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首椿  作者: 真崎いみ
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第19話

珠子の要望は可決され、今度は台所に二人で立った。鳥のつくねを作って鍋に放り込む。僕にやらせて、という健に鶏肉の下準備を任せると、惚れ惚れするような手際の良さだった。使っている包丁が、同じ物だとは思えないほどに。

鶏皮を繊維にそって削ぎ、肉を縦と横にしてざっくりと切る。そしてまるでリズムを刻むかのような手早さで細かくしていった。ねっとりと柔らかくなるまで叩き、味付けを珠子に任せた。

「人もそうやって切ったの?」

「ん。鶏肉の方が柔らかくて楽だよ。」

「ふーん。あ、生姜取って。」

差し出した珠子の手を、健はじっと見つめている。

「…美味しそうでしょ。」

健の考えていることが手に取るようにわかった。

「うん。」

「食べたい?」

「とっても。でも、我慢するよ。」

ふいと、健は珠子から目を反らす。

「偉いですね。じゃあ、ご褒美をあげようか。」

「え?」

珠子は自分の右手の人指し指に貼っていた絆創膏を剥がした。

「…どうしたの、それ。」

「今日、紙で切っちゃったの。」

一閃のような切り傷に対して圧力をかけると、血の玉がぷくりと浮かんだ。

「はい。味見する?」

健の目色が変わる。黒目がホホジロサメのように大きくなり、珠子の血に対して視線が釘付けだ。

「…。」

ゆらりと一歩、健は珠子に近づく。そして彼女の右手を恭しく取って、ちゅっと手のひらに口付けた。かと思うと触れるか触れないか、焦らすように唇を移動して人指し指の先を目指した。

「くすぐったいね。」

小さく呼気を吐き、珠子は呟く。健は舌先を出して、血の玉を拭うように指の腹に押しつけた。熱く滑る分厚い舌の感触が敏感な指から伝わってくる。

「…、」

ピリリと痺れるような痛みが、舌の動きを通して走る。

健は血液を舐めると、もっと、というように甘噛みをした。前歯で啄むように肌を刺激して、滲む血液をまたじゅっと啜る。

「…美味しい?」

「ああ…、うん。美味しいよ、とてもね。」

恍惚に満ちた健の声が漏れる。このまま健の欲望を刺激し続ければ、指先から食べられてしまうかもしれない。自らの危機を確かに感じながら、珠子はスリルを味わっていた。

最後に一際強く指を吸って、健は口を離した。その唇は珠子の血液の赤で濡れて、まるで紅を引いたかのようだった。

「お化粧したみたい。」

珠子は微笑みながら、健の唇に付いた血液を親指で拭ってやる。

「…たまちゃん、」

「なあに?」

健の目元が赤く染まっていた。まるで泣きたいのを堪えているかのようだった。

「もう、こんなことをしないで。」

そう言うと、健は唇を強く噛んで俯いてしまった。

「! ごめん、ごめんね!」

珠子は詫びながら健を抱きしめた。年上の健が、迷子になって途方に暮れる子どものように思えた。

「…。」

珠子の肩に顔を埋めた健の影が、熱く濡れる。彼の涙がそうさせた。

健はきっと、ずっと我慢をしてくれていたのだろう。それを自分が試すようなことをして、蔑ろにしてしまった。

頭を抱えるように、髪の毛を撫でているとようやく健は顔を上げてくれた。

「たまちゃんって、良い香りがするね。」

「そう?使ってる洗剤の香りかな。」

健を首を横に振る。

「人工的なものじゃなくて、たまちゃん自身から立つ香りだよ。」

「ちょっと恥ずかしいな。どんな香り?」

珠子は健に確認を求めるように、首を傾けて肌を出した。健は甘えるように、すん、と鼻を鳴らす。

「杏みたいな甘くて酸っぱい香りと、青々とした植物のような生臭さというか…。きっと、今まで生きてきた軌跡が良いんだろうね。上品な香りだ。」

「それは知らなかったなー。」

自らの体臭こそ、自分ではわからないものだ。健が賞賛してくれたのは、素直に嬉しかった。

笑う珠子を見て、健はふわっと身に纏う空気を和らげた。


「かわいいね、たまちゃん。」

健のまるで慈しむかのような声色と、珠子を見る優しげな目色が愛しいと思った。秘密の共有という親密な行為は、こんなにも尊いのかと衝撃だった。

思えば、ずっとひとりぼっちな気がしていた。世界に一人きり、誰にも理解されない性癖だと思っていた。

今、私たちは世界で一番しあわせなふたりぼっちなのだと、確信した。唯一無二で、二人で一つの魂を分け合っている気がした。

「…ごはん、作っちゃお。」

珠子は照れ隠しに、手を止めていた調理を再開するのだった。

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