表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/9

とある放課後 招かれざる招待。

 チャイムが鳴り終わってからの教室は、海から水が引いたあとの砂浜に似ている。

 人の気配が徐々に薄れ、机と椅子だけが残され、そこに取り残された僕は、貝殻のように無意味に転がっていた。いや、潮干狩りでたまに見かけるクラゲのほうが近いかもしれない


 なんてちょっとした自虐をしながら


 ――帰るか。

 そう思い立った瞬間、肩に柔らかな気配が降ってきた。


「相沢くん、ちょっといい?」


 振り向くと、国語科の水沢先生が立っていた。

 年齢は二十代半ばだろうか。派手さはないが、どこか芯のある目をしている。

 その瞳が、僕をすっと射抜いていた。


 「最近、放課後どこで過ごしてるの?」

 先生は何気なさを装うように尋ねてきた。


「……家です」

 答えながら、心臓がわずかに跳ねた。

 “嘘”をついたわけではない。ただ、僕の放課後は廊下の影や図書室の隅に沈んでいる時間の方が多い。


「ふうん。でも、図書室でよく見かけるよ。ノート開いて、何か書いてるよね」


 図星だった。

 僕は一瞬言葉を失い


「……暇なんで」


自分の声かと自分で疑ってしまうほど小さな声で答えた。

別にいつも一人だから久しぶりにしゃべった。というわけではない。


 先生はふっと笑った。その笑いは、見透かすようであり、同時に庇うようでもあった。


「先生、何の話ですか」


 声が割って入った。

 振り向けば、そこにいたのは綾瀬紗世。僕と同じく浮いている存在で、クラスではほとんど声を聞かない彼女だ。


 先生は目を細めた。

「綾瀬さん。あなたも放課後、教室に残ってることが多いでしょ?」


「……別に」

 綾瀬は短く返す。その声には棘と無関心の両方が含まれていた。

 だが、その冷たさの裏に、僕と同じ種類の孤独を感じ取ってしまう。

 しかし、僕と彼女は違うのだ。 


そう…自分に言い聞かせた。


 先生は二人を交互に見つめて、言った。


「文芸部に入らない?」


 一瞬、空気が固まった。

 文芸部。聞いたことはあるが、活動しているのを見たことがない。


「……部員なんて、いないでしょ」

 綾瀬が言った。


「いない。だからちょうどいい。二人で始めればいいの」

 先生の声は驚くほど穏やかだった。

 「何もない空間だからこそ、あなたたちの居場所にできる」とでも言うように。

 

 きっとこの先生は優しいのだろう。

 柄にもなくそんなことを思った。



 僕の中で何かがざわめいた。


 “居場所”――それは僕にとって最も遠い言葉だった。

 クラスにも家にも、僕の形に合う隙間はない。

 けれど「文芸部」という名の空白が、そこに口を開けて待っているように思えた。


 それに綾瀬紗世と二人で同じ部活である。それは幾ばくか魅力的である。

彼女の嘘を。彼女が日々何を考え、何を感じ生きているのかを知りたい。

そんな僕にとってこの提案は一枚の羽根のように、ふと目の前に舞い降りた好機だった。


「……どうする?」

 先生が柔らかく促す。


 綾瀬は横目で僕をちらりと見た。

 彼女の瞳は深い湖のように冷たく、それでいてわずかな期待を含んでいるように見えた。

いや、そうやって僕が見ただけなのかもしれない。


 僕は息を吸い込み、吐いた。

「……いいです。入ります」


 その言葉が出た瞬間、僕自身が一番驚いた。

 


 綾瀬は少しだけ間を置いてから、同じように呟いた。

「……じゃあ、私も」


 先生の表情に安堵が浮かぶ。

「ありがとう。これで文芸部は、再始動ね」


 放課後の廊下を並んで歩く僕と綾瀬。


 会話は一言もなかったが、不思議なことに沈黙は重くなかった。

 代わりに、名前を持たない小さな炎のようなものが、二人の間に灯った気がした。


 それが恋なのか友情なのか、あるいはもっと歪んだものなのか――僕にはまだ分からなかった。



少し長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