第5話:推しとの逃避行(?)は、心臓への負荷が強すぎて寿命が縮みます
「……はぁ、はぁ……っ。ここまで来れば、いいだろう」
王宮の喧騒を離れ、城下町の外れにある静かな並木道。
アデル様は、私の手首を掴んでいた手をパッと離した。その指先が名残惜しそうに微かに震えたのを、私は網膜に焼き付けた。
「……アデル様。これって、いわゆる『駆け落ち』ってやつですか?」
「違う! 断じて違う! ……お前が、殿下にあんな不敬な態度を取るから、場を収めるために連れ出しただけだ」
「不敬だなんて心外です。私はただ、殿下の輝きがアデル様の10%にも満たないという真実を述べたまでで——」
「その口を閉じろと言っている! ……ったく、お前は本当に……」
アデル様は苛立たしく髪をかき上げた。
その仕草だけで、周囲の空気が「色気」という名のバフで満たされる。通りがかった街の女性たちが、アデル様の美貌に目を奪われて足を止めているのがわかる。
(わかる……わかるわ。あのアデル様の流し目、国宝に指定すべきよね。わかるけど、見すぎじゃないかしら皆さん? 私の推しよ?)
「……何をニヤニヤしている。不気味だぞ」
「いえ、アデル様の美しさを再確認していただけです。それより、私をお連れ出しになったということは、この後は『街角デート』ということでよろしいですね?」
「デートではない。……お前を落ち着かせるための休憩だ」
そう言ってアデル様が指し示したのは、こぢんまりとしたテラス席のあるカフェだった。
王公貴族が行くような豪華な店ではない。けれど、清潔感があって、甘い焼き菓子の香りが漂ってくる素敵な場所だ。
「……好きなものを頼め。公爵家の令嬢には口に合わんかもしれんが」
アデル様はぶっきらぼうにメニューを差し出した。
本来のロゼリアなら「こんな庶民の店!」と皿を投げ飛ばすところだが、今の私は違う。
「アデル様が選んでくださったお店なら、泥水だって最高級のワインに変わります」
「お前、本当に一度神殿で浄化してもらった方がいいぞ……。店主、ここの名物のハニーレモンタルトと紅茶を二つ」
(……待って。今、サラッと頼んだわね?)
(このハニーレモンタルト、ゲームの設定資料集で『アデルが唯一、幼い頃に食べた思い出の味に似ていると言って密かに通う店のメニュー』として紹介されてた激レア情報じゃないの!!)
推しが自分の「聖地」に私を連れてきてくれた。
その事実だけで、私の語彙力は完全に消滅した。
「……ロゼリア? 急に黙ってどうした。やはり、気に入らなかったか?」
「……う、ううっ……」
「おい、泣くな! 悪かった、すぐに別の店を——」
「……ううっ、尊い……。聖地巡礼がこんなに早く叶うなんて……! アデル様、大好きです……結婚しましょう……」
「結婚!? お前、話題の飛び方が異常だぞ!!」
アデル様は顔を真っ赤にして椅子を鳴らして立ち上がったが、運ばれてきたタルトの香りに毒気を抜かれたのか、力なく座り直した。
「……ロゼリア。お前、本当に変わったな」
少しだけ冷めた紅茶を口に含み、アデル様がポツリと漏らした。
その瞳には、いつもの冷徹な光ではなく、戸惑いと……ほんの少しの「熱」が混じっている。
「以前のお前は、常に誰かを蔑み、自分の地位だけを誇っていた。……だが、今の貴様は。……何を考えているのか、さっぱりわからん」
「簡単ですよ。私は、私を愛さない人(王太子)を追いかけるのをやめて、私が心から愛する人を幸せにしたいと思っただけです」
「……っ」
アデル様が息を呑む。
夕暮れ時の光が、彼の白い肌をオレンジ色に染めていく。……いや、染まっているのは夕日のせいだけではないはずだ。
「……勝手にしろ。私は、お前のような騒がしい女は嫌いだ」
「はい。知っています。アデル様は『嫌いだ』って言いながら、相手が困っていると放っておけない優しい人だってことも」
「……黙れ」
アデル様は視線を逸らしたが、その指先が私の皿にあるタルトを、一口サイズに切り分けてくれた。
ツンデレ! 本物のツンデレによる「世話焼き」が発生した!
(ああ、もう。国外追放でも断頭台でも何でも来なさいよ。私はこの人をデレさせるまで、絶対にこの世界を遊び尽くしてやるんだから!)
その時、店内に一人の少女が入ってきた。
……ピンク色の髪。おどおどとした態度。
(え、ヒロインのマリア!? なんでここに!?)
ゲームの強制力か、それとも運命の悪戯か。
「黒王子」と「悪役令嬢」の密会(?)現場に、ヒロインが乱入するという最悪の、いや、最高の修羅場が幕を開けようとしていた。




