刃の交錯、誇りの名乗り
風が止んだ。
屋台の喧騒が遠くなり、まるで時間がゆっくりと流れ始めたように感じられた。
侍装束の少女は、静かに右手を柄に添えたまま、酔漢たちを睨み据える。
「抜いたからには……命のやり取り、覚悟の上でござろうな?」
その一言に、男たちの背筋が凍りついた。だが、恐怖を怒りでかき消すように、最初に声を荒げた男が刀を振り上げる。
「チッ、やっちまえ! 女ひとりにビビるなよ!」
その瞬間——鋭い金属音が空気を裂いた。
少女の太刀が抜かれた気配すら感じさせぬ速さで振るわれ、男の刃は空を斬っていた。間髪入れず、少女は身体を沈めながら左手で鞘を支え、流れるような動きで次の男の足元に踏み込む。
「——『流水・初ノ型』」
低く呟かれた名乗りと共に、太刀が走る。足を払われた男は無様に転倒し、そのまま動けなくなった。
「く、くそっ!」
残る一人が斧を構えて突進するが、少女は顔色一つ変えずにその斧の軌道を正確に読み取り、僅かに身を引きながら袈裟に斬り返す。
刃は男の肩口の上、衣の布だけを斬り裂いて止まり、斬撃の風圧で後ろに吹き飛ばす。
「威嚇にて十分……武を以て証するまでもなし」
男たちは呻きながら地面に転がり、誰一人反撃する気力を失っていた。
「……お、お姉ちゃん……!」
庇われていた子供が少女の背後から顔を覗かせる。
「怪我はないか。恐怖を乗り越えたその心、武士の魂に恥じぬぞ」
少女は膝をついて、子供の頭を優しく撫でた。優美な仕草だったが、その背筋には隙がなく、敵が再び動けば即座に応じる構えだった。
「いやぁ……すごいな、あの子……」
通行人がざわめき始めたところに、イッセイたちがようやく駆け寄る。
「大丈夫ですか? 怪我は……」
イッセイが声をかけると、少女はすっと立ち上がり、整った顔立ちでこちらを一瞥した。
「助太刀、不要であったな」
言葉は厳しいが、敵意はなかった。イッセイは微笑を浮かべて頭を下げた。
「見事なお手並みでした。……お名前を、伺っても?」
少女は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を引き締める。
「拙者は——サーシャ・カグヤ。ヒノモトの国より、道を求めてこの地を旅する流浪の侍である」
風が吹き抜け、少女の髪が舞い、太刀の鍔が陽光を受けて煌いた。
その名乗りが、この物語の新たなる章の始まりを告げる。
名乗りを終えたサーシャ・カグヤの周囲には、一瞬の静寂が広がった。群衆は先ほどの戦いを呆然と見つめていたが、やがて小さな拍手がどこからともなく起こり、それが波紋のように広がっていった。
「すごい……あんなに綺麗な剣筋、初めて見たウサ……」
フィーナが感嘆の息を漏らし、ぽつりと呟いた。
「にゃー……完全に型が決まってたのにゃ。あの動き、修練の塊だにゃん」
ミュリルも目を丸くしながら、まるで舞を見ていたかのように両手を合わせる。
「ふふ、イッセイくん。やっぱり、ただの旅人じゃなさそうだね」
ルーナが隣で肩を寄せながら、面白がるように目を細める。
クラリスは腕を組みつつも、瞳を輝かせていた。
「身のこなし、目の動き、そして剣さばき……まるで王国の騎士長のよう。いえ、それ以上かもしれませんわ」
イッセイはそんな仲間たちの反応に軽く頷いた後、サーシャへと向き直った。
「サーシャさん……あらためて、お見事でした」
「……拙者は己の正義を行ったまで。礼には及ばぬ」
短く返し、サーシャは子供たちの安全を確認すると、そのまま背を向けて歩き出そうとした。
「待ってください」
イッセイが一歩踏み出し、その背中に声をかけた。
「もしよければ、一緒に来ませんか? 僕たち、今は旅の途中でして……あなたのような人と道を共にできたら、心強い」
サーシャは立ち止まり、背中越しに少しだけ顔を傾けた。
「拙者は一人旅を旨としている。……しかし」
ふと視線を向けた先にいた子供が、小さく手を振った。サーシャの表情がほんのわずかに和らぐ。
「貴殿らが、この町の人々に信頼されていると見受けるゆえ……同行、考えてやってもよい」
そう言って向き直ったその顔は、戦いのときの鋭さとは異なり、どこか年相応の柔らかさを感じさせた。
「やった〜! また仲間が増えるのウサ!」
フィーナがぴょんと跳ねて喜び、ミュリルが「にゃにゃっ、新しい美人枠追加にゃ〜」と冗談を飛ばす。
クラリスは静かに口元をほころばせてからサーシャに一礼した。
「ようこそ、我らの旅路へ。あなたのその剣が、民のために振るわれることを、わたくし心から歓迎いたしますわ」
ルーナは小悪魔的な笑みを浮かべながら、サーシャの肩に手を置く。
「イッセイくんには手を出さないでね、ふふっ」
それに対し、サーシャは困ったように小さく首を傾げた。
「そのつもりは……ないが。貴殿らの関係性、なかなか複雑そうだな」
場の空気が笑いに包まれ、重かった雰囲気が少しずつ和らいでいく。
しかし、その平穏の裏で、先ほどの騒動を物陰から見つめていた影がひとつ。
黒装束に身を包んだ男が、サーシャを睨みながら呟いた。
「……あの娘、ヒノモトのカグヤ家の血筋か……。思ったよりも厄介だな」
男は静かにその場を離れ、闇に紛れて消えていった。
——次なる騒動の火種を残して。
その夜、イッセイたちは町の宿屋の広間を借り切り、サーシャの加入を祝う簡単な夕食会を開いていた。ろうそくの明かりがテーブルを照らし、陶器の器に盛られた煮込み料理からは、芳醇な香りが立ち上っている。
「むぅ……この牛肉の煮込み、なかなかの味わいだな。胡椒の風味が利いていて、米が欲しくなる」
サーシャが腕を組み、じっくりと味を確かめるように呟く。
「そう言えば、ヒノモトではお米が主食なんだっけ?」
イッセイが尋ねると、サーシャは真面目な顔で頷いた。
「うむ。白き粒を蒸し上げた飯は、腹持ちよく、戦の前には欠かせぬ。味噌汁と漬け物があれば、なお良し、だ」
「にゃはっ、ミュリルも一度食べてみたいにゃん!」
「ウサウサ、明日市場に行って、ヒノモト食材探してみようウサ!」
話題が盛り上がる中、クラリスがふとサーシャに向き直った。
「ところでサーシャさん、あなたの家は……カグヤという名家だと伺いましたが、それは……?」
その言葉に、場の空気が少しだけ引き締まる。サーシャは静かに盃を置き、姿勢を正して語り始めた。
「……カグヤ家は、ヒノモトにおいて長らく武家の頂にあった家系。しかし、時代の流れと共に没落し、今や名ばかりの存在となり果てた」
クラリスが眉をひそめ、ルーナはわずかに目を伏せた。だが、サーシャの口調には暗さよりも、どこか澄んだ覚悟があった。
「されど、武士の魂は絶えぬ。拙者はただ、己が剣で道を拓き、人のために刃を振るう。それだけよ」
その言葉に、イッセイは微笑を浮かべた。
「……それでこそ、仲間として頼もしい。君の剣を、これからの旅路に預けさせてほしい」
サーシャは少し驚いたように瞬き、次いで、穏やかに頷いた。
「承知。拙者の刃、イッセイ殿に託そう」
再び場が和やかに戻ったころ、宿の扉が激しく叩かれた。
「……イッセイ様! たいへんです!」
宿の外から声が響き、使用人のひとりが血相を変えて飛び込んでくる。
「町の裏手で、何者かが子供たちを襲っていると……!」
瞬間、全員の表情が引き締まった。イッセイは立ち上がり、剣の柄に手をかける。
「行こう。今度は僕たちが、この町の子供たちを守る番だ」
サーシャもまた、腰の刀に手を添え、静かに言葉を重ねた。
「抜けば斬るのみ、拙者の流儀に従い申す——その者、成敗いたす」
——宿の扉が開かれ、夜の風が吹き込む。
戦いの幕は、再び上がろうとしていた。




