第2話:【悲報】ヒロインを助けたら、推しの黒王子に壁ドンされて心臓がもちません
「お嬢様、本当に行くのですか……?」
心配そうに私を見つめるメイドのアン。
鏡の中の私は、夜会のためのエメラルドグリーンのドレスに身を包んでいた。
ロゼリアの美貌は、どんな豪華な装飾にも負けない。まさに「悪役令嬢」の風格だ。
「ええ、行くわ。王太子殿下からの招待を断ったら、それこそ不敬罪で断頭台が近づくもの」
……というのは建前で。
私の目的はただ一つ。
(公式イベント『月下の夜会』! 攻略対象たちがヒロインに落ちる運命の夜! つまり、最高のアデル様を拝めるチャンス!!)
「お前、さっきから鼻息が荒いぞ」
背後から聞こえた冷ややかな声に、私は弾かれたように振り返った。
そこにいたのは、漆黒の夜会服に身を包んだアデル様。
第一ボタンまで完璧に締められたその姿は、歩く彫刻、あるいは国宝。
「ア……アデル様……! その、黒のネクタイ、最高にエロ……いえ、お似合いです! 存在がファンタジー!」
「……黙れと言ったはずだ。行くぞ」
アデル様は露骨に嫌そうな顔をしたが、その耳の端がまたしても、ほんのり赤いのを私は見逃さなかった。
チョロい。推しがチョロすぎて尊い。
夜会会場は、金色のシャンデリアの光で溢れていた。
会場に入るなり、周囲の貴族たちがヒソヒソと毒を吐く。
「見ろよ、ヴィルヘルム家の悪女だ……」
「今日も誰かを陥れるつもりかしら」
(あー、言われてる言われてる。前世ならメンタル死んでたけど、今の私には『推しが同じ空気を吸っている』という最強のバフがかかってるから無敵なんだな、これが)
私はアデル様の斜め後ろ45度(推しを一番美しく拝める角度)をキープしつつ、会場を見渡した。
すると、会場の隅で「その時」が訪れた。
「ああっ……!」
短い悲鳴。
ゲームのヒロイン、マリアが不注意な令嬢にぶつかられ、その淡いピンク色のドレスに真っ赤なワインがぶちまけられたのだ。
周囲の令嬢たちは、クスクスと嘲笑っている。
「あら、平民上がりの聖女様は、歩き方もご存じないの?」
本来なら、ここでロゼリアが登場し、「汚らわしいわね、さっさと消えなさい」と追い打ちをかけるはずだった。
けれど、今の私は——。
「ちょっと、そこのあなた」
私は、凍りつく周囲を割ってマリアの前に立った。
マリアが怯えたように肩を震わせる。
「……っ、ロゼリア様……ご、ごめんなさい……!」
「謝る必要ないわ。これ、使いなさい」
私は、魔法袋から取り出した最高級の魔法絹のハンカチを、マリアの手に押し付けた。
「これは汚れを吸い取る魔力付与済みよ。ドレスがダメになる前に、裏の控室へ行きなさい。……アン、彼女を案内して」
「えっ、あ、ありがとうございます……!」
目を丸くするマリア。静まり返る会場。
私はフンと鼻を鳴らし、何食わぬ顔でその場を去った。
(よし! 断罪フラグへし折った! ついでにヒロインの可愛さも間近で拝めたし、実質無料チケット当選レベルの神イベだったわ!)
満足感に浸りながら、涼もうとテラスへ向かう。
しかし、その途中の暗い廊下で。
ガッ、と。
強い力で腕を引かれ、冷たい石壁に押し付けられた。
「……アデル、様?」
目の前には、怒りに燃える藍色の瞳。
いわゆる**「壁ドン」**の体勢だ。近い。顔が近すぎて、推しの長い睫毛の本数まで数えられそう。
「お前、何のつもりだ」
「……何がでしょうか」
「白々しい。あの女を助けるなど、お前らしくない。何か裏があるのか。……それとも、毒でも仕込んだか?」
冷徹な声。けれど、その瞳は困惑に揺れている。
アデル様は、私の両肩を掴んで逃さないように力を込めた。
「本当のことを言え。お前は一体、何を企んでいる」
(……いや、企んでるとかじゃなくて)
(至近距離のアデル様が美しすぎて、脳内の処理能力がパンクしそうなんですけど!)
私は、震える声を必死に抑えて、彼をまっすぐ見つめ返した。
「企みなんてありません。ただ、可愛い子が困っていたから助けただけです。……それより、アデル様」
「何だ」
「今、私を独り占めするために、わざわざこんな人気の無い場所に連れ込んだんですか? ……それって、めちゃくちゃ『攻め』てて最高です。ありがとうございます」
「…………っ!?」
アデル様が、弾かれたように手を離した。
その顔は、今度こそ耳まで真っ赤……どころか、ゆでダコのように赤くなっている。
「お、お前……! 本当に、頭がどうかしているぞ!」
「ええ、アデル様のせいで狂ってます。自覚あります」
「黙れ! ……ついてくるな!」
背を向けて早歩きで去っていくアデル様。
……あ。
今、去り際に一瞬だけ、口元を片手で押さえてニヤ……じゃなくて、戸惑ったように笑わなかった?
(今の、見た!? スクショ! 私の脳内メモリに今すぐ保存してええええ!!)
断罪回避も大事だけど、この攻略不可キャラ(推し)をデレさせる方が、百倍人生楽しいかもしれない。
私は一人、暗い廊下で「尊死」しかけるのを必死に堪えていた。




