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鬼録   作者: 小室仁
12/72

人形師 3

後ろ手に玄関の引き戸を閉める。

私はそのままの姿勢で、しばし固まって家の中の気配を伺った。

やはり、何者の気配もしない。

留守宅なのだから当たり前なのだけれど、

おばあちゃんの家に来た時の、こういう状況に私は慣れていない。

何故なら、いつもこの家は、

見えない得体の知れないものが、わさわさしている場所なのだ。

だから、逆に余計な推量を図ってしまう。

何かこの家に、凄いことが起きているのだろうか。

そして「まさか」と、声に出して否定した。

だって、自分で思ったことだけれど、

凄いことって一体なんだ?と恐ろしくなったのだ。

今の私の生活の中でも、普通の人が体験しないような恐い目には散々遭ってきているのに、

それよりも凄いことなんて、金輪際ごめんだ。

くわばらくわばら。

そんな考えは思っている側から、自分の頭の中から追い出すことにした。



シーンとした家の中を伺って、私は大きく息をし、

気を取り直し靴を脱いだ。

おばあちゃんの家は、とても古く由緒ある家なので、

ドアというものが無い。

数え切れないほどの部屋は、全て障子と襖で仕切られている。

明かりを点けても暗いきしる廊下を歩き、

私はいつも自分が泊まっている部屋へと向かった。

数ある部屋の中の一室、おばあちゃんの寝室の隣、

廊下に面した障子を開けて中に入る。

十二畳のその部屋は、最近青い畳を入れ替えたばかりで、

とても小奇麗で新しい感じのする部屋なのだけれど、

昔おばあちゃんの娘でもある、

私の母親が子供の頃使っていたものだったという。

古いけれど情緒のあるふみ机が一つ、壁に桐の和箪笥が一つ、

箪笥の反対側の壁には墨で書かれた絵が飾られていた。

幼い頃死んだ母親の記憶はあまりないけれど、

やはりなんだか感傷的な気持ちを持って、

私はいつもこの部屋を見回してしまうのだ。

そして無意識に期待してしまう。

振り返ったら、子供の頃の姿をした母親が、

畳に座ってこちらを見ているのではないか。


残念ながら、今まで一度も母親は現れたことは無い。

他の見知らぬ子供が、

振り返った私のすぐ後ろに立っていたことはあったのだけれど。

おばあちゃんが預かった因縁物の霊の一人。

別にそんなのは、ここの家のこの部屋じゃなくても日常茶飯事なことだ。





私は荷物を放り出し、すぐさま今日の大目的の待つ台所へと向かった。

無意識に歩く足は速まる。

通り過ぎる部屋という部屋から、何らかの気配がやってこないかと、

体中の神経を毛羽立たせているからだ。

十の障子を通り過ぎただろうか。

だけど、何の気配も影も見当たらないのだった。

何かおかしいと思いながらも、それ以上は何も考えない。

だって、何度も言うようだけれど、

何も起こらないと言うことに問題はありはしないのだ。





台所へ行くと、明かりを点けるのももどかしく、

巨大な冷蔵庫へと私は駆け寄った。

おばあちゃんは断りきれずに、

信者さんから色々なものを貰っている。

お礼と言われれば無下に断ることも出来ず、貰い物は溜まる一方だという。

その結果がこの冷蔵庫だ。

普段はおばあちゃんと住み込みのお手伝いさんとが、二人だけで暮らす家の冷蔵庫とは、

決して思えない。給食センターの冷蔵庫だと言っても過言で無いくらい大きいのだ。


私はほくほくしながら、十四代が眠っている冷蔵の扉をそっと開ける。

ガチャンと瓶がこすれる音を立てながら、冷蔵庫は開いた。

明るい庫内の明かりに照らされて、扉の棚に酒はずらりと並んでいた。

亀の翁、八海山大吟醸、田酒大吟醸、十四代大吟醸、飛露喜、磯自慢、

色とりどりのラベルがついた瓶が並んでいる。

全く、悲鳴が出るほどの揃いっぷりだった。

「これ、ネットオークションに出したら一体いくらになるんだろう」

私は半ば呆然として呟くと、早速持っていたトートバッグからマイグラスを取り出す。

十四代を取りだし、

多分ネットオークションでは、欲しい人は何万円も出すに違いないその瓶の栓を、

クシュッと何の迷いも無く開ける。

グラスに注いで鼻を近づけると、なんともいえない芳香が漂ってきて、

言葉の通り、私は舌なめずりをした。



「ニャオーーーーン」

ふと物凄い声がして、私は十四代の瓶を掴んだまま飛び上がった。

振り返ると、中型の犬ほどもある白い猫が台所の入り口に立って、

私を睨んでいた。

ビャクだ。


普通、アルビノと言われる色素が無く真っ白な生き物は、

遺伝子の都合で全て目が赤いものだ。

ビャクは、混じりっ毛なしに真っ白なアルビノの猫のはずなのに、

その目は青い。深い海の底のような色だ。

これ自体が、人間世界では説明出来ないことで、

それだけでも、ビャクを恐れる要因になる。

その上、私はこいつがおばあちゃんのシキだと知っている。

普通の猫どころか、普通の生き物ではないのだ。


「何よ、お腹空いてるの」

私が言うと、ビャクは尻尾をくねくねと動かし、

その辺の壁に体を擦り付けながら、私の方へと近づいて来た。


私は台所を見回した。

確か電話でおばあちゃんは、

キャットフードが食器棚の下の観音開きの戸の中にあると言っていた。

そして言葉どおり、観音開きの戸を開けると、

モンプチの小さい缶詰がたくさん積まれているのを見つける。

 やっぱ、これは猫なのか?

