第八話:王の使者
レジスタンスの隠れ里は、王国が二つに割れたという衝撃的な報せによって、激しい議論の渦に叩き込まれていた。
「絶好の機会だ!」
地図を広げたテーブルを拳で叩き、エラが鋭い声で言った。
「王も、反乱を起こした領主どもも、どっちもあたしたちの敵だった奴らだ。潰し合わせればいい。その隙に、あたしたちは王都の民衆を味方につけて、本当の解放を成し遂げるんだ!」
彼女の言葉には、力があった。圧政に苦しめられてきた仲間たちの多くが、その過激な意見に強く頷く。
「しかし、内乱が長引けば、最も苦しむのは名もなき民だ」
アルバンが、静かだが重い声で反論した。
「それに、反乱軍を率いているのは、先王の時代に私腹を肥やした旧体制の貴族たち。彼らが勝てば、この国は腐敗した元の木阿弥に戻るだけ。それは、我々が目指す未来ではあるまい」
「じゃあ、どうしろって言うんだ! 王様につくのか?」
エラの問いに、アルバンも答えに窮する。かつて自分たちを虫ケラのように扱った圧政者と手を組むなど、感情的に受け入れられるものではなかった。
議論が平行線を辿る中、リアムは一人、思考を巡らせていた。エラの言う通り、これは革命の好機かもしれない。アルバンの言う通り、民の苦しみを考えれば、戦乱は早期に終結させるべきだ。
だが、どちらの道も、多くの血が流れることに変わりはない。
彼は、地下牢で対峙したアレクシオスの、あの苦悩に満ちた瞳を思い出していた。彼は本当に、ただの圧政者なのか。それとも、過ちを認め、変わろうとしているのか。もし後者であるならば…。
◇
その頃、王城のアレクシオスは、玉座で次々と届けられる凶報に、唇を噛んでいた。
「東部辺境伯、城を放棄し反乱軍に合流!」
「南部からの食糧輸送路、反乱軍によって寸断さる!」
「王都警備隊、宰相派の粛清による混乱いまだ収まらず、士気上がらず!」
オルクスを排除した代償は、あまりにも大きかった。彼の張り巡らせた支配網は、腐敗してはいたが、同時に国家の血管でもあったのだ。それを自ら引きちぎった今、王国軍は手足をもがれた巨人のように、力を失っていた。
騎士団長バルトムは、自らが出陣し、反乱軍の中核を叩くと息巻いているが、彼が王都を離れれば、このがら空きの玉座を守る者がいなくなる。まさに、内憂外患。打つ手は、ほとんど残されていなかった。
絶望的な状況の中、アレクシオスは一つの賭けに出ることを決意する。
脳裏に浮かんだのは、自分が逃した反逆者の顔だった。名もなき本屋、リアム。彼の言葉は、民衆の沈黙を破り、歌を歌わせた。彼らは、今の王都で唯一、民衆の心を動かせる力を持っているかもしれない。
敵に助けを乞う。それは王として、最大の屈辱だった。だが、彼の理想が崩れ去った今、ちっぽけなプライドに意味はなかった。国を、民を、腐敗した亡霊たちの手に渡さないためには、それしか道はなかった。
「……誰か、ある」
アレクシオスは、宰相を失った今、数少ない信頼できる老文官を呼び寄せた。
「お前に、王の使者として、リアムという男の元へ行ってもらう」
◇
レジスタンスの隠れ里に、一本の白い旗が近づいてきた時、見張りの若者たちは色めき立った。旗に染め抜かれているのは、紛れもない王家の紋章。エラは即座に弓を構えさせ、仲間たちに戦闘態勢をとらせた。
「何の用だい、王様の犬!」
森の入り口で、エラが鋭く問いかける。
馬から降りたのは、立派な髭を蓄えた老文官だった。彼はたった一人で、武器も持たず、両手を上げて敵意のないことを示す。
「私は、国王アレクシオス陛下の使者として参った。反乱の首謀者、リアム殿に、陛下からの親書をお渡ししたい。どうか、お聞き届け願いたい」
「リアムに会わせろだと?」
エラは弓をギリギリと引き絞った。
「寝言は寝て言え。ここでお前の首を刎ねて、王への返事にしてやってもいいんだぞ」
里の仲間たちも、殺気立っている。だが、その殺気を背後から制する声があった。
「……いいだろう。話を聞こう」
リアムだった。彼はエラの隣に立ち、まっすぐに使者を見据えた。
「ただし、武器を捨て、一人でここまで来てもらう」
エラの激しい反対を押し切り、リアムは使者を会議の小屋へと招き入れた。中では、リアムとエラ、そしてアルバンが、固い表情で使者と対面した。
使者は、アレクシオスから預かった羊皮紙の巻物を、恭しくリアムに差し出した。
巻物を解き、そこに記された力強い、しかしどこか迷いの感じられる筆跡を、リアムは静かに目で追った。それは、同盟の申し出だった。
『貴殿らの主張の一部に、聞くべきものがあったことを、今は認める。
この国は今、分裂の危機にある。先王の時代よりこの国を蝕んできた腐敗の化身たちが、再び全てを奪い返そうとしている。これは、貴殿らが望む未来でもないはずだ。
もし、貴殿らが真にこの国と民を思う心を持つならば、共に反乱軍を討ち、戦いの後に、新しい国の形について話し合う用意がある』
それは命令でも、降伏勧告でもない。驚くべきことに、対等な組織の長として、リアムに宛てられた「交渉」の申し出だった。
「罠だ、リアム!」
横から覗き込んでいたエラが、吐き捨てるように言った。
「追い詰められた王の、ただの時間稼ぎに決まってる! こいつらが勝てば、あたしたちは用済みだ!」
使者は、その言葉を否定しなかった。ただ、静かにリアムの答えを待っている。
リアムは、親書から顔を上げた。
「使者殿。仮に我々が協力するとして、我々は何を信じればいい? 王の言葉だけか? 我々の仲間……フィンや、理由なく捕らえられた人々はどうなる。我々を苦しめた圧政の象徴、あの密告制度はどうなるのだ」
使者は、リアムの目をまっすぐに見つめ返した。
「陛下は、『信頼の証として』と、私に言伝を託されました。もし、貴殿らが共に戦うことをお決めになるならば、その日のうちに、王都の牢にいる全ての政治犯は即時解放され、密告を奨励する法は撤廃される、と。全ては、戦いの前に実行すると、陛下は約束されました」
具体的な譲歩案。それは、ただの口約束ではなかった。エラも、その言葉にはぐっと詰まった。
リアムは、瞳を閉じた。脳裏に浮かぶのは、アレクシオスの孤独な姿と、腐敗した貴族たちが笑う、先王の時代の暗い記憶。どちらが、よりマシか。いや、そうではない。どちらの未来が、より多くの民を救えるか。
やがて、彼は目を開いた。その瞳には、もう迷いはなかった。
「……分かった。王に伝えよ」
リアムの声が、静かな小屋に響いた。
「我々は、反乱軍と戦う。ただし、それはあなたに『従う』のではない。この国の民のために、旧時代の亡霊を葬り去るためだ。そして戦いが終わった時、我々はあなたと、対等な立場で、新しい国の未来を語り合うことになるだろう、と」
使者は、その言葉を聞くと、深く、深く頭を下げた。
かつての敵と手を組む。それは、最も困難で、仲間から裏切り者と罵られるかもしれない道だった。しかし、リアムはそれを選んだ。
数日後、王都へ向けて進軍を開始する一団があった。彼らはもはや、地下に潜む「鼠」ではない。王国の未来を左右する第三の軍隊として、歴史の表舞台に、その姿を現したのだ。




