人形師 4
携帯は、空しく十回コールをした。
ため息をつきながら切り、
もう一回、同じ番号にかける。
もちろん、五見の番号だ。
時計に表示されている時間を見直して、
改めて、今が午前一時十分だと確認する。
確かに、普通の女子高校生に電話をかけるには、
午前一時過ぎは遅い時間だとは、私だって分かっている。
休み前ならまだしも、平日だし。
けれど、私は知っている。
五見が平日でもなんでも、いつも三時近くまで起きていることを。
私の場合、普段その日に出会った死者が私を訪れてくるのは、
仕事が終わってアパートの部屋に帰り着く午前一時頃から、
寝る頃までの午前三時くらいまでだ。
帰りついたアパートのドアを開けた途端、
その日出会った死者に待ち伏せされている時もあれば、
寝る前、歯を磨いて洗面所から戻ると、
ベッドの前に正座されていたというような時もある。
だから、これは、と思うような死者に出会った日の場合、
彼らを待つような習慣になってしまっていた。
だって、待たずに寝てしまってもどうせ起こされるのだ。
それこそ寝ぼけた無防備な状態で、金縛りにでもあって、
枕元に座られているのを見るのだとしたら、
恐さも倍増してしまう。
恐怖とは、構えているとその衝撃は少なくなるものなのだ。
多分、五見が私の血縁で、
おばあちゃん以外、
唯一、私と同じような死んだ人を見るという力を持っているということから、
きっと私と同じような生活を送っているに違いないという、
私なりの確信があった。
だから、ある意味、遠慮なくこの時間に携帯のベルを鳴らしたのだ。
だけど、期待に反して、
二回目のコールにも五見は出る様子は無かった。
諦めて切ろうとした時、
「はい?」
受話器の向こうから、いぶかしげな五見の声が聞こえて来て、
私は飛び上がった。
「五見!」
私は受話器に叫んだ。
藁にもすがる気持ちというのは、こういう気持ちを言うのだろうか。
相手の声を聞けた途端、涙が出てしまうほどの嬉しさ。
それは決して、酒の酔いのせいだけではなかった。
「どうしたのよ、真備ちゃん」
五見の問いかけに、
「あのね、あのね、私すげー物を見ちゃったの」
私が一生懸命訴えると、五見は冷静に言った。
「真備ちゃん、ろれつ回ってないよ」
しらーーとした空気が、しばし電波に乗ってお互いの携帯の間に流れる。
「酔っ払ってるけど、酔っ払ってるわけじゃないから!!!」
叫ぶようにして私が慌てて言うと、五見は迷惑そうに、
「酔っ払ってるのは、酔っ払ってるって事でしょ。
訳分かんない」
慌てて私は言葉を続ける。
「今ね、おばあちゃんの家にいるんだけど」
そして、今ある私の状況を説明した。
でも、五見にクールに言われてしまった。
「だから?」
私は言葉に詰まってしまう。
「おばあちゃんの家の留守番をしていて、恐い人形を見つけてしまった。
で、だから? あの家なら、恐いものはわんさとあるでしょうよ」
近頃の女子高生というのは、皆、五見のように可愛くないものなのだろうか。
「まじ、恐いんだって」
私が言うと、
「恐いから、どうだってのよ。私達はいっつも恐いでしょう。
何を今更言ってるの」
つっけんどうな物言いに、酔っていても面白くなくなる。
「分かった。悪かったね、夜遅く電話しちゃって」
私が下手に出て言うと、
「別にいいよ」
言って、あっさり五見が携帯を切りそうになった。
「あのさ」
アルコールに犯された肉体的な障害を乗り越えようと努力しながら、
(ろれつとも言う)私は咄嗟に、言葉を続ける。
「私が今夜、ここで何があろうと確かに私の責任だし、
五見には何の関係もないけどさ」
五見が話の続きを聞いているのが分かる。
「でも、もしあんたがさ、ここで電話を切ってよ、
明日私が死んだら、あんた後悔するよ」
「は?」
五見。
「私が明日、悪霊に取り憑かれて死んだらあんた後悔するって言ったの。
そしたら、あれだよ。私、毎晩、毎晩、あんたの枕元に立つからね。
うらめしやって呟きながら、立ってやるからね」
少しの間、沈黙が流れる。
「やめてよ、真面目に恐いじゃないの。
真備ちゃんの幽霊、想像しただけでも恐ろしいっての。
一体、何があったって言うの」
五見はため息をついて聞いてきた。
電話を切られなくて済んだことにほっとして、私もため息をついたのだけれど、
その後、腑に落ちなくて首を傾げる。
「ちょっと、どうしてそんなに私の幽霊が恐ろしいのよ」
「もう、早くしてよ。一体何時だと思ってるの?」
ごまかすように、五見が早口で言った。
酒の酔いも手伝って、私はしっかりごまかされて、
首をかしげながらも続けた。
「ねえ、お願い。五見、今からこっちへ来てくれない?
絶対私一人ではやばいんだって。見たら五見も分かるから。
ね、タクシー代は私が払うし、お願い」
「えー、だって私明日学校だよ?」
「分かってるよ、朝早くに学校に間に合うように、帰ればいいじゃん
叔母さんたちに家を抜け出た事がばれないようにさ。お礼はするからさ」
「そしたら、私いつ寝るのよ」
「一日くらい寝なくたって大丈夫でしょう?学校で寝ればいいんだし」
「真備ちゃん、私、真備ちゃんみたいに、高校中退するつもりはないんだけど」
「もう、早くしないと来ちゃうってば!」
最後は私の絶叫。
「あーもう、分かったわよ。だけど、今からそっちまで行って、
結局、それが大した事無い因縁物だったら、私、怒るからね。
ったく、真備ちゃんは酒癖悪いんだから」
電話は切れた。多分、三十分かからずに五見は来てくれるに違いない。
なんだかんだ言っても、五見は優しいのだ。
そしてその優しさは、まだまだ甘い。
私は一人ごちた。
二人でいれば、もし化け物が襲ってきても、
五見が食われているうちに、
私は逃げられる可能性があるというもんだ。
生きると言うことは、所詮、戦争なのさ。
冗談半分、本気半分。
私はあの人形は単なる死んだ人が宿ったものだとは、
思ってはいなかった。
きっと、今まで見たことも無いような、
恐ろしい化け物が宿っているに違いないと、
確信していたのだ。
ところで、
人間の肉体とは、驚異的な働きをするものだ。
「病は気から」という言葉が昔からあるけれど、
本当にそうだと思う。
午前一時半を過ぎた夜中、おばあちゃんの家の常夜灯の前に立ち、
五見のやって来るのを待つ私は、さっきまで一升酒を飲んでいたとは思えないほど、
素面に戻っていた。
繰り返しのようになるけれど、
恐怖に襲われている時の人間の肝臓の働きは、まじ大したもんだ。
あまりに酔いが覚めてしまったので、私は返って不安になってしまい、
これもやはり、おばあちゃんの冷蔵庫にあった缶ビールを手に持って、
家の前の道路で佇んで、五見を待っている始末だった。
これから対峙するであろう恐怖に、弱い人間の私は言い訳を保持して置きたかったのだ。
「所詮、酔っ払ってたしね。幻覚だったのよ、あっはっは」
もし、明日生きて朝日を見れればの話なのだけれど。
五見は、思ったよりも早くやって来た。
もう女子高生だと言うのに、
中学の頃使っていた、学校の緑色の毛羽立ったジャージを着ていた。
体の脇に、三本の白い線の入っているやつ。
わざとレトロ路線で洋服屋さんで、
こういったものを売っていることもあったけれど、
やはり胸に名札がついているのを寝巻きに着ているっていうのは、
ダサすぎる。
タクシーから降りた五見に、私は深々と頭を下げた。
「ほんと、有難うね」
すると、五見は顔の前で手を振り、
「真備ちゃん、酒臭過ぎ」
ばっさり言われたので、
「中学のジャージ着ているダサい奴に、そこまで言われる筋合いは無いけど」
私が思わず言い返すと、五見がくるりとタクシーに戻ろうとしたので、
慌てて五見の腕を押さえて謝った。
「うそ、うそ。冗談だよ。ごめんってば」
ひたすら謝って、五見を引き止める。
タクシーが走り去り、私と五見はおばあちゃんの家の中へ入って行った。
玄関で靴を脱ぎ、五見は廊下へと歩きながら、
私を振り返る。
「ねえ、真備ちゃん。何を見たのよ」
「いいから、こっちへ来て」
