主の代理(ヴォルクス・デウス)
聖女の祈祷塔から戻った一行は、聖堂都市イシュリールの郊外にある、クラリスの知人である隠遁した賢者のもとを訪れていた。
「“ヴォルクス・デウス”? その名を、そなたたちが口にするとはな……」
ローブに身を包んだ老賢者オルセウスが、ひび割れた杯を手にしながら低くうなった。
「その名は、古文書にのみ現れる。“神の意志を継ぐ者”などと訳されることもあるが……実態は、旧神殿派が禁忌とした存在じゃ」
「旧神殿派……つまり、今の聖教会の前身?」
クラリスが身を乗り出した。
「むしろ、聖教会がその存在を覆い隠そうとしてきた勢力だな。リアナの封印が始まる前……ある巫女が、“神に近づきすぎた”ため、禁じられた儀式を行った。――その者の末裔が、“ヴォルクス・デウス”だとされておる」
「それが、今も生きていて……リアナの封印に干渉しようとしてる?」
サーシャの目が鋭く光る。
「恐らく、聖女リアナの記憶と力を利用しようとしているのじゃろう。“再臨”とは、真なる救いではなく、“支配”のためのものじゃ」
老賢者は、床を歩む影に目を落としながら、静かに続けた。
「この国の聖典には、封印の維持には“聖女の魂の純粋性”が必要とある。もし誰かがそこに“異なる力”を注げば……封印は崩壊する」
「つまり、“主の代理”は――リアナの魂を改竄しようとしている……?」
ルーナが唇を噛む。
「にゃにゃ……そんなの、絶対許せないにゃ……!」
ミュリルが小さく拳を握った。
***
その夜。イッセイは、フィーナとシャルロッテと共に、“塔から持ち帰った封印図”を見直していた。
「この紋章……見覚えがあるウサ。魔導学院の奥書庫にあった“旧約の六翼印”と同じ系統……!」
「こっちの碑文……精霊語では“捧げられし魂の扉”と読める。誰かが、リアナ様の魂を通じて、別の“領域”へ通じる鍵にしようとしてる……?」
シャルロッテの声に、緊張が走る。
「まさか……“神界”に干渉しようとしているのか?」
「イッセイくん……それって、“人間には触れてはならない領域”じゃないかな……」
シャルロッテの頬が蒼白になった。
「だが、だからこそ奴らは、リアナの“記憶”を手に入れようとしている。……封印の力を乗っ取り、“神”を模倣することで、世界を――」
イッセイが言葉を詰まらせたとき、扉が勢いよく開かれた。
「――急報です!」
飛び込んできたのは、王都から遣わされた伝令騎士。
「聖都エルヴィラにて、“聖女リアナ再臨”を名乗る者が現れ、民衆を集めております!」
「……! まさか、“主の代理”が……!」
クラリスが顔を強張らせた。
「その者、銀のヴェールに身を包み、顔を見せず、群衆の前で“神の声”を口にしたと……。しかも、瘴気に侵された者を奇跡で癒したという報も!」
「癒しの奇跡……本物の“聖女”を模した、偽りの力……」
リリィが目を伏せた。
「ウサ……やばいウサ……これは、完全に“演出された神”だウサ……!」
「――行くぞ。次は聖都エルヴィラだ」
イッセイが静かに立ち上がる。
「世界が……“真なる聖女”と、“偽りの神”に引き裂かれようとしている。……俺たちが、その真実を見極める」
仲間たちは、静かにうなずいた。
こうして、一行は再び聖都を目指す。
その地で、“神”と“人”を隔てる真実が、暴かれるとは――まだ誰も知らなかった。
聖都エルヴィラは、かつての静謐を失っていた。
聖堂前の広場には民があふれ、中央の祭壇に設えられた簡易の玉座には――白銀のヴェールをかぶった“聖女”が座していた。
「……あれが、再臨を名乗る者か」
イッセイが祭壇の前に立ち、群衆の間を見つめた。隣には、フードをかぶったクラリスが並ぶ。
「彼女は……“奇跡”を起こしたとされている。癒しの光を放ち、盲いた少年に視力を与えたと……。それを見た者たちは、“神の声”を信じるようになった」
クラリスの声に、イッセイは眉をひそめる。
「奇跡の再現は、禁術で可能だ。だがそれを“神の名”で行うなら――それは、冒涜だ」
「イッセイ……!」
群衆の一角で、ミュリルが手を振る。「にゃー!」という声に一瞬、民衆が振り返るも、すぐに再び聖女に視線を戻した。
その瞬間、玉座の“聖女”が、静かに口を開いた。
「……世界は、堕ちていく。だからこそ、神は再び声を届けたのです……。この身に宿る光は、千年の封印より蘇りし聖女・リアナの証――」
「――嘘だな」
その言葉を遮ったのは、イッセイの冷徹な声だった。
「本物のリアナ様は、そんな“救世”を口にする方じゃない。お前は誰だ。“神の名”を語り、何をなそうとしている?」
会場がざわめく。玉座の“聖女”は、わずかに視線を落とし、静かに立ち上がった。
「……なるほど。イッセイ・アークフェルド。お前が、我らが計画を最も脅かす存在か」
ヴェールの下から響いたその声は――明らかに、若い女性のものだった。だがその響きには、異様な冷たさと威圧があった。
「我は《主の代理》ヴァルティア。リアナの記憶と声を継ぎ、次なる“神の座”に座す者なり」
「記憶……を、継いだ?」
シャルロッテが息をのんだ。
「そう。世界の深奥には“神性”が流れている。リアナはそれに触れ、崩れた。そして今、我はその残滓を手に入れた。次は、完全なる覚醒だ」
「“神になる”ってわけか……!」
サーシャが刀に手をかけた。
「止めておけ、武士よ。今、ここで私に刃を向ければ――群衆の前で“神殺し”として汝らは糾弾されよう」
「……くっ」
イッセイは前に出ようとする仲間を制した。
「ならば問う。お前が語る“神”とは何だ。世界を導く意志か、それとも支配の偶像か?」
「どちらでもある。“神”とは人が必要とする希望。そして支配。“秩序”を欲したとき、人は“神”を創り出す。私は――その象徴になる」
「それは“聖女リアナ”が最も忌んだ理だ!」
クラリスが叫んだ。
「彼女は、支配ではなく、癒しと共存の象徴だった。あなたが語る神は、ただの“偶像”よ!」
「……面白い。ならば、お前たちが“本物の奇跡”を示せばいい」
ヴァルティアは笑った。
「三日後。聖都にて“再臨の儀”が執り行われる。“神の座”は空白だ。望むなら、そこに“挑む”がいい。――それが、お前たちの最期になるとしても」
そのまま、彼女は玉座の背後へと姿を消した。
ざわめく群衆。その中に残されたイッセイたちの眼差しは、固く、揺るぎない決意に染まっていた。
「イッセイくん……どうするの?」
「決まってる。三日後、俺たちは“真実”を示す。奇跡でも、偽りでもない――“人の力”で、あの偶像を打ち砕く」
その言葉に、仲間たちは頷いた。
“聖女”の名を騙り、神の座に昇らんとする者がいるなら――
それを止めるのは、彼らしかいなかった。