と、私は缶詰とビャクを見比べながら呟いて、

一つ手に取りプルトップを引いた。

すると途端、ツナの上品な匂いが漂って、

きっとこれは人間も食べれるに違いないと私は確信した。


でもビャクは、皿にあけたモンプチをフンと鼻であしらうと、

すぐ側に来て、私の顔を見上げた。

ずいぶん挑戦的な態度だ。

「何よ」

私が大人気なく、ビャクに言うと、

ビャクは、私がグラスに十四代を注いで置いたテーブルの上に飛び乗り、

私のマイグラスへ首を伸ばすと、

ベロベロと中の酒を舐め出した。

「ちょっと!」

私が怒鳴るのをよそ目に、びゃくは酒をなめ続ける。

その舌は、まるで血の色のように紅かった。

そしてグラスに注いだ酒が全部無くなると、

ビャクは私を一目振り返ってテーブルから優雅に飛び降り、

ふんといった感じで、ゆっくりと台所を出て行った。


「この化け猫めっ!!!!」

一瞬呆気に取られていた私は、我に戻ると叫んで、

ビャクの舐めたグラスを勢い良く拾い、流しでジャブジャブ洗った。

明日おばあちゃんが帰ってきたら、おばあちゃんに改めて言おうと、

心の中で決心する。

「おばあちゃんのシキのビャク、モンプチ食わなかったよ、

 でも、キャットフードに見向きもしないのに、

 酒は飲んだんですけど。どういうことなんでしょうか」

まあ、おばあちゃんは結局笑って、

そんなことはないよと、気のせいだろうと、

相手にしても、くれないに違いないだろうけれど。


でも、あのビャクの態度は一体、何だと言うのだろう。

きっと、私を甘く見ているに違いない。

心の中で自分に誓う。

普通の猫が、酒を飲むなんてありえるはずが無い。

やはり、あれは化け猫なのだ。

畜生、いつか鍋にして食ってやる。

だって、中国辺りでは猫を美味しく食べているらしい。

居酒屋のバイト仲間の中国人留学生から聞いた話だ。

年代物の化け猫なら、さぞかし美味いことだろう。

目の前の大事な酒を横取りされて怒り狂っていた私は、

その時真面目にそう思っていた。




さて、と気を取り直して洗ったグラスに酒を注ぐ。

そして今度は何者の邪魔も入らないように、

私は急いでグラスを口に押し付けて煽った。

トロリとした冷たい液体が、高い芳香とともに喉を滑り落ちる。

名酒の香りは私の口を満たし、私の喉から鼻の奥を抜け、

私の体を伝って、ゆっくりとおばあちゃんの家の広い台所に広がっていった。


「かーーーーっ、これだな!!!」

どこかで聞いたような台詞だけれど、まさしくそのままの気持ちを、

私は一人きりの台所で、空になったグラスを掲げて叫んだ。

キューッと体の芯に酒が火をつける。

その熱は根拠の無い楽しい気持ちを孕んで、

次々と私の中で繁殖し始めた。

酒の魔法。

酔いは、モノクロの世の中にフルカラーの色をつける。

誰が言ったのか、まさしくその通り。


十四代の四合瓶を一本一気に飲み干し、

冷蔵庫を開けて今度は田酒に手を伸ばす。

そして、バッグから持参してきたつまみの魚肉ソーセージを掴んで、

はたと私は手を止め、また冷蔵庫に飛びついた。

こんな巨大な冷蔵庫に、酒以外に物が詰まっていないはずが無い。

数ある引き出しや扉を次々と開けて、私はまたしても歓喜の叫び声を上げた。

いやー、あるわあるわ。

全国の土地の名産品が、ほとんど包装したままの状態でぎっしりと詰まっていた。

栃木の鮎の甘露煮、北海道のいくらのしょうゆ漬け、伊豆の干物、

青森のいちご煮、北海道のタラバガニ、小田原のかまぼこ、もうエトセトラ、エトセトラ。

どれも酒同様、信者さんたちの貢物に違いない。

私は持っていた魚肉ソーセージを放り出すと、

遠慮なく目に付いた土産品を次から次へと引っ張り出し、

酒池肉林気分で辺りに広げると、

一人の宴会を台所の床で思う存分楽しんだのだった。



酒は多分、四合瓶を三本は空にしたと思う。

土産品は、次の日そのままの状態で見つけられたら、

まるで泥棒に荒らされたかのように、食い散らかしてしまったと思う。

だけど、それだけだったら、

おばあちゃんは怒らなかっただろう。


何を思ったのか、やがて私は酔いに任せてすくりと立ち上がり、

台所から出たのだった。

やはり、私は何故この家が今夜は何事も無く静かなのかが、

