表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/9

僕たちは比喩で自分を隠す。

 その日も、文芸部の部室には僕と綾瀬だけがいた。

 当たり前のことだ。部員は二人だけなのだから。


 窓の外は雨。規則正しい滴の音が、沈黙の代わりに部屋を満たしていた。


 僕はノートを開いたが、白紙が睨み返してくるようで、何も書けなかった。

 一方、綾瀬のペンは相変わらず滑らかに動いている。


「……よくそんなに書けるな」

 僕は思わず呟いた。


 綾瀬は顔を上げず、淡々と答える。

「書かないと、頭の中が腐っていくから」


「腐る?」


「うん。冷蔵庫に入れ忘れた果物みたいに。気づけば匂い出して、手に負えなくなる」


(なんという比喩表現。情景がよーく目に浮かぶな…)

 そんなことを思いながら僕は遠くを見つめた。



「俺の頭の中なんて、最初から腐ってるけどな」

 そう。僕の頭の中はすでに腐っているのだ。

 綾瀬がちらりと僕を見た。


「じゃあ、あなたは歩く生ごみ袋?」


「ひどいな」 

(あながち間違ってはないか…)


「でも……腐敗も発酵に変わることがある。捨てられるか、お酒になるかは、周りの環境次第」

 

 中々に面白い比喩表現をするものだ。

 思わず感心してしまった。


 彼女の言葉は冗談めいているのに、どこか真実を突いていた。

 


 「綾瀬はさ……よくそんなに比喩を出せるな」


「比喩に隠れないと、直視できないから」


「何を?」


「……自分」


 その言葉の後、しばらく沈黙が落ちた。

 窓を叩く雨音だけが、彼女の告白を包み隠す。


 僕は、胸の奥に小さな共鳴を感じた。

 僕もまた、自分を直視できずに、皮肉や哲学に逃げてきたから。



 「じゃあさ、俺は……なんだろう」

 僕は冗談めかして訊いた。


 綾瀬は顎に手をあて、考えるふりをしてから口を開いた。

「……棺桶」


「またそれかよ」


「最初に書いてたでしょ。あなたにぴったり」


「なんで」


「動いてるのに死んでるみたいだから。でも、中に言葉を詰めれば、少しは生き返るかもしれない」


 彼女の声は冷静なのに、妙に温かさを帯びていた。



 棺桶。

 彼女にそう呼ばれて、嫌悪感よりも安心を覚えた。

 “名付けられる”ことは本来、僕の嫌う行為のはずだ。

 けれど彼女にだけは、名前を与えられてもいいと思えた。


「……じゃあ、お前は?」


「私?」


「比喩にすると」


 綾瀬は少し迷ってから、かすかに笑った。

「……透明なガラス瓶」


「割れそうだから?」


「ううん。中身を見せてるようで、実は何も入ってない」


「でも、光を通す」


「……」


 その言葉に、綾瀬は一瞬だけ目を丸くして、すぐ視線を逸らした。





 雨はまだ止まない。

 けれど部室の空気は、最初よりもずっと温かくなっていた。

 比喩を投げ合うことで、僕らは少しずつ自分を差し出している。

 正直に告白するよりも、不器用で遠回しで――だからこそ、本音に近づける。


 これは友情か。

 それとももっと歪で、甘いものか。


 答えはまだ、雨に溶けて見えなかった。


少し長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