何も聞こえなくなったのだ。

五見もはっとして、私を見た。



やがて、

かすかな啜り泣きが、どこからともなく、

静寂の中を縫って聞こえてきた。

「・・・・どこへ行ったのじゃ・・うらめしや・・」

私は恐ろしさに固まった。

どうやら声は、さっきの人形が置いてある部屋の方角からのようだ。

今私達がいるこの部屋は、

その人形が置いてある部屋から、一番遠い位置にある。

五見も一瞬、固まって動かなかった後、

慌てて、私に向かって両手を振った。

そして自分の着ていたジャージを脱ぎだす。

一体何を始めたのかと思って、私がそこにとどまって見ていると、

気がついた五見が、またしても勢い良く手を振った。

 行け、早く御神酒を取って来い。

という仕草だ。

その後、五見はジャージの下まで脱ぎ始めた。

私がそれでもまだ見ていると、とうとう五見が声に出して叫んだ。

「早くしてよっ!!!!」

私は堰を切ったように、応接室に向かって走り出した。


暗い廊下を足を滑らせながら走って、応接間の障子を急いで開ける。

すーっと障子は音も無く開いて、私はその中へ身を滑り込ませた。

電気をつけるのももどかしく、

ほのかな月明かりだけで部屋の中を見回す。

お客さんを迎える為の、重厚な座卓と座椅子が置かれた部屋の奥、

天井近くに、五見が言ったように神棚があった。

その辺に体をぶつけながら、私は神棚に走りより、

背伸びをして手を伸ばすと、白い綺麗な陶器の徳利を掴んで下ろした。

鼻を近づけると、プンと酒の匂いがする。

今夜は充分に酒が足りている私は、少しオエとえずきながら、

部屋を走り出した。


部屋に戻ると、五見は箒に自分の脱いだジャージの上下を穿かせていた。

何をやっているんだろうと思いながらも、

「五見、お神酒持って来たよ」

私が早口でささやいて言うと、五見は早口で言った。

「真備ちゃん、そのお酒をそこの襖の上下四隅のふちに塗って!」

「え?」

「いいから、早く塗って!」

私は言われたとおり、手のひらにお神酒をこぼすと、

布団を引っ張り出した後の空っぽの襖の中、

上下四隅に酒で線を引くように塗りはじめた。

五見はジャージを着せた箒を部屋の反対側の壁に立てかけ、

「いてっ」

なにやら髪の毛を数本抜いて、そのジャージの胸ポケットに入れて、

ジャージを脱いだ後の、Tシャツとパンティだけの姿で、

こちらへ走って戻ってきた。

「真備ちゃん、これから絶対に音とか声出しちゃ駄目だよ、分かった?」

何が何やら分からず、私が頷く。

「こんなの、どこであんた覚えたの?」

私が早口で聞くと、

「本で読んだのよ。映画にもなったシリーズものの。

 あの「カンサイ」だか「マンザイ」だかっていう人が出ているやつよ」

「それって・・・・もしかして、野村萬斎のこと? 

 「陰陽師」じゃん!ちょっと、そんなんで大丈夫なの?!」

私が悲鳴のように言うと、

「何もやらないよりましでしょ。早くっ!」

五見は私を襖の中に押し込んで、自分も入ると襖の戸を閉めた。

私が中に入ってもなお、口を開こうとすると、

五見はバシリと手のひらで私の口を塞いだ。

そして、自分の口の前に人差し指を立てる。

仕方なく、私は黙ったのだった。










気配がした。

廊下がきしる音。

人が歩いている。

ゆっくりと。

ぎし、ぎし、ぎし。


そして、時々、泣き声のような、囁きのような、

か細い声がした。

「いずこじゃ、ヨウシチロウ様・・・うらめしや・・・」


ヨウシチロウ。

私と五見は顔を見合わせた。

誰なんだろう。




声は、おばあちゃんの家を彷徨いはじめていた。

どうやら、封印を解かれたものは、

その肉体を失ってさえからも、

恨んで妬んでいたものを捜し求めているようだった。




恨んで妬んで彷徨っているそれは、かつて生きている人間だった。

それも、女だ。


誰にもそんなことは聞いていないのに、血の呪いの遺伝が、

私と五見にそう告げていた。

でも、いつものように他の死者が送ってくる、

それ以上のイメージは来ない。

どうして死んだのか、何故こうなったのか、

それこそが知ってもらいたいと、

他の普通の死者が伝えてくるようなイメージは、一切無かった。

それからも、これが普通の死者ではないと明確に分かることだ。







ぎし、ぎし、ぎし。

家の廊下はきしる。

時々は、他の部屋の障子が開けられる音も聞こえてきた。


それは、探しているのだ。



何を?

私は声に出さない疑問を、すぐ目の前の五見の顔にぶつける。


さあ、

五見は目と表情で答えた。








やがて、

それは、私達のいる部屋にやって来た。





月明かりに照らされて、

人形を抜け出たその何かが廊下をやって来て、

私達の潜む部屋の障子越しに、ぬっと影となって現れた。

襖を少し開けて覗く、私達の息が荒くなった。






障子に映る影の黒いシルエットは、

はっきりと、着物を着ている女の人の形をしていた。

やはり、もとは死んだ人間なのだ。

ただ、シルエットには普通の人間には無い影があった。


角だ。


その着物を着た女性は、日本髪に髪を結っていた。

その上に、突き出た不恰好な大きい尖ったものが突き出ていたのだ。



鬼だ。

私が目で五見に言うと、

目を見開いて、五見も頷いた。



部屋の障子がずるずると音を立て、

ゆっくりと開き、

それは私達の潜む部屋の中へ入って来た。




私達は、この時はじめて、

その念の強さから実態と化した、

鬼を目の当たりにしたのだった。






人間とは、心次第で仏にも鬼にもなれる。


言葉では分かっていたけれど、

真実は言葉の認識を上回る。

それを身を持って感じた瞬間だった。



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