孤独
恋なんてものは、人生の余白に書き込まれる落書きみたいなものだ。
誰も頼んでいないのに勝手に現れて、紙を汚し、最後には破り捨てられる。
そう信じていた。
少なくとも、この春までは。
担任が名簿を読み上げる声が、妙に遠く響いていた。
僕の名前が呼ばれると、教室の何人かが小声で「誰?」と囁いた。まあ、そうだろう。
僕は中学時代から「いてもいなくてもいい奴」の代表みたいな存在だった。成績は並、部活には顔を出
さない、友人は二人ほど。地味だが、それが僕の生存戦略だった。
新しいクラスに期待なんてない。
むしろ、人間関係という名の茶番劇にまた付き合わされるのかと、内心うんざりしていた。
笑顔を貼り付けた自己紹介、グループを作るスピード競争、底の浅い「仲良しごっこ」。
――ああ、また一年、退屈と仮面の繰り返しか。
「……綾瀬、紗世です」
その声を聞いたとき、僕は思わず視線を上げた。
落ち着いているわけでも、感情的なわけでもない。抑揚のない、冷たい音。だがなぜか耳に残る。
彼女は背筋をまっすぐに伸ばし、淡々と自分の名を告げただけで座った。拍手も笑いも求めない。
クラスの誰かが小さく「暗そう」と笑った。だが、彼女は聞こえていないかのように窓の外を見ていた。
――こいつ、変だ。 おそらくクラスの大半が思ったであろう。
そんな特筆する価値もないほどに日常に溶け込んだ考えをしてしまう。
そして同時に、妙に安心した。
「空気を読まない奴」が一人でもいると、この窒息しそうな世界に小さな穴が開く気がする。
「一人じゃないよ」なんて浅はかで、表面をなぞるだけの言葉なんかよりもずっと救われた気持ちになる。
——人間は、群れるために嘘をつく生き物だ。
「よろしくお願いします」と笑う奴らも、本音は「敵に回したくない」程度だろう。
僕も同じだ。自己紹介で口にした言葉なんて、ほとんど虚構だ。
でも、綾瀬紗世――あの無表情な少女だけは、違った。
彼女は最初から「嘘をつく気がない」のか、それとも「本音すら持たない」のか。
どちらにせよ、僕のように中途半端に斜に構える奴からすれば、徹底していて眩しかった。
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