第2話:餅ライフの始まり
「もっと腰を入れるのです、陛下!」
「ぬぐぐ……こ、こうか!?」
「そうです! 呼吸を合わせて……ハッ! そこで突く!」
「ふんぬっ! はぁ、はぁ……すごい弾力だ、吸い付いて離れん……!」
深夜の離宮。
私たち二人の荒い息遣いが、静寂に包まれた部屋に響いていた。
額には汗が滲み、私の手も陛下の手もベトベトだ。
バンッ!!
「――そこまでです!」
突然、扉が乱暴に開かれた。
現れたのは、氷のような冷たい微笑みを浮かべた王妃様だった。背後には武装した侍女たちが控えている。
「へ、陛下? 夜な夜な離宮へ通われていると思えば……まさか召喚されたばかりのまだ子供と言ってもいい娘と、そのような破廉恥な……」
王妃様の目が据わっている。扇子を持つ手が震えている。
あ、これ殺されるやつだ。
私は慌てて弁明しようと手を挙げた。
「ち、違います王妃様! 私たちはただ――」
「ええ、見ての通りです」
王妃様は部屋の中を見渡し、数秒沈黙した後、呆れ果てた声で言った。
「……パン屋の朝ですか?」
部屋の中には、白い粉(餅とり粉)が舞い散り、臼と杵が鎮座していた。
そう、私たちは真剣に餅をついていただけなのだ。
「おお、王妃よ! 誤解だ、余はただ、究極のコシを求めてだな……」
「…浮気では…ない…?」
王様と私は、全生命力を注ぎ込み必死にコクコクと高速で頷いた。
「はぁ……。呆れました。ですが、それほど陛下を夢中にさせるもの、気にはなりますね」
王妃様は優雅に歩み寄ると、私が丸めたばかりの『いちご大福』を手に取った。
「ひとつ頂いてもよろしくて?真っ白な肌に、紅を差したような果実……見た目は悪くありませんね」
パクッ。
王妃様が上品に一口食べた瞬間、その目がカッと見開かれた。
「――っ!?」
「ど、どうだ王妃!?」
「……柔らかい求肥の優しさに包まれた、こしあんの甘み。それを切り裂くように溢れ出す、苺の酸味と果汁……! 甘い、酸っぱい、甘い……この無限の円舞曲はなんですの!?」
王妃様は頬を赤らめ、うっとりと咀嚼している。
よかった、気に入ってもらえたみたい。
しかし、大福を飲み込んだ後、王妃様はふぅ、と憂鬱そうなため息をついた。
「美味しい……あまりに美味しいけれど、罪深い味だわ。最近、肌の乾燥が酷くて悩んでいるのに、こんな糖分を摂取したら……体型すらも……」
王妃様が自身の頬に手を当てる。確かに、少しカサついているように見えた。
私を神官長から庇ってくれた、優しい王妃様。
その王妃様が悩んでいる。
私にできることはないだろうか。食べる以外で、お餅の可能性を……。
(お餅……もち米……あ、そうだ!)
私の実家は和菓子屋だ。祖母がよく言っていた言葉を思い出す。
『もち米や米ぬかには、肌をスベスベにする成分が含まれているんだよ』
「王妃様! お待ちください!」
私はスキルを発動させた。今度は食べるためのお餅ではない。
水分量を限界まで高め、米ぬか成分を濃縮した、特製のペースト状のお餅だ。
「これを!」
「……なんですの? このドロドロしたものは」
「特製『もちもちフェイスパック』です! 食べるのではなく、肌に塗ってください!」
半信半疑の王妃様だったが、私の必死な訴えに折れ、侍女たちと共に試してくれることになった。
数分後。
「……嘘でしょう?」
パックを洗い流した王妃様が、手鏡を見て絶句した。
そこには、赤ちゃんのほっぺのように白く、指で押せば押し返してくるような弾力肌があった。
「もっちもち……ですわ!」
「きゃあ! 私の肌も吸いつくみたい!」
侍女たちも大騒ぎだ。
王妃様は私の手を取り、キラキラと目を輝かせた。
「素晴らしいわ! これならいくら使ってもカロリーゼロね!」
そう言って上機嫌な王妃様だったが、次の瞬間、私は見てしまった。
パックの施術中、こっそりと盆に残っていた大福をつまみ、口へ運んでいるのを。
「あ……」
「んぐっ、んむ……あ、あら、これはテイスティングよ? 肌に合うかどうかの、ね?」
口の端に白い粉をつけた王妃様は、悪戯っぽくウインクした。
私は思わず吹き出してしまった。
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その翌日の昼下がり。
王城と離宮を隔てる高い鉄柵の向こうで、小さな騒動が起きていた。
「通してよ! ちょっと友達に会うだけじゃん!」
リナは神殿での厳しい訓練の合間を縫って、離宮へ向かおうとしていた。
しかし、その前に立ちはだかったのは、神官長の部下たちだった。
「なりません。【聖光】の聖女候補ともあろうお方が、あのような落ちこぼれと関わるなど」
「はあ? 落ちこぼれとか失礼すぎでしょ。ユイはあーしの友達なの!」
「貴女の品位に関わります。さあ、戻って瞑想の続きを」
頑として通そうとしない神官たち。
リナは悔しそうに拳を握りしめた。力ずくで突破することはできるかもしれないが、そんなことをすればユイの立場が余計に悪くなる。
リナは制服のポケットをごそごそと探ると、巡回していた見習い騎士のレオを呼び止めた。
「ねえ、あんた! ここ警備してるよね?」
「え、あ、はい。レオと言いますが……」
「これ、ユイに渡して! 絶対だよ! 着服したら呪うからね!」
