在
秀吉軍が迫っていた。
和睦は成っていた。だが、兵は解かれ、矛は収められていた。
戦う術はなかった。
光秀は、戦を選ばなかった。
誰も、これ以上の犠牲を望んでいなかった。
明智軍は、仮陣屋としていた豪農の屋敷に金子を渡し、深く頭を下げた。
「戦に巻き込んでしまった。すまぬ」
光秀はそう言い、宗翔はその場に立ち会った。
屋敷の奥には、火薬が運び込まれていた。
爆薬は、宗翔の手配によるものだった。
それは、逃げるためではなく、終わらせるための炎だった。
誰かを討つためではなく、誰かを守るための仕掛けだった。
「辞世の句だ。もし生き延びたら、余の意志を繋いでくれ」
光秀は、書付と脇差を宗翔に手渡した。
その筆跡は、震えていなかった。
墨は濃く、言葉は短く、意志は深かった。
宗翔は、何も言わず、ただ受け取った。
それが、今生の別れだった。
屋敷の中では、火薬の匂いが漂っていた。
兵たちは静かに荷をまとめ、道を空けた。
光秀は、最後まで背筋を伸ばしていた。
その姿は、敗者ではなかった。
ただ、終わりを受け入れた者だった。
*
夕刻、秀吉軍が屋敷を包囲した。
油断していた。
全て終わったと思っていた。
だが、屋敷の奥で火が走り、爆薬が炸裂した。
炎が上がり、煙が立ち、馬が暴れ、兵が崩れた。
一矢は報いられた。
だが、光秀は逃げ延びることができなかった。
斎藤利三は、坂本へ向かう列の中でその報を聞いた。
秀満は、槍を握りしめて空を見上げた。
宗翔は、山の裏手で、ただ静かに立っていた。
風が吹いていた。
その風は、何かを運んでいた。
声ではなく、音でもなく、ただ、気配のようなものだった。
*
その夜、宗翔は円明寺のあるあたりへ戻っていた。
霧は晴れ、空は静かだった。
足元に、桔梗が咲いていた。
誰が植えたのかは分からない。
だが、そこに光秀の気配があった。
宗翔は、経を唱えた。
一心不乱に。
声が風に溶け、時が揺れた。
手には、書付と脇差があった。
それは、確かに光秀から渡されたものだった。
「南無不動明王……」
その声が、山に染み込み、空に溶けたとき――
ふと目を開けると、灯明が揺れていた。
円明寺の不動堂。
現世だった。
宗翔は、静かに息を吐いた。
外では、風が吹いていた。
桔梗の花が、わずかに揺れていた。
その揺れは、何かを告げるものではなかった。
ただ、そこに在るものだった。