どうしても納得が行かなかったのだ。

そして暗い廊下を歩いて、普段は絶対入ってはいけないといわれている、

おばあちゃんが信者さん達から物を預かって置いてある部屋の襖を開け、

私は迷わず入っていった。


部屋の明かりをつけると、雑多に並んでいるたくさんのいろいろなものに、

息を飲んだ。


着物、本、写真、絵、刀、ありとあらゆる物が部屋には並べられていた。

その中でも一番多いのは、人形だった。

藤人形から、ドレス着た西洋の人形から、こけしまで、

ありとあらゆる種類の人形がある。

これらが背負う因縁の全てに、おばあちゃんは対処しているのか。

私は改めて驚いた。


そして素面の時ならば、決してしないだろうに、

深い酔いにふらふらとしながらも、

私は大胆にもそれらの品物に近づいて行ったのだった。


酔っていながらも、まずい事をしているという意識はあった。

だけど、酔いは変に私に意地を張らせていた。

そうしてうろうろしているうちに、

一つの人形を見つけた。

見つけたというより、見つけられたという表現のほうが正しいだろう。

目が合った。





世間一般に、

何かを見て驚いて、

ぎゅっと、心臓を掴まれたという表現がある。


でも、私のこの場合は、

心臓どころか、

内臓全部をぎゅっと、掴まれたという感じだった。



体中の毛が逆立ち、

ぞーーーーーっと、寒気が私の全身を襲った。


素面だったらきっと、悲鳴を上げていたに違いない。

それほど、恐ろしいという感情が私を襲ったのだ。



それは、取り立てて美しい人形ではなかった。

のっぺりとしたうりざね顔に、低い鼻、大きい口、

日本髪に結っていた髪は、年月のせいかほつれて乱れていた。

どちらかというと、作りぞこ無いのような感じさえする古い人形だった。

色あせた桜の模様の描いてある、エンジ色の着物を着ている。

ただ五十センチはあろうかというその全身の大きさだけが目だっていて、

私の目に付いたのかと思った。

だけど、私は知っていた。


その人形は、生きていた。

そのガラス玉で出来ているはずの目は、

確かに、私をぎょろりと睨んだのだ。



これか!!!

と、私は酔っ払ってふらふらしていながらも悟った。

そして、この人形に私が見つかってしまった以上、

今夜は、家を訪れてからの今までのように何事も無く、

簡単に酔いつぶれて眠る事は出来ないとも、悟ったのだった。



情けないけれど、

一人でこの夜をやり過ごすことは出来ないと、私は思った。

それだけ、この人形が恐かったのだ。

理由は分からなかった。

だけど、あの目が合ったときの衝撃は、

今までに体験したことが無いものだったのだ。


丑三つ時と呼ばれる、死者が開放される時間になったら、

必ず、この人形に宿っている死霊が私を訪れて来るに違いない。

五見に助けを呼ぼうかと思いながら、

転がり出るように、私は慌ててその部屋を出ながら、

酔いのまわった鈍い頭で考えていた。


時間はその時、もう午前一時を回っていた。

明日は平日だから、高校生の五見は学校もある。

五見の家は確かに、

ここのおばあちゃんの家からタクシーで来ても、

20分かからないところなのだけれど、

実際、助けを呼ぶのは、どうかと思われた。


だけど、私の今の状況を理解してくれて、

なおかつ、私が叫ぶこの非常の緊急事態を理解してくれるのも、

彼女しかいないのだ。



携帯のボタンを押す手が震えていた。

どうか、五見がまだ起きていて、

そして携帯に出てくれますようにと、

私は生まれて初めて、

漠然としたこの世の神様なるものに、祈ったのだった。


もし、五見が寝てしまっているか、

もしくは、携帯に電源が入ってなかったとしたら、

私はどうしようかと、本当に途方にくれていた。


私は知っていたのだ。

もし、この家から逃げ出したとしても、

あの人形の宿り主からは逃げられないと言うことを。

一人暮らしのアパートに帰ったとしても、

あれは追いかけて来るだろう。

今までの死者たちがそうだったように。

それは、絶望的に私を恐怖に煽った。



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