口で説明しても埒が明かないので、
(もう頭は冴えているのだけれど、まだろれつが良くまわらないとも言う)
私は例の部屋へ五見を引っ張っていった。
「ここ、おばあちゃんに入っちゃいけないって言われてる部屋じゃん」
部屋の障子の前で五見が非難するように、私を見る。
「入っちゃいけないって言われると、入りたくなるのが人間ってもんでしょ?」
「そういうのを、自業自得って言うのよ」
かー、理屈っぽいやつだ。
私はすみません、と小さく呟いてみせたものの、
心の中で改めて誓った。
妖怪が出たら、まじ五見が食われている間に逃げてやる。
「それにしても」
五見が部屋の障子に手をかけながら言う。
「この家、今日は変だね、静か過ぎる」
私も頷いてみせた。
「うん、私も来たときそう思った」
「いっつも、この家そこら中、見えない気配だらけなのにね」
「でしょう?変なのよ」
「今日はさぁ、ずっと私の部屋の中に中学生くらいの男の子が座っててさ」
五見が障子を開けながら、ため息をついて言った。
「パソコンの電源は切られるわ、部屋の明かりは消されるわ、
物にまで手を出して私の気を引こうとしててさ、いらいらしちゃって」
それでさっきご機嫌が斜めだったのか、と私は納得して、
「どこでついて来ちゃったの?」
私が聞くと、
「七見の拾ってきた漫画本らしいんだけど、なんで私なんだろうって、
まじ嫌になっててさ」
その気持ちは良く分かる。
私もいつも誰に聞いていいのか分からない、同じ疑問を抱いている。
どうして、私なのか。
死んだ人には、他の人を頼ってもらいたいと、本当に思う。
テレビに出ている霊能力者のところへでも、行って欲しい。
私達は別に商売でやっていて、好きで見ようとしているわけでは無いのだから。
「そしたら、真備ちゃんのこの電話でしょ?きつい一日だわよ」
まるで会社のお局に怒られている新人OLの気持ちになってきた。
「どうも、すみません」
私は四つも下の従姉妹に、頭ばっか下げているのに気がついて、
やけになって、もう一口ビールを煽った。
「で、どれよ」
部屋の障子を開けて、明かりをつけながら五見は言う。
私は黙って、五見が部屋の中を見回すのを見ていた。
「ああ、もしかしてあれか」
十八畳の広い部屋中に、雑多に並んでいる物を見回して、
五見はすたすたと部屋の中へ歩いて行った。
例の、人の膝丈はあるかと思われる、大きくてうりざね顔の不美人の日本人形は、
さっき見たのと同じように、そこに佇んでいた。
「これのこと?」
五見は私を振り返って言った。
私はもう一口、ビールを啜って五見に頷いて見せた。
「ちょっと不気味なくらいで、別になんてことも無いように見えるけど」
言いながら、五見は大胆にもその人形を抱え上げた。
「うわああああああっ!」
途端、五見が悲鳴を上げ、持った人形を大きく放り出す。
「ぎゃああああああ」
私もつられて悲鳴を上げると、
持っていた缶ビールを投げ捨て、部屋の外へ逃げ出した。
五見も私を追いかけて、同じように部屋を逃げ出す。
廊下でお互いの体を捕まえて、私達は大きく肩で息をした。
「何よ、なんなのよぅ」
私が涙目になって五見に言うと、五見は大きく目を見開いて、
「あの人形、生きてるよ」
心底怯えて言った。
「だから、言ったでしょ。恐いんだって」
「でも、人形が生きてるなんてことあるの?」
五見が真剣に言う。
