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鬼録   作者: 小室仁
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人形師 2

バイトが終わり、電車を乗り継ぐ。

比較的今日は暇だったので、午後11時には電車に揺られていた。


おばあちゃんの家までの途中でコンビニに寄り、

いくつかの品物を購入する。

缶詰の焼き鳥と、酢烏賊、そして魚肉ソーセージ。

どれも、日本酒に合うつまみだ。

以前誰かにお土産に貰って以来、

気に入って使っている、晩酌用のマイグラスも、

一晩の着替えと一緒に持参してきた。

虹色の輝きを持つ美しいグラス。

確か、ベネチアングラスとかいう代物だと聞いた。

このグラスで、おばあちゃんの家にある名酒を飲んだなら、

どれだけ美味しいことだろう。





人間の気持ちなんて、

思ったよりもずっといい加減なものだ。

嬉しいと思う感情と嫌だと思う感情とは、

表裏一体なもので、ちょっとしたきっかけでどちらにも転ぶ。

私の場合は、普段手に入らない酒が飲めるというだけで、

怨霊や死霊がうようよしているはずのおばあちゃんの家に、

一人で泊まるというのを快く了承してしまった。

だって、

死んだ人が見えて恐い思いをしているというのはいつものことだし、

上手い酒を飲めるのなら、いつもしている我慢をしても、

何の文句があるだろう。

人間なんて、そんな、簡単なものなのだ。



でも、武者震いじゃないけど、やはり、

これから恐いものを見るかもしれないと、構えてしまう。

ただ、それを上回るものがあるというだけで、

恐いことにはなんら変わりが無いのだ。

けれど、私は飲んべらしく、

まだ見ぬ酒の魔力にすっかり屈していたので、

なるたけ楽しい事だけ(酒)を考えるようにして、

急ぎ足でおばあちゃんの家へ向かって歩いていた。





出かける時におばあちゃんが点けていったのか、

目的のおばあちゃんの家に近づくと、

やがて、こんもりとした木の陰からぼんやりと玄関の常夜灯が見えた。

道に続く古い石塀に沿って歩いていくと、門にたどり着く。

「楠木」と表札がかかっている。


見上げると、

立派な瓦の葺かれた屋根が、黒い夜空にうっすらとそびえ立っていた。

細い尖った月の光は、かすかにその輪郭を浮き立たせるだけで、

全体の姿を見ることは出来ないけれど、

私はこの家が古くて大きいのを知っている。


色々な人達が、この家を頼って訪れている。

それは百年とか二百年とかの年月を超え、今も変わらない。

昔はここを訪れた人たちを助ける事を、

国の公務の仕事として認めている頃があった。

信じられないことに、

不思議な出来事が国の政治を左右していた大昔の頃の話だ。






人はいつから、

目に見えないものが無いものだと決め付ける器量が備わったのだろう。

器量と言うべきではないか。

愚鈍さなのだと、言うべきかもしれない。


目に見えないものたちに、

恐れおののいている時代は良かった。

自分以外に恐れるものがあったから、

人は根本的に、謙虚でつつましくあった。


でも、今はどうだろう。

人が何かを無条件に恐れるものが無くなっている今、

何をしているか。


自分が一番だと錯覚しているから、

他の人を簡単に傷つける。

我慢が出来なくて何かをやっても、

自分だけは罰されないと思っているから、

異常な犯罪が起こる。


見えないものは今も変わらずそこにあるのに、

見えなくなってしまったことをいいことに、

人間だけが勘違いをして、変わってしまっている。

でも、何かをした見返りは、

結局、古い時代となんら変わらないのだ。


闇の者に魅入られたものは、とことんまで落ちて行く。

知らないということは、なんと愚かなことだろう。

この情報が溢れている時代に、

知ることが出来ないと言うのは、不幸としか言いようが無い。


人の首を切り殺したという、

幼い少女のニュースが盛んにテレビに流れる。

それが計画的なものであろうと、衝動的なものであろうと、

精神的にどうであろうと、結局、やったことには変わりが無い。

世間の人々は、何故、その少女がそんな恐ろしいことをしたのかを、

目に見える事だけで解決しようとしているから、

本当の原因にはたどり着くことがない。



先祖を敬って、目に見えないものを敬っていた人たちの多かった時代には、

こんな事件はなかった。

今の不信心がはびこっているからこそ、

こんな時代になって来ているのに、

なぜ、それに気がつかないのだろう。



死んだ人を恐れるということは、

生きている自分自身を恐れるということに繋がる。


何故なら、

本当に恐れるべきものは、他の何者でもない。

自分自身なのだ。

人はその心次第で、

仏にもなれるし、鬼にもなれる。

昔の人は、それをちゃんと知っていて恐れていた。

「こんな恐ろしいことをどうして」

ということを、人は心次第で簡単にやるものなのだ。

それが鬼になるということ。はるか昔からある言葉だ。

今の人たちは、それを忘れてしまっているから、

何を恐れていいのか分からないのだろう。



長い時間、人間は生きてきているのに、

過去に学んで進歩をするどころか、

過去を切り捨てて今だけを生きているせいで、

後退を続ける一途だ。

やはり、こうして考えると、

人間はいつか滅びる運命にあるに違いない。

過去にある英知を古臭い迷信だと一蹴している愚かさは、

見えないものを馬鹿にしている愚かさは、

それこそがとてつもなく愚かなことなのだから。





おばあちゃんの家の門を開け中に入る。

いつもどおり、

鍵は植え込みの中に小さな袋に入れて隠してあった。

鍵の冷たい感触を手のひらで温めながら、

私は玄関の前に立ち、大きく息をつく。

そして体全部の神経を集中して、何ものかの気配がしないか探ってみた。

もしかしたら、私はやはり何かを見つけたら、

即引き返して帰るつもりだったのかもしれない。

なんだかんだ言って、

恐いものは恐いのだ。


だけど、今日に限って、

まるでこの家は本当に誰もいない留守宅のように、

静まりかえっていた。

私は首をかしげて、辺りを見回してみた。

本当に何の気配も無い。

こんな事、今までで初めての事だ。


少し戸惑いながら、

玄関の戸に鍵を差し込む。

鍵をゆっくりとまわし、

恐る恐る戸を引き開けても、

結局、死んだ人のうめき声やささやきも、

得体の知れない影も見えず、何の気配もしないのだった。



もしかして、今預かっているもの全部除霊済み?

などと、いぶかしく思いながらも、

私はおばあちゃんの家に入っていったのだった。






何事もそうだろうけれど、

たくさんのものを統治するには、

その中で一番力のあるものを押さえることが一番だ。

例えるなら、

やくざの組長と仲よくしていたなら、

下っ端どもは手を出してこないと言う感じか。


おばあちゃんは、その時家に預かっているものの中で、

一番因縁深いものを上手く収めていた。

だから、その時のその家は静まり返っていたのだ。

逆に言えば、他の死霊も一目置いて静まり返ってしまうような、

かなりの大物の因縁物があったということなのだけれど。




そのままにしておけば、何事も無く、

私は留守番の役目を遂げていただろう。




ああ、酒の力は恐いものだ。



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