迫り来る瘴気、揺らぐ聖域
霧がかかったように白く霞む朝の森。その中心に、悠然とそびえる巨大な木があった。天を突くような枝、根元から伸びる太い根のひとつひとつが、まるで生き物のように呼吸しているようだ。
「ここが……エルフの里か」
イッセイは静かに息を吐いた。その肩に、精霊の気配が微かに揺れていた。
「霊樹ノアシェルよ。私たちハイエルフが古くから守り続けてきた場所……」
横で並ぶシャルロッテが、厳かな声で答える。
リリィが目を丸くして呟いた。
「すごい……木が空に届きそう……」
ルーナは手を後ろに組み、クスリと笑う。
「ふふ、イッセイくんでも、ちょっと圧倒されてる?」
「まぁ、な……あれだけの生命力を前にしたら、誰でも息を呑むだろう」
イッセイは苦笑を浮かべながらも、森に漂う違和感にすぐに気づいた。
ミュリルが耳をぴくりと動かし、顔を曇らせる。
「……なんか、ヘンな感じするにゃん。空気が……濁ってる?」
フィーナも顔をしかめて言った。
「精霊たちの気配が、ところどころで切れてるウサ……こんなこと、普通じゃないウサ」
シャルロッテが俯き、小さく呟いた。
「そう……それが今、最も深刻な問題なのです。霊樹の根の下に、“魔樹の瘴気”が……這い寄ってきているの」
「魔樹……?」イッセイの目が鋭くなる。
「森の外れ、かつて禁忌とされた『落葉の谷』。そこに封印されていた“古き魔樹”の根が、何らかの原因で蘇り、瘴気を発していると……長老会はそう推測しています」
「つまり、それが原因で精霊たちの力が弱まってると?」
セリアが腕を組みながら問いかけた。
「はい。そしてこのままでは、森の中心にあるこの霊樹さえ……飲み込まれてしまう可能性があるわ」
空気が重くなった。誰もが、この問題がもはや一地方の災厄ではないことを感じ取った。
その日の夕刻、イッセイたちは霊樹の根元にある迎賓の館へと招かれた。そこには、エルフの長老たちが静かに待ち受けていた。
中央に座する長老が、深く皺を刻んだ顔でイッセイを見つめる。
「異郷の来訪者よ……お主が“精霊に選ばれし者”と聞き、我らは大いに驚いた。今日は、そなたらに頼みたいことがある」
イッセイは姿勢を正し、丁寧に頭を下げた。
「どうか、仰ってください。僕たちは可能な限り、お力になります」
長老は静かに頷き、語り出した。
「魔樹の瘴気は、我らが想像していた以上に速く、深く、森を蝕んでおる。精霊たちとの契約も次々と失われ、若い者たちは戦う術も失いつつある……」
「このままでは、森ごと滅びかねない……と?」
イッセイの声に、長老は重く頷いた。
「そうなる前に、そなたらに“落葉の谷”への調査と、必要ならば魔樹の封印、あるいは討伐を頼みたい」
しばしの沈黙の後、リリィが明るく声を上げた。
「もちろん、私たちでよければ、精一杯頑張るよ!」
「ふふっ、こういうのって燃えるじゃない? イッセイくん?」
ルーナがいたずらっぽくウィンクを送る。
イッセイは笑みを浮かべながら、正面の長老に向き直る。
「僕たちでこの森を救えるかは分かりません。でも、やれる限りのことはしたい。精霊と共にある世界を守るために」
その言葉に、長老たちは深く頷き、式典のような儀式で彼らに正式な“協力の証”を与えた。
夜、シャルロッテは館の中庭でひとり星を見上げていた。
「……あなたたちは、どうしてそんなに迷いなく動けるのですか?」
イッセイがそっと隣に立つ。
「迷いは、あるさ。だけど、助けたいと思う気持ちは……それより強いんだ」
シャルロッテはしばらく黙っていたが、やがてふっと微笑んだ。
「……少しだけ、分かった気がします。明日、私も同行します。戦いはしません。でも……あなたたちの力になりたい」
その言葉に、イッセイは柔らかく笑みを返した。
「ありがとう。君の気持ちが、きっと森を守る力になる」
こうして、イッセイたちは“魔樹の瘴気”の源を絶つべく、翌朝、落葉の谷への出発を決めるのだった。
夜の帳が下りた森の奥で、誰にも気づかれずに……瘴気が静かに蠢いていた。




