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『光秀異聞』 円明寺遺譚  作者: 双鶴


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9/9

宗翔は、現世に帰還した。

灯明の揺れる不動堂に立ち、静かに息を吐いた。

あの霧の山、あの声の響き、あの火の匂い――すべてが遠のいていく。

だが、手の中にはまだ、あのとき渡されたものがあった。

書付と脇差。

それは、夢の名残ではなかった。

確かに、そこに在った。

重さも、冷たさも、あの瞬間のままだった。


また、あわただしい世の中に戻った。

境内には参拝客が行き交い、鐘の音が響き、季節は容赦なく巡っていった。

朝には掃き清め、昼には経を唱え、夕には灯を点す。

宗翔もまた、その流れに身を置いた。

だが、心の奥には、あの山の静けさが残っていた。

霧の中で聞いた声、火の中で見た影、それらが時折、風に混じって蘇った。


変わったことと言えば、宗翔は寺の敷地内に小さなお堂を建てた。

本堂の裏手、竹林の縁に、ひっそりと。

その堂に、光秀を祀った。

誰に許されたわけでもなく、誰に問われたわけでもなかった。

ただ、そうするべきだと、宗翔は思った。


堂の奥には、書付と脇差が供えられた。

それは、光秀から手渡されたものだった。

墨は薄れ、刃は錆びつき始めていたが、宗翔は手を触れなかった。

語ることもなかった。

誰も信じてはくれないだろう。

時空を越えた旅路など、話せば笑われるか、疑われるか、あるいは忘れられる。

そして、光秀の真意が歪められる。

それだけは、避けたかった。


だが、光秀の思いを繋ぐために、宗翔は場を残した。

語らずとも、供えることで、後の世に託すことはできる。

お堂の周りには、桔梗が植えられた。

春には紫が揺れ、夏には白が咲いた。

風が吹けば、花が揺れ、香りが漂った。

誰もがその花を見て、何かを思った。

それが何であるかは、人それぞれだった。

だが、そこに立ち止まる者は、皆、静かだった。


宗翔の法話には、光秀が登場するようになった。

誠を説くとき、彼の名が自然と口にのぼった。

戦においても、日常においても、誠を貫いた者として。

だが、書付と脇差のことは、最後まで語らなかった。

それは、語るべきことではなかった。

語らぬことで守れるものがある。

宗翔は、そう信じていた。


ある朝、宗翔は九字護身法を唱えながら、静かに息を引き取った。

誰もその瞬間を見ていなかった。

だが、風が止まり、灯が揺れた。

桔梗の花が、わずかに震えた。

それは、別れの合図のようでもあり、始まりの兆しのようでもあった。


長い時を経て、やがて円明寺は桔梗寺と呼ばれるようになった。

紫の花が、寺の名を変えた。

明智光秀を慕う者たちが訪れ、手を合わせるようになった。


あの書付と脇差が、のちに発見された。

堂の奥、脇差が書付を護っているようだった。

それによって、光秀を見直す気運が高まった。

彼の選択が、彼の言葉が、再び人々の目に触れることとなった。

宗翔の託した光秀の思いが、ようやく繋がった。


だが、それは――また別の話である。


臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前

臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前

臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前




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