リナが押し付けたのは、一袋のグミだった。召喚された時にポケットに入っていた、日本のお菓子だ。
「リナ様、何を……」
「うるさい! じゃあね!」
リナは神官たちに連れ戻される直前、離宮の方を振り返り、一度だけ大きく手を振った。
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「……これを、リナちゃんが?」
離宮の庭で、私はレオくんからその袋を受け取った。
コンビニでよく売っている、紫色のパッケージのグレープグミ。
小学校の頃、放課後にこっそり駄菓子屋に寄って、リナちゃんとよく半分こしたお菓子だ。
「『絶対渡せ、着服したら呪う』って言ってたぜ。……すげー剣幕だった」
レオくんが苦笑する。
私は袋を抱きしめた。人工的なブドウの香りが、微かに鼻をくすぐる。
パッケージの袋は少し温かかった。リナちゃんがずっと持っていてくれたぬくもりだ。
「ありがとう……」
涙が滲んで、視界が歪む。
中学生になってから、どんどんオシャレに目覚めて、趣味も興味も合わなくなって疎遠に、そして遠い存在になったと思ってたリナちゃん。
でも、リナちゃんの大事なところは、何も変わっていない。
【聖光】の勇者になっても、あの華やかな世界の中心にいても、地味な私のことを友達だと思ってくれている。
一粒取り出して口に入れると、懐かしい甘酸っぱさが広がった。
それは、今の私にとってどんな高級な料理よりも力になる味だった。
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一方、その頃。人間界とは異なる次元にある『魔界』――魔王城。
空は毒々しい紫色に染まり、大地は乾ききっている。
「……また、枯れたか」
魔王ヴェルは、城のバルコニーから眼下の農地を見下ろし、沈痛な面持ちで呟いた。
黒いゴツゴツした鎧に身を包んでいるが、その素顔は意外にも理知的で、憂いを帯びた青年のものだった。
「魔素溜まりの影響ですな。作物が育つ前に、根が腐ってしまいます」
側近の老魔族が報告する。
魔族は空気中の魔素を取り込まなければ生きていけない。しかし、魔素が濃すぎる土地では、通常の作物は育たない。いわゆる『枯れた大地』だ。
食料を得るためには、魔素が薄く、作物が豊富に実る人間の土地へ行くしかない。
だが、人間たちは魔族を「化け物」と呼び、攻撃してくる。さらに悪いことに、魔界の土壌から採れる『魔石』を目当てに、人間側から侵攻してくることも珍しくない。
「魔王様、やはり人間どもを滅ぼし、あの緑の大地を我らがものにするしかありませぬ!」
「そうだ! 我々の家族が飢えているのですぞ!」
脳筋の将軍たちが鼻息荒く叫ぶ。
ヴェルは眉間を押さえた。
「無益な殺生は好まん。……あいつも、人間だしな」
ヴェルの脳裏に、ふくよかな人間の男の顔が浮かんだ。
かつて、種族の壁を越えて語り合った、あの男。
(だが……あいつは裏切り者だ。結局、人間は魔族を受け入れない)
王との思い出は温かいが、その結末は苦い棘となってヴェルの胸に刺さっている。
理性と憎しみ。民を救いたいという責任感と、人間への不信感。
魔王の心は、二つの感情の間で揺れ動いていた。
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離宮のサロンは、今日も甘い香りに包まれていた。
いつの間にか、王様と王妃様だけでなく、幼い王子様と王女様まで遊びに来ていたのだ。
「おいちー!」
「もちもちしてるー!」
子供たちがきなこ餅を頬張る横で、王様は枝豆を潰して作った『ずんだ餅』を食べている。
「うむ……この豆の香りと砂糖の甘み。素朴だが、実に味わい深い」
王様は窓の外を見つめ、ぽつりと漏らした。
「……あいつにも、食わせてやりたかったな」
「陛下。以前お聞きした、種族を超えたご友人のことですね」
王妃様が優しく相槌を打つ。
王様は寂しげに頷いた。
「ああ。立場も種族も違ったが、食の好みだけは合ったのだ。もしあやつとこれを食えたなら、どんなに楽しかったか」
その横顔を見て、私はふとリナちゃんのことを思った。
種族を超えた友。
それはまるで、地味な私と、キラキラしたリナちゃんのようだ。
住む世界が違っても、美味しいものを食べて笑い合える関係。王様も、そんな友達がいたんだ。
「んぐっ!?」
感傷に浸っていたら、突然王様が白目を剥いた。
「へ、陛下!?」
「も、もちが……喉に……!」
「お水! レオくん、お水!!」
ドタバタと背中をさすり、なんとか事なきを得たが、離宮はてんやわんやの大騒ぎとなった。
――こうして、王族が頻繁に離宮へ入り浸っているという事実は、隠し通せるはずもなく。
やがて「北の離宮で、異界の娘が王族をたぶらかしている」という噂となって、城内に広まることになった。
勇者たちの宿舎。
汗だくになって剣の素振りをしていたカイトが、その噂を聞きつけて舌打ちをした。
「チッ。あいつ、媚び売ってんじゃねーよ」
「本当だよねー。私たちが必死に訓練してる間に、楽してるとかムカつく」
「リナはあんなの庇ってたけどさ、やっぱ足手まといどころか、邪魔じゃん」
クラスメイトたちの間に、私へのドス黒い嫉妬と敵意が芽生え始めていた。
それを知らぬまま、私は明日の餅の仕込みをしていた。