「そんなん、普通では有り得ないでしょうよ」
「やばいよ、あれ」
五見が青くなって言う。
「だから、やばいって言ってるじゃん。
でも、放り出したままじゃもっとやばくない?」
二人でしばし、お互いを掴みあったまま見つめあう。
そして、そろそろとそのまま逃げ出してきた部屋の中を覗き見た。
人形は無残にも、畳に投げ出されて転がっていた。
しばらく二人でそうして見ていても、人形が自分で立ち上がって歩き出す様子は無い。
どちらからともなく、私達は部屋に及び腰で戻って行くと、
人形の側に近寄って行った。
「あれ、何だろう」
やがて、五見が言って、
転がって天井を向いている人形の着物の襟元に、
何かが挟まっているのを見つけた。
薄茶色の油紙。
五見は恐る恐る手を伸ばすと、それを人形の襟首から取り出した。
ずるずると引っ張り出し眺める。
それには、何かが包んであるかのように見えた。
裏を返すと、墨の文字で何かを書かれているような白い紙が貼り付けられている。
封をしてあったようなのだけれど、
あまりに紙が古びれていて、今人形を投げ出した拍子に、
破けてしまったらしい。
口は開いていた。
「何が入ってるのかな」
「さあ」
五見はその包みを開いた。
「なんだ、これ」
五見の言葉に、私も包まれていたものに見入る。
それは黄ばんだ魚の鱗のように見えた。
手に取って、良く眺めてみる。
軽くて固い。でも、どこかで見たような気がする物だ。
「ねえ、これもしかして」
五見が私の持っている物を見て言う。
「人間の爪じゃない?だって、入ってる数も二十枚だし。
大きさも、大人の人間の手の爪っぽくない?」
「ぎゃああああああ」
私は再び悲鳴を上げると、持っていた物を放り出した。
「きゃあああああ」
五見も持っていた包みごと、部屋の中に放り出す。
そして二人してまた部屋から逃げ出して、
廊下でお互いの体にしがみついた。
「何で、人形の襟首に爪が入ってるのよ」
私の震える言葉のろれつは、この時には完璧に戻っていた。
「知らないわよぅ、気持ち悪いなぁ、もう」
五見も半泣きだ。
「あの爪の包みに、なんか護符みたいなのが貼ってあったよね」
私が言うと、五見は頷いた。
「もしかして、あの護符で何かが封印されてたのかな。
爪と一緒に」
「そうなのかもよ、どうするよ」
お互いの両手を握り締めて、私達は途方に暮れる。
私達は泣きべそをかきながら、
部屋に戻ると、放り出した爪を捜して部屋の中に這いつくばった。
あれで何かを封印していたとしたならば、
元の状態に戻さないと、どんな事が起こるか分かった物じゃないからだ。
部屋の中にあるものを、全てひっくり返してみた。
でも、どうしても、
爪は19枚しか見つからなかった。
大きさで言えば、小指の爪だろう。
物凄い勢いで放り出したので、
あんな小さいものだもの、どこかに入り込んでしまったらしいのだ。
私達は青くなって、畳に這いつくばったまま、
お互いを見た。
封印を解かれたものは、
一体どのように、私達を今夜訪れるのだろうか。
その時、離れた居間から時を告げる柱時計の鳴る音が聞こえてきた。
ぼーんと一回。
さっき、午前二時を告げる二回の音が鳴ったのを聞いた。
すると、この音は午前二時半を告げる音だ。
草木も眠る、丑三つ時。
私達は慌てて部屋を出ると、
自分達の身を守る術を探して、おばあちゃんの家を彷徨ったのだった




